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幸福な王子の憂鬱の書



Liber 577 または幸福な王子の憂鬱の書





緒言

 オスカー・ワイルドの短編 Happy Princeは、日本語では『幸福な王子』として知られている。しかし、先頃自分は『幸福の王子』の邦題を冠した翻訳があることを知った。確かに、改めて考えてみると幸福を感じている王子の話なのか、第三者から羨ましがられる王子の話なのか、幸福を振り撒く王子の話なのかよくわからないところがあるので、こっちのタイトルの方がより相応しいような気がしてくる。そんな経緯もありながらこのようなタイトルにしたのは、「特別な事情がない場合はとりあえずデファクトスタンダードに従おう」というアグリーな判断にほかならない。私とて、矮小な一日本人に過ぎないのです。

※577はmelancholyの数価。


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〇、Liber 577 または幸福な王子の憂鬱の書。


一、ねじれたオルガンの音/月の照りつける川……


二、初夏の青空の下、そんな歌を口ずさみながらフラワーロードを歩く王子の姿がありました。


三、どうして、こんなところを歩いているのでしょう。


四、フラワーロードを歩け! ルー・リード氏は言ったそうです。


五、嘘だけど。


六、王子が、自分のことを王子として意識するようになったのはいつのことだったか? それは、知らない誰かから突然『王子様』と呼ばれた、その瞬間からでした。


七、どうせ、と王子は自嘲的に吐き捨てます。自分じゃ、自分に気づくことなどできやしない。


八、実を言うと彼は、「王子様」と呼ばわるその声を、最初のうちはシンプルにシカトしていたのですが、あまりにリフレインがしつっこかったので_ひつこい、という訛り方を王子は嫌悪していました_少し迷惑そうな顔をしてはいたのですが、ついつい、応じてしまったようです。


九、王子は言いました。人違いでは?


一〇、ンな訳ないよ。この目で見たんだから。


一一、見たって、何を?


一二、動かし難い証拠を!


一三、どんな?


一四、あなたはお父さんの息子であり、同時にお母さんの息子でもある。


一五、そしてキミは妹の姉。


一六、ふざけないで!


一七、ふざけてなんかない。これをものの道理と言うんじゃないか。辛子とウスターソースで小さめの豚まんが食べたくなってきた。あと、台湾汁そば。名古屋式台湾ラーメンじゃなく、愛愛のやつね。


一八、王子はフラワーロードを左折し、元町方面へ向かいました。海側に少し行けば南京町です。愛愛とは反対方向でした。


一九、歩きながら、王子は思いました。僕は、中国の南京を知らない。知っているのは、神戸の南京町だけだ。春節だって、つい最近まで単純に神戸のお祭りだと思っていた。

自分の目に映り、小さな自分の頭の中で組み立てられた世界がいかに歪んだものかに思い至ると、王子は恥ずかしくてたまらず無駄にカッコつけながら、ハナザカリくんからペチったセッタを咥え、ジッポーで火を点けました。無意識のうちに、サックス吹きの友だちを真似ていたのです。


二〇、すると、どうでしょう。世界の歪みは、みるみる矯正されていったではありませんか。


二一、見よ、フラットな視座を獲得するための修行は古来より数多あれど、自分は、それをセブンスター1本で成し遂げた。


二二、そこに水を差したのがプリンセスで。(王子も、何となく予期はしていたようです)


二三、具体的に何をしたって言うの?


二四、宇宙全体を俯瞰しながら、煙草を1本吸った。それだけ。宇宙についての考え方を変えるには、煙草1本吸うだけの時間があれば充分だ。


二五、「全体を俯瞰する」って言い方、やめた方が良いよ。全体のつもりでも、フォーカスした瞬間それは<部分>でしかないんだから。片目でなら見てもかまわないと思うけど、もう片一方の目で常に余白を見つめること。


二六、さっそく、王子はやってみました。けれど、余白ばかり見つめていても、〆切は待ってくれません。


二七、「僕が望むのは、戦争と〆切のない世界だ」


二八、でも、〆切がなくなったら書かないんじゃない?


二九、僕は、自分がフォーカスするシニフィエの一つひとつに、正確に対応するシニフィアンの束を持っている。ただ、残念なことに、それらは他の誰かとシェアできるようなシロモノとは決定的に違う。それに、正直言うと、書いて良いのかどうか、ときどきわからなくなるんだ。


三〇、頼りない王子の混乱ぶりに呆れたプリンセスは、どこから取り出したかカードの束を小さな両手でぐちゃぐちゃにシャッフルすると、一枚引いてみて! 果たして、言われるがままに王子が引いたのは、21番「世界」のカードでしたが……


三一、何ホッとしてんのよ。バカじゃないの? 完成も、成就も、今のあなたには関係ないから。単に何も起こらない凪状態いいえ、むしろ停滞。もっと言えば、ちょっとした抑うつ状態を映しているだけなのに。呆れたもんね!




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一、つい昨日のこと、昨年のこと、2年か3年か前のこと、幼少期のこと……。ランダムに思い出しながら、王子は南京町を歩いておりました。


二、マズイ言い間違いをヤラカシたとき、安倍晋三は笑った。


三、何でそこで笑う? と外国人を怒らせる日本人は、実は多いのだと聞く。


四、なるほど、このように、言語を劣化させるのは、そこに付随するアティテュードである。


五、ソシュールが唱えた共時性/通時性のリンギスティッククロス。


六、それを立体視することに成功したのはチョムスキーであったが……、


七、バロウズがあっさりとバラバラにカットアップしてしまった。


八、あるいは、カットアップ前夜の物語。生成文法と生成意味論の勝負は、勝ち負けの問題ではなかった。


九、でたらめにカットアップされたテキストたらの、内容は何であるか? 何であり得るか? 内容。そんなものがあるとするなら、それは何か。それは、意味性でも文法性でもなく<感情>だということ。


一〇、カットアップされたテキストの切断面から立ち昇る叙情性の彼方に幻視されるのは、チョムスキーをして<デカルト的自由>と言わしめ、キャプテンが<セレマ的自由意志>と呼ぶところの<それ>である。


一一、任意の英文テキストをコピペして、自動翻訳にかける。生成された和文テキストをコピペして、自動翻訳にかける。生成された英文テキストをコピペして……。


一二、際限ない再帰翻訳で遊んでいると、意味性は確実に漂白され文法性も揺らぐが、正体のよくわからない叙情性は、相変わらずそこに在り続ける。


一三、または、隠れていた叙情性が、何かの拍子にふと顔を出す。


一四、言語がゲームである、とする仮説を頭から否定するつもりはないんだが。王子はそう言うと、深いため息を一つつきました。


一五、否定するつもりはないが、そこにプレイヤーとして生身の人間が関わることを必須条件とする/しないの違いは大きい。


一六、「これから生き残る仕事は?」みたいな議題を他人事として悠長に話しているよりか、生き残るための仕事とは何かを自分事として考えている方が、まあ健全ちゃ健全ではあるよね

誰かが、すれ違いざまにそんなことを言いました。


一七、上手くいきそうだね!


一八、何が? 声の主は、たぶんプリンセスでした。


一九、上手くいきそうだね!


二〇、上手くいくかどうか、そんなことは知らないけど、出涸らしのお茶はマズかった。参ったね。


二一、儀式的ななんかあれ。


二二、そう。なんかあれ、としか言えないけど。


二三、ほら、極度の緊張状態やなんかで、頭の中が真っ白になってしまったり……。


二四、しまったり?


二五、あと、無闇に悲観的になって、なったフリして、「お先真っ暗」とか言ってみたり。(大した話ではなかったようです)


二六、向こうのお母さんに聞く話では、ホワイトアウトは生まれ変わりと脱皮だよ。ブラックアウトは悟り。


二七、悟りと絶望はとても近いところにあるらしい。


二八、交番とフーゾク店がすぐ近くにあるみたいな?


二九、この前の航海でブラックアウトとホワイトアウトが起こったからもうすぐ赤化だね、って。


三〇、自室で本を読んでいる自分の足元を赤煉瓦が覆いつくすとき、僕は三角公園のベンチにテレポートしている筈だ。だから、脚を突っ張って踏みとどまってる。


三一、あっちのお母さんに申し訳なくて。




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一、王子は、悩んでいるのです。ビフカツにするか、飲茶にするか。


二、ああ、僕には、結果がどうであれそれをやってみるだけの勇気も、意味不明の衝動を抑える自制心も、どちらもない。


三、「それで良い」と泥粋和尚は言いました。


四、ビフカツであろうと、飲茶であろうと、好きにすれば良い。ただし、そなた自身がビフカツや飲茶にならぬように。汝、消費できないコンテンツであれ!


五、東門で、王子は見ました。何かのお礼、または大切なディールたらに際して、自らを消費の対象として差し出す人たちを。


六、消費されるのではなく、する者であれ。と?


七、ポジションどりの問題ではない。と、泥粋和尚は答えました。


八、結局そうやって、議論のゴザをひっくり返すような冷笑的態度を良しとされるのですね? あなたはいつでも、単に般若湯に泥酔しているだけだ!


九、その時、どこからか声が聴こえました。

<世界を可視化する>とは、どういうことか?


一〇、どこから聴こえるのか、誰の声かもわからないまま、王子は応えて言いました。

妄念の目隠しをとること。それから、自分の頭の中に入るように対象を小さくすること。物理的にサイズを小さくすることかも知れないし、データ容量の話かも知れない。いや、それどころか、場合によっちゃ見える範囲を制限することかも知れない。


一一、トリミングの話かよ!


一二、酔っぱらいは黙ってろ! 画角よりは被写界深度の問題なんだけど、まあ良いや。

<生命の木>の任意のセフィラーの中に、別レイヤーの<生命の木>全体をまるごと想定することができる。このようにして、小さく設えた世界のミニチュア深淵を越えることは、実は案外容易い。


一三、すると<声>は、天使の誘惑スタイルで、王子を問い詰めます。

それで、お前は<待ってさえいれば、それで良い>と考えるのかい?


一四、キリスト教が待つことならば、イスラム教は従うことであり、仏教は諦めることでしょう。


一五、<声>を無視して、王子は続けます。


一六、ラング⇔パロール/Universarity⇔Locarity/チャンスオペレーション⇔フリーインプロヴィゼーション……。これらすべての矛盾の仮設定フレームを窓として作業を始める場合、<演算的最適化⇔カットアップ>が欠かせないというジョーク!


一七、別の声が言いました。何やってるんだろ。遅いね、って。みんな言ってるよ。


一八、その<みんな>は結局、


一九、石頭で頑張ってね! そう言い残して、プリンセスはどこかへ行ってしまいました。


二〇、<待ってさえいれば、それで良い>とは、流石に思えない。それじゃ、と王子は考えます。何をモチベーションに動けば良いか?


二一、浅ましい人たちが、浅ましく通りを行き来している昼下がりでした。


二二、人が、いかなる場面においても損得勘定だけで動ける存在であるのならば、演算的最適化の手法で漏れなく救われる。その場合、世界は単なるオブジェクト指向のプログラムに過ぎないのだから。


二三、志に燃える人々の一群が、まさに正しきを成さんと駆け抜けて行きました。


二四、正義が迷惑なのは既にコモンセンスだ。それに僕は、もう何年も怒りをモチベーションとして動いたことがないし、今となってはいかなる復讐の動機も持たない。強いて言うなら、多少興味がないでもないのは復讐の連鎖を止めるゲームぐらいのものだ。


二五、欲望に忠実な一組の男女が(※削除)


二六、素晴らしい! でも、僕にはできない。


二七、自分は、単なる天邪鬼なんだろうか……。王子の自問自答は、何コーラスも続きました。


二八、あれ、いつから来てるの? かなりご機嫌みたいだけど。


二九、かれこれ五十六億七千万年ほどこうしてる。


三〇、はいはい。それはそうと、もうじき友達にあえるよ。


三一、等身大の邪(よこしま)と憂鬱を抱え、わたしは今しばらくここに留まろう。










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