今年は

新年明けましておめでとうございます。って、もう7日だけどね。

4日から仕事(年末は30日まで)だったので、あまり正月らしいのんびりとした気分に浸るヒマはないかと思っていたら、意外にもゆっくりできているような気がする。というのも、4日からテレワーク続きで、まだ1度も出社していない(7日は出社の予定だったが、母が勤務先でコロナ陽性者が出たおかげでPCR検査を受けることになり、念のためPCR検査の結果が出るまで出社は控えることにした)し、この1週間は仕事らしい仕事もしていない。

年末に申し込んだプログラミングのオンライン基礎講座を受講しながら、時々やってくるメールやらチャットやらでの頼まれごとをこなして、うつらうつらとやり過ごしていたら、はい金曜日が来ましたという感じ。金曜の午後になるとさすがに予定が詰まってきたのだが、全て来週でも間に合う仕事だったので先送りにして、今週はとにかく正月気分に浸ることに決めた。それにしても寒い。昨日からの雪で路面が凍結しているらしいから、用心して外出もせず、家でゆっくり過ごすことにした。

そんなわけで、夕方からワインを1本明けて、のんびりと正月(の余韻)を楽しもうと目論んでみた。もう深夜の2時を回っているけど、寝るのはもったいない。何せ、正月である。夜更かしも楽しいではないか。NHKアーカイブスで立川談志師匠の再放送を楽しむ。落語のことは詳しくないけれども、天才と呼ばれた所以がなんとなくわかった気がする。

こんなふうに、無駄を楽しむ余裕を感じるのは何年ぶりだろう。オンラインでの効率優先の言葉だけのコミュニケーションや生産性に追い立てられ、いつのまにか、生活からゆとりがなくなってしまった。この状況は当面続くだろうし、その勢いは止まらないような気がする。しかも、ついていかなけらば確実に「負ける」、と思い込まされてきた。

ここいらで、少し立ち止まってみよう。本当にそんなことを続けていて、自分の価値は活かされるのか。自分にしかできない仕事、人生を創り出すことができるのか。効率化の中でそぎ落とされがちな無駄や余白にもっと目を向けよう。その方が創造力を発揮できるのではないか。何よりも、自分軸を持った生活を送ることが、仕事にも前向きな影響を及ぼすのではないか。そもそも、自分自身に根付いている今までの「仕事」中心の価値観も見直す必要があるだろう。

文化は「無駄」から生まれるもののようだ。効率は文明をもたらしたけど、文化とは直結しなかった。僕が今生きているパンデミックの時代はおそらくそんな感じだろう。様々なことが「便利」で「効率的」になり、いまでもその波に乗り遅れた者は敗者であるかのような風潮がはびこっている。果たしてこの状況で文化は生まれるのだろうか。「不要不急」という言葉に押されて苦しむ市井の人々の中にあっても、文化の火種が消える気配がみられないのはせめてもの救いだと信じたい。

談志師匠は落語を「人間の業の肯定」と定義したらしい。それこそ無駄への賛歌だろう。その姿がなぜか芸術的な神々しさを湛えるのは、まさに文化なのだろう。天才ならではの為せる技と言ってしまえばそれまでだが、誰もが効率や生産性で動いているわけではない。行動経済学とやらもそうじゃないの。

自分の幸せとは何なのか、自分らしくあるとはどういうことなのか、そんな当たり前のことまでもオンライン講座で「学ぶ」時代になっている。そんなことは大きなお世話だと言いたい。ただ、人間らしさを文化として見つめる眼差しを失ってしまった現代人の罪滅ぼしか、巧妙な言い訳のように聞こえる。しかも、どことなく胡散臭さを感じているのは僕だけだろうか。「幸せ」までも到達への「便利」な「近道」を示されないと納得できない人が多いのだろうか。それとも、当たり前の幸せが見えなくなってしまっているのだろうか。

こんな世界からはいち早く抜け出したいと思っています。

今年はそんなわけで、暮らしから無駄をなくすことをやめます。僕にとって最も無駄かも知れない「今年の抱負」みたいになってきたな。いい調子だ。こんな無駄を許してください。新年初の「無駄」にお付き合いいただき、まことにありがとうございました。

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