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幸せは参加しないこと。

何年か前から応援していたグループの話。

そのグループのコンセプト自体が好きだったので、
推しメンも好きだけどどちらかと言えば、
そのメンバー達が集まるという状態のファンだった。

箱推し寄りのスタンスだったと思う。

しかし、いわゆる「単推し」と呼ばれる、1人に多くの愛情を注ぐファンと自分を比べて、
あまりに目移りしてしまう自分に違和感を覚えた。
そして、「箱推し」という言葉について調べてみたのである。

すると意地悪なことに、それは「DD」とも呼ぶらしいし、
「全員の現場行けんのかよ?」「じゃあ全員分のタオル買うんよな?」と、
"より狭義での箱推し"から厳しい目を向けられる世界があることを知った。

「箱推し」にそんなに高いハードルがあるなら、箱推しではないのかもしれないと、
不安になり、結局そう名乗るのを辞めてしまった。

時は流れて、好きな気持ちが転じて、
活動についての情報をツイートするアカウントを始めた。

そのグループは大幅な方向転換をするタイミングで、
正直、人気が下り坂になるタイミングだったから、
初期から応援している自分が支えないといけないと思った。
できることなら何でもしたいという使命感に突き動かされた格好である。

グループの名前で各SNSやWebサイト、インターネットの端から端まで検索した。
こういう活動をしているんだということを広めたくて、データを集めたり記事を書いたりした。
運営のトップに現場で会った時に「こういうのやってるんです!」と言ったら、
「私も見たことありますよ!」と言われるくらい頑張った。
約半年、かなりの時間をそのルーティンに費やした。

だけど結局、あまりの方向性の変わりように、
新規どころか、昔から応援していた仲間たちですら、どんどん離れていった。

いつの間にか「自分はこんなに応援しているのに、なぜ支えてあげないんだ」
「みんなもファンだって言うならもっとできることがあるだろう」というヤバイ精神状態になり、
何のためにアカウントをやっているのか分からなくなってしまった。

「ファンが仕切り始めた界隈は寛容さを失って廃れていくんだよなぁ(意訳)」という、
フォロワーのツイートがついにとどめを刺したので、
その時にアカウントを辞める決意をした。

今はそのグループのことは、興味の持てる範囲でのんびり追っている。

もちろん、何かを好きになる感情というのは素晴らしいし、
そこまで好きになれるものに人生で何度出会えるかと考えると、
心行くまで追求することは健康的な行動であると思う。
だけど、その裏付けを周りとの比較やリアクションに求めすぎてはいけないのだと学んだ。

そして、すべてを追うということは現実的ではない。
なので、「どこまでは応援できるけど、ここから先は参加しない」だとか、
「人生設計上、ここまでなら娯楽として成立しうる」というラインを決めること。

そうしなければ、理想に振り回されて埋まらないギャップの前で、
好きな気持ちすら失ってしまうかもしれない。

人生の時間の使い方は人によって違うので、
自分の違う価値観の人は決しておかしいわけじゃないよ、と学んだ出来事の話でした。