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気が合うとか、合わないとか。

そもそも、人間関係における “気が合う” ってどういう感覚なんだろ?

目的が一緒なら、楽しく過ごすことはできる。
という、手段での交友関係って多い気がする。

わたしが思う気が合うは、
なにをしていても、どこにいても、一緒にいて楽しい。かな。

男女間でのよくある相違だと、

恋心が芽生える前の、“いいご縁に繋がれば嬉しいな〜”
と淡い期待を抱いた状態の初デートで
どちらかが聞き役に徹して、相手に気をかけていると、

気持ちよく話ができた方は、満たされて楽しかった。となる。

気にかけた方は、相手に対して自分勝手な人だな。となる。

仲良くなる前の段階でよくある、このシチュエーションは即終了のサイン。

何事もバランスが大事よね。

これってお互いが相手に気をかけれたなら生まれない誤差なのか?
お互いの聞き役、話役、性格のバランスが相性となるのか?

どちらでもあることか。

ここをなんらかクリアして、次に進めたなら、相手を知っていって、
相手の悦びになれた瞬間、瞬間の出来事の繰り返しで、

お互いにとって心地のいい関係を築いていくのかな。

物事って本来はシンプルで単純なのに、
自分の感情が入った途端、いくらでも複雑化していくの。

自分の頭がありとあらゆる感情に支配されてる。

わたしは視点がすべて自分になるから、
相手側からちゃんと相手の気持ちになって物事を見ることが特に苦手。

ここだね。

“相手側からちゃんと相手の気持ちになって物事を見る”

わたしが今好きな人と、より良い関係を築くために必要なこと。

相手の要求を呑むことは、どこか負けた気持ちになる。

なぜ勝ち負けにしている?

相手に気分よくなってもらうことに抵抗があるのはなぜなんだろ?


一旦立ち止まってわたしの本来の気持ちを掘り出してみると、

“好きな人を大切にしたい。相手の悦びになりたい。”

これだ!本来の望み。
自分の本来の望みから見ると明確なのに、

瞬発的に出る行動は逆のことをしている。

現実に起こったことに対して咄嗟に出てしまう反応は
確実にパターン化しているから、
今ここで気付けたってことでそのパターンとサヨナラしようと思う。

それで、本来の望みをしっかり胸に刻み、忘れないようにしていたら行動が変わってくるかな?

試してみよう。



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