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乳歯のまま大人になった私たち ①

高校生のころ、乳歯を抜いた。左下の、一番奥よりひとつ手前の奥歯だった。

「虫歯ですね。治療するより、乳歯なので抜いてしまいましょう。
 一応レントゲンをとりますね。」

「あ、この歯は……永久歯がないですね。
 ほかにも永久歯がないところがありますので気を付けてください。」

部分入れ歯をつくってもらった。
十八で地元を離れ、部分入れ歯にヒビが入り、つけていると痛くなってしまった為、つけないまま何年も過ぎていった。

はじまり

三十の半ばで、片側の上下の奥歯が痛くなった。
暖かいものを飲んだりすると、浸みて痛みを感じるのだ。
虫歯になったと思い、歯医者を探した。ネットの海をサーフィンし、通いやすく、できるだけ歯を抜かないで保存することを標榜している歯医者に決めた。

虫歯ではなかった。
遠い昔に乳歯を抜いた時に教えられた『ほかにも永久歯がないところ』、つまり残っている乳歯がぐらついて、近隣の歯に関連痛を引き起こしているというのだ。

「抜きましょう」

先生はそう言った。『できるだけ歯を抜かない』……。それは、『できるのであれば』というだけのことに過ぎなかった。こうなってしまった乳歯は抜くしかなかった。左上の犬歯だった。

衝撃だった。悲しかった。

一本目の歯を抜いたとき。他にも永久歯がない、という事実がいったいどういう将来を迎えるものなのか、当時の私はうまく理解できていなかったと思う。

またそれとは別に、目を背ける気持ちもあった。他の人には当たり前にあるものが生まれつき自分にはないということ。他の人は考えなくてもいい問題を自分は余分に抱えているといういうこと、問題はいずれ解決しなくてはいけないということ。
それでも、気に留めていたからこそ、今回『できるだけ歯を抜かない』歯医者を探したのだと思うが……。

抜歯後。
先生が言うには、ぽっかりと空いてしまったこの二本目の両隣もまた乳歯であり、状態があまり良くない為、現状、入れ歯などは難しいということだった。そこで私は、代わりに、というわけでもないが、長年ずっと放置してきた左下の入れ歯をまたつくってもらうことにした。

というのも、つまり、私は改めてこの事実に向き合い、問題を解決していかねばならない、と感じていた。

左下の奥歯と違い、この左上の犬歯が抜けた見た目は、その事実を改めて私に突きつけ、考えさせるくらいには、非常に強いインパクトがあったのだった。(まあその非常に強い衝撃的な見た目の部分は補えないわけだが。)

さて、左下の入れ歯を作る前に、保険の範囲と自費の範囲とを説明をしてもらった。私は遠い昔の入れ歯の記憶から「多少高くても良いので着け心地が良いものを」という希望を伝えたが、先生は「とりあえず保険の範囲でつくり、それで具合がよろしくなかったらまた考えましょう」と言った。自費の方を希望してるのに、なぜ保険の方を勧められたのか、先生の真意は分からなかったが、私はそれに従った。

案の定というか、具合はよろしくなかった。たとえば煎餅など硬いものを食べた際、食べかすが入れ歯と歯茎の間に入り込んで痛いのだった。
私はつけるのをやめた。そして、高い入れ歯をつくりにまた歯医者へ行くこともなかった。何か、がっかりした気持ちだった。非常に衝撃的な見た目はどうにもならいまま、長年放置したこれを再開したところで何がどうなるのだ、という気持ちだった。解決せねばという気持ちはどこへやら、三十半ばにして愚かしい投げやりである。

しばらくして、一年くらい経つかどうか、今度は右上の歯が何かむず痒いような感じに襲われた。右上の犬歯よりひとつ奥の歯である。これが常時むずむずして気になってどうにも集中できないのである。私は再度歯医者へ行った。二本目を抜歯した歯医者である。

やはり、というか、乳歯だった。抜けかけている。先生は私にどうするか聞いた。抜くかどうか、である。一本目からの二本目にくらべると、二本目からは立て続けの三本目である。私はうろたえ、悩んだ。悩み……、抜くのは保留としてもらった。二本目を抜くときにはなんの躊躇もなかった先生が、三本目に関しては、ひどく優しかった。

「大丈夫、大丈夫。今はいろいろな方法があるからね。また抜くとなったときには病院を紹介してあげる。」

私は子供のように頷いた。

考えないようにしていたが、はっきり言って、ずっと、気にかかっていた。
いつもずっと、心のどこかで気にかけ続けてきた。
私には永久歯がないことを、乳歯のまま大人になってしまっていることを。
そしてこの先いったいどうなってしまうのかという、その不安がふくらみ続けていることについても、同じくらいずっと、目を背けてきたのだった。

そして今、それはいよいよ浮き彫りになったのだった。

悲しみの中、私には実際何本の永久歯がなかったのか、と聞いた。六本だと教えてもらった。

六本か……。永久歯が生まれつき六本なかった場合、なんらか治療において保険が適用される、という話をうっすらと思い出していた。目を背け続けてはいたが、同じくらい気にかけ続けてきたことである。おぼろげながらもそうした情報が頭にあった。考えなければ、そう思っていた。

が、取り急ぎ右上の乳歯である。その日から私はブラッシングを念入りにした。乳歯を支えている歯茎を鍛えようと思ったのである。私の執念が勝ったのか、右上の歯は落ち着きを取り戻した。
そうして落ち着いたのであれば、もうしばらくこのままでいたい、抜きたくない……。また歯医者へ行けば抜かれてしまうかもしれない……。そうして私はまたこの問題を頭から追い出し、歯医者から逃亡したのである……。

私は四十を迎えていた。
三年は持ったと思う。例の右上の歯が、また不調を訴えてきていた。いよいよか、と思った。

私は逃亡しておきながら、先生の言葉をずっと覚えていた。『病院への紹介』である。

これまで歯医者は、治療をしてくれながら、『私には永久歯がない』こと、『いずれ乳歯は抜ける』という問題点を教えてきてくれたわけだが、私に、いったいこれから何をしながら、どこへ向かえばいいのか、という道筋を教えてくれることはなかった。正直、破滅に向かってゆるやかに坂をくだっている気分だった。だから考えないようにしてきた。行き着く先を考えるとしんどいからである。

しかしそれもここまで。いよいよ別の道へ行けるのだと思った。またひとつ、乳歯の喪失と引き換えに。

私は優しかった先生を思い浮かべながら、予約を取ろうと電話をかけた。
だが、電話はつながらなかった。

嫌な予感がした。ネットで歯科医院の名前をいくら調べてもヒットしない。同じ地域の似た名前がヒットするばかりである。検索しまくったせいで、結局どこの何で判明したのか覚えていないが「閉院」とあった。

なんということだ……。
先生! 私はこれまで先生の言葉を頼りにしてきたんですよ!

そう涙ながらに訴えたいところだが、あいにく電話はつながらない。
この世は無情である。

(つづく)

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