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海のない島



子犬のワルツ/枯山水にて御座候ふ


 ヨオ! トイレから出てきた自分の肩を、誰かが叩く。振り向くと、そいつは福笹を持った自分で。ヨオ! えべっさんの帰りや。
    (うんと端折れば、そんなお噺です)


  

一、



 雨が降っている。雨粒の連打を受けて、ロフトの天窓が案外淡白な音を立てている。雨音に感傷を覚えるのは人間の心の仕業であり、現実の雨は、ただ軽快に降っている。てか、《軽快》と感じるもしくは意味づけているのも、やはり人間のどこぞまたは全体の仕業に違いなく。小さな天窓の硝子面に当たる雨は、西洋音楽の記譜法を含む人間の仕業とは一切関係なく一定のリズムを刻んでいる。
 晴れた日には、内装に赤黒い節の目立つパイン材が使ってあるせいもあっつて、サウナを彷彿させる熱気も、空気中の埃を一つひとつくっきりと照射する日射しも、どっちもどっちでやり切れないが、今は、そこから光が入って来ていることにさえ気づかないぐらいやわらかなトップライトが心地よく。まるで、般若湯抜きで湯豆腐をいただいているような心持ちがして、清々しいのか味気ないのかよくわからないが、ともかく、面倒な片付けものも苦にならない。

「わあ、かわいい……ねえママ見て、かわいい……」
 中学生の長女の目が、古い猫脚のアップライトピアノに釘付けになる。母親は目を細め、娘とピアノを交互に眺めている。娘は、透けて見える木目を直接手でなぞりたくなるのを何とか我慢したものの、ピアノの前から動けずにいる。
 小学校入学まで、あと二年か三年といったところだろうか。妹か弟かわからない二人が、とろとろになったガーゼのハンカチを手に、甲高い奇声を発しながら(私はそれを《赤ちゃん超音波》と呼んでいる)置き畳に見える竹製のラグマットに頬っぺたをくっつけて遊んでいる。さみしい糸出てる? 

 ベイブなガーグン/みんなー、ちっちゃグーがはじまるよー。ちっちゃグっ、ちっちゃグっ、ちっちゃグっ、ちっちゃグっ……(よくわからない)。

「さあ、三階のお部屋見に行きましょ」
寝転んでいた二人は、赤ちゃん超音波は使わずはーいと長い返事をして起き上がり、肩に手を置いて促された長女は、ゆっくりピアノから離れ、時々後ろを振り向きながら、母親を追って階段を昇る。
 先に階段を昇り切った母親は、正面のドアを開けて入るなり天井を見上げ、高さを確認。
「ハシゴかあ、何年ぶりかなあ。ちょっとこわいかも」
 母親は母親で微妙にはしゃいでいるらしい。無事、梯子を昇り切って彼女は言う。
「うーん……アトリエにはちょっと狭いかな。立ちポーズは無理そうだし」
「何言ってんのよママ、ロフトって収納スペースでしょ」

 天井が低く、立ちポーズを取るモデルの頭上に余裕がないロフトなら、まあ普通には収納スペースだろう。シーズンオフのアイテムも、思い出の品々も、趣味のコレクションや道具類やなんかもそこそこしまえるが、アトリエという発想はなかった。まったく、他人の頭の中はわからない。
 小学校の教室で泣きながら大便を漏らしたクラスメイトの場合もそうだった。その頃の私たちは、もしかしたら男子生徒の間だけだったかも知れないが、学校のトイレでうんこするのは恥だという価値観だか美意識だかを確かに共有していた。してはいたが、着衣のままでちびること以上に恥ずかしいとまで思えなかった私は、純粋な疑問から、机に突っ伏して泣きじゃくる級友に小声で尋ねた。何でトイレ行かんかったん? 予期せぬ罵声が返ってきた。アホウ、学校のトイレでクソなんてそんな情けないことができるかいっ。貴様それでも男か!
 頭の中だか心の中だか知らんが、他人の考えていることだけは本当に想像もつかない。今しがた、ロフトをアトリエとして見ていることを長女からたしなめられた母親だって、私がかつて、そこにパイプオルガンを設置しようとしていたなど夢にも思わないだろう。今もあるのかどうか、住宅に設置というより施工できるパイプオルガンを、国内の楽器メーカーが製造していた。ナントカホールやナントカ大聖堂のようなスケールとは違ったが、小さくても立派な本物のパイプオルガンだ。
 施工例写真のロケ撮にも同行した。件の楽器は、その住宅が竣工したときから当たり前に部屋とともにある造り付け家具のように、あるいは天井面と壁面をほんのり照らす建築化照明のように、空間の一部としてそこに溶け込んでいた。と言うより、空間そのものだった。それでいて、それ自体独立した生命体であることが自ずとバレてしまうような、どこかしら昆虫の擬態を思わせるところがあって。私はそれを欲しいと思った。そして、ロフト付きの娘の部屋は、自宅の中で最も、もとい唯一天井の高い空間だった。カタログを眺めながらニヤニヤしているところを、当時高校生だった娘に見つかり何それと尋ねられた。
「パイプオルガンなんは見たらわかるけど、誰が弾くの?」
 曖昧に視線を逸らし口ごもる父親に言い聞かせるような口調で、彼女は続けた。
「あたし、オルガンにも、オルガン曲にも、今のところ興味ありません」
 部屋にパイプオルガンを設置しないでくれとは言わなかったが、要するに鳴らしたいのなら練習して自分で弾いてくれと。
「当分ピアノだけに集中したいから」
 そんな訳で私は、幻視してしまう。屋根の勾配に傾斜している天井近くにある破風の両サイドに、円筒形の連なりが規則正しく流れるような陰影を刻んでいる。すぐ上のロフトでは、娘がオルガンを弾いている。要するに、そこは間違ってもアトリエなどではない。
 電話の着信音が聴こえた。

 はいども。いえいえ私は大丈夫ですよ(電話は昔から好きではないが、気が向いたときは質問に答える)。へえーその言い方生きてるんだ。一通りプレゼンが終わって、質疑応答の中で見積りにツッコミが入ったんですよ。サイトリニューアルは完了してるのに、何でこんなにかかるんですか。悪意はなかった。と思う。ないんだけど、素朴にわからない感じで。ヒューマンチェック? それこそAIで何とかならないの、とかね。それで営業担当者がリアルの施設、確か工場を引き合いに出して。そう、AI殺戮兵器は実際の戦争じゃ使われてなかった。かどうか知れたもんじゃないけど、某メトロのお茶目な誤訳なんかも未だ話題になる前だったんで。建物が完成して、必要な設備の導入も済んで、いざ稼動、運用段階て言ったかな。そうなってからの話なんだけど、とにかく最後、決めゼリフ的に
「やはり巡回警備は欠かせませんよね」

 答になっていただろうか。

 さて、何が飛び出すか、どんな感傷が呼び覚まされるか、びっくり箱のような段ボールを一つひとつ開けていく。《おかあさん》《わたし》《おとうさん》と、それぞれの人物にキャプションの入った絵が出てくる。三人は手をつないでいる。今日は、幼稚園時代の箱を開けたようだ。
 時間に追われ続けていた私は、気がつくと時間を追う者になっていた。


 例えば、小さな製菓工場と大きなタマリンドの樹とは、いかにも不釣り合い。リゾートなのか、工場なのかはっきりしろと思われるやも知れませんね。わたしもそう思います。ですが、ここはリゾート風工場用地とでも呼ぶべき特異な景観で知られています。純和風の建屋と、南の島のリゾートを思わせる樹々のミスマッチには、誰だって首を傾げたくなるでしょう。でも、南の島にだって工場はありますし、この一角は工場エリアなんです。宿泊施設はありません。
 この島、実際には島じゃないし遊園地でもない通称《キリコランド》は、大きく四つの区画に分かれています。工場ゾーンのほかに、いろんな研究施設が集まるラボゾーン、研究室に納まらない大型の装置というか大がかりな何やかやが集まる屋外設備ゾーン、そしてホテルのあるリゾートゾーン。そのうち、わたしが最も違和感を覚えるのは、やはり工場ゾーンの景観です。何というか、さっきも言いましたけど《工場ゾーン》の名に反して、南国のリゾートを思わせる樹々が場違いなムードを醸し出している、これはどうしたことでしょう。まずは、そのへんから始めましょう。
 各ゾーンの景観には、三姉妹それぞれのキャラクターが色濃く反映されています。そう、彼女たちこそ、キリコランドのそれぞれの区画を統括する責任者で、このあたり一帯の地主の娘なんです。四区画と三姉妹では数が合わないじゃないか? そう、合いません。
 三姉妹の話をしましょう。キリコランドの物語は、彼女たちの物語にほかならないのですから。歳は、ほぼ二歳ずつ離れています。長女の一子(何て読むんでしょうか)は、明るく活発で社交的。幼稚園へ通うようになると、男の子中心のグループに交ってサッカーに興じ誰よりも多くゴールを決めていたそうです。次女のフジコ(漢字はどう書くんでしょうか)は、姉とは対照的に物静か。お絵描きをしたり本を読んだり、一人で過ごす時間が好きだった。そして三女のサトミ(次女に同じ)は、二人を足して二で割ったような性格。と思ったら大間違いで、与えられた玩具を片っ端からバラバラに分解してみたり、庭で訳のわからない虫を捕まえてきては母親に悲鳴を上げさせるなど、小学校に入学する前からリケジョの片鱗を見せていたそうです。そんなふうに性格も、興味の対象も、まるで何かのテンプレをなぞったかのように幼い頃から三者三様だったといいます。
 活発で社交的な長女は、地元の大学で経営戦略を学んだ後、アメリカに留学してMBA(役に立たないと言う人もいますが)を取得。物静かでお絵描き好きの次女は、姉が地元の大学に入学してから二年後に美大へ進み、絵を描き続けました。次女から更に二年遅れて、幼い頃からリケジョの片鱗を見せていた三女は、今よりももっとずっと女子率の低かった工学部へ進みます。そして大学院では、何だったかな、学部生時代とはまたちょっと違ったテーマの研究に取り組んでいたようです。
 そんな三姉妹が、どういう経緯で、キリコランドの語源とも言われる濃い霧たち昇るこの《島》で、それぞれの区画の責任者になったのか。三姉妹と四区画では数が合わないが、それはどうしてか。
 後者の問いに対する答は単純で、三女が二つの区画、ラボゾーンと屋外設備ゾーンの責任者を兼ねているからです。前者の問いに対する答は、公表されている資料に片っ端から目を通してもはっきりせず、なしくずし的にそうなったのかな、と、わたしなんかは想像しています。
 すべての父親は、娘の本気を持て余します。失礼、適切な表現ではありませんでした。気圧されると言うんでしょうか、気後れしてしまうんですね。わたしもそうです。いや、もっと単純に酷いこともあります。つい先週も社長に誘われてじゃないや誘っていただきまして、妻と四歳になる娘を伴って、社長が最近気に入ってよく利用しているというイタリアンの店にご相伴に……そこまで馬鹿丁寧に言う必要もないんですがご一緒する機会がありました。大丈夫かなと軽い不安はあったんですが、案の定、途中で退屈になった娘がぐずりはじめまして、
「サイゼリヤ行きたい」
って言い出すんですよ。マクドやミスドならまだしも、何で選りに選ってサイゼリヤなんだ。一瞬、生きた心地しませんでしたね。そんなふうに、まあ、この話はちょっと意味が違うのかも知れませんが。何でしたっけ。そのへんについては、三人の娘に対する父親の態度からして、あんまりこう、はっきりしなかったんじゃないでしょうか。
 三姉妹の話でしたね。彼女らは、大人になってからの趣味も三者三様。リゾートゾーンを統括する長女については、海と空両方のダイビング、サーフィンやスノボなどがよく言われますが、実は大の猫好き温泉好きでもある。お酒も結構いけるクチのようですが、中でも日本酒、それに焼酎がお好きなようです。ご本人は隠す素振りなど見せないんですが、なぜかこのあたりについて触れられることはなくなった。このあたり、イメージ的に好ましくないと判断した身内の誰かがメディアに働きかけているんでしょう。誰だと思われます?
 飲んべえのカッコイイお姉さん、といった打ち出され方をまずいと警戒する気持ちはわかります。わかるんですが、わたしが引っかかるのは、そのあたりを過剰に気にするあまりの、何というか、あまりにガチガチでどうにも的外れな判断です。確かに、《できる女が酒を嗜む》のがカッコ良かったのは前世紀の話です。ですが、《酒を飲まないのがカッコイイ》というのもまた、前世紀の美意識です。飲む飲まないは本人の自由だし、それがその人の仕事や人物そのものの評価に結びつくことはありません。まあ、このへんについてはいろんな意見や憶測がありますが、一番の、そしてたぶん唯一の問題は、その判断を行った人間の《脳内カッコイイ》が今、無茶苦茶カッコ悪いことになってしまっていること。しかも、おそらくは本人だけが、そのことに気づいていません。ビジネスとしてクールに割り切り戦略的に選択したつもりかも知れませんが、結局のところ前世紀の基準をそのまま裏返して、三姉妹の長女を《カッコイイお姉さん》として売り出そうという二十世紀的錯乱、己の目論見が上手く運んだ場合を想像して見返りを期待する浅ましさ、大切なところ《だけ》目に入らない致命的な感覚……。言いたいことは山ほどありますがこのへんにしときましょう。
 学生時代からの一子さんの南国趣味は変わっていません。一方、工場ゾーンの責任者で小さい頃からお絵描きが好きだった次女のフジコさんは、美大在学中からガラス工芸に取り憑かれ、今では作家としてのもう一つの顔を持つに至っています。彼女が子どもの頃から大好きだった画家が、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて活躍し、南国の動植物をモチーフにした幻想的な作品を多く残したアンリ・ルソーです。そうです。正反対のように語られることが多い長女と次女は、実は南国趣味で通じ合っていて、そのことがリゾート風工場地区の特異な景観に反映されています。
 ラボゾーンと屋外設備ゾーンを統括する三女のサトミさんは、プライベートを一切公開しないミステリアスな人です。ネット上では《マッド才媛ティスト》といった軽い悪意と羨望がない混ぜになった揶揄を目にしますが、特にエキセントリックなところもなく実際に会ってみると、とても気さくな人なんだそうです。単に、メディアの取材には頑として応じず、SNSに自撮りや食事の写真をアップすることもなければ、観た映画の感想を書き込むこともない。単にそれだけの話です。ただ、この人、異常と言って良いほど頻繁に手を洗うらしい。なので、よほど神経質でエキセントリックな人に違いない。そんな噂が広まりました。彼女のラボで働いていたことがあるわたしの知人によると、噂の半分は本当で半分は出鱈目。確かに、サトミさんは頻繁に手を洗っていたそうです。でもそれは神経質だからではなく、好物のチョコフレークを片時も手放さず仕事中にも食べていたから。というのが正解なんです。手がベタベタになってしまったら、そりゃあ洗うしかありませんよね。
 新工場については、そのうちわかるんじゃないでしょうか。

 掛橋です。朝早くからすんません。やー拍子抜けつーか、参りましたよホンマ。こっちは文字校しかやったことないのに、巡回警備とか言うときながら詳細マニュアルはおろか基本的なガイドラインすらない。どころか、まったく手順決まってないんすよフリージャズですかこれ。表示崩れやリンク切れぐらいならまあ真面目にやれば見つけられるでしょうけど、自動応答ページの動作確認とか何ですかそれ、そんなん知りませんし。てか、誰が言いだしたんですか。ああ、あのオッサン。まあ、新幹線で出張校正行くよりかは楽ですけど、こーゆーの自宅警備て言うんですかね。


 阿保見隊員は自宅警備じゃなくて巡回警備中。パン工場とチョコレート工場の間の道を走り抜けると南洋植物の大きな葉陰の下、右手に平屋建ての新工場が見えてくる。パン工場ではパンをつくっているだろうし、チョコレート工場ではチョコレートをつくっている。でも、新工場では何をつくっているのか想像もつかない。阿保見は、取り留めもなくそんなことを思いながら急ブレーキを掛けて止まると、黒い無線機を片手に、白っぽいセラミックの壁面を見上げる。
「こちらアボミ、A地点に到着しましたどうぞ」
「えらく時間かかってるな。また道に迷ったか」
 あからさまに嘲笑を含んだ調子で、先輩隊員が応える。
「いえ、迷ってはいませんが周りの風景が少し変わっているようです。どうぞ」
「どういうことだ」
先輩の不機嫌には理由があった。つい先週、新しい制服のサンプルが阿保見の指導担当を含む古参隊員たちのところに回ってきた。

「何を考えとる。いや、何も考えとらんだろコイツら」
 阿保見の指導担当隊員は、一瞥するなり声を荒げた。害鳥獣駆除業者の制服と同じ色なのが気に入らなかったらしい。
「勘違いするなよ。俺の好みなんてどうでも良いんだ。俺はそんなことを言ってるんじゃない」
 もうすぐ、烏の巣が一掃される。自分たちの巣を駆除された烏は、それをやった人間を憶えていて攻撃してくるのだという。
「犯人と同じ色の制服を着てたんじゃ、我々は必ず狙われる」

 思い出しつつ、今日の阿保見は落ち着いて対応することができた。
「新工場の位置には、前回の巡回のときは確か、小洒落たコテージか何かがあった気がします」
「気がするだけだろうが」
 正直に話しても言い訳にしか聞こえない話が、あっさり、途中で切られる。
「それと、そのズズ汚れたスラックスは、ちゃんとクリーニングに出しとけ」


 人造イクラ。開発段階で少し手伝った自分としては、ようやくにしてこの日が来たかと感無量で。「人造イクラ」の文字が掲げられてないのは少し残念だけど、特許関連のよろず手続きが未だ完了していないとかいろいろあったんでしょうよ。とにかく今はまだ「新工場」としか表記できない。または、したくない。んじゃないかな。
 当時の僕は、開発者の経営する店でアルバイトをしていて。もっと言えば、その後一時、彼が設立した会社に所属してもいた。僕が働いていたのは《コスプレしゃぶしゃぶ&すき焼き》の店で、ホールはいつもナース服を着たバイトの女の子たちであふれていた。いやいや、ノーパンしゃぶしゃぶはもっと上の世代の話。僕が働いていた店は《ノーパン》じゃなくて《コスプレ》。オタク世代が管理職に就くようになってからオープンしたらしいその店は、当初から会社の宴会に用いられることが多くて、どうせすぐ潰れるだろうという近隣の何て言うんだろう、ユルく同業者らの予想に反して街に定着し、地上波テレビのビジネスもの特番でも取り上げられるなど、ある意味《時代の最先端を行く(笑)》店として知られるようになった。テレビでは、店内の様子やオーナーのインタビューは流れるものの、店の場所については大阪某所としか触れられず《知る人ぞ知る》隠れ家的ポジションをギリギリのところで巧みに保っていたと言える。
 何でナースか? 代表(オーナーのことを僕たちはそう呼んでいた)が昔、店を開くより前、交通事故で入院していた時の話。一命は取り留めたものの身体の自由が利かず、半ば腐って食べることさえ拒んでいた時期があったそうだ。信じられない? まあ、食欲もなかったんだとは思うけど、すっかり自暴自棄状態だったらしい。それでも、何だかんだと言って励ましてくれる担当の看護士さんに申し訳ないという気持もあって、社交辞令的に日に三度の病院食を摂るようになった。そこから、代表の体調は劇的に回復していったそうだ。
「ナースに勧められたものを食べれば確実に元気になる。これこそが、俺の知るトゥルースたらだ」
 代表は、よくそう言ってたよ。
 コスプレ飲食店のバイトは、さしてキツくはなかったけどオペレーションがまずいせいで無駄にバタバタすることが多かった。開店と同時に団体客が来たとかで厨房から応援を求められて駆けつけると、
「すまんがホールに出てくれ」
 要領を得ないでいると、
「早く割り下を足せ」
と怒鳴る客がいるので、はいただいま! とか言って慌てて走って行ったりね。幸いそのワリシタおじさんの場合、心配したほど怒ってなかったんでホッとしたけど。
「関西じゃ割り下使うん邪道やんな」
 フォローのつもりか、連れの一人が日本語非母語話者のシャッチョサン的に妙なイントネーションの関西弁で話しかけてきた。今も昔も、僕はこれが苦手で……俺らの方言は、都合の悪い成り行きを笑って誤魔化したり、破綻したロジックで相手を恫喝するためにある訳やないからな。まあそれはさて置き、別の連れが言う。
「先輩はアレだ。結局は慣れた味が良いってことなんでしょ」
「最初から入ってたじゃないか」
 何だか話が見えない。
「使う量が違うってこと?」
「まったく使わないスタイルもあるよ。実はな」
 微妙にあるいはまったく噛み合わないまま、各自が思い思いにこだわりを語りはじめる。すき焼きの前に「コスプレ」の四文字がつく店をわざわざ選ぶようなクソサラリーマンが何を。キャバクラでスコッチのシングルモルトについての場違いな蘊蓄を聞かされたときって、こんな気持ちなんだろうか。つい、何か余計な返しをかましたくなったがそんな余裕もなく次の団体客が入店し、二階の座敷以外いきなり満員御礼。ロッカールームでちんたら着替えていたバイトの女の子たちが揃いのナース服姿でぞろぞろ登場したのと入れ替わりに、僕は厨房に引っ込んだ。
 人造イクラの原料は、処女の涙。僕はバイト先のコスプレ飲食店や近くの居酒屋で働いている女の子たちを集めて、潰さないように涙を落とすレクチャーを、サックス吹きのハナザカリくんと一緒に何度かやった。彼女たちがヴァージンだったか? それはわからない。ンなもん確認できる訳ないでしょ。
 実は、代表が一番気にしていたのが、この《差別的な製法》の問題。一時は小学校の女子児童限定で涙を集めようとしてたけど、考えようによっちゃ余計にまずい。しかも、《潰さないように涙を落とす》スキルを習得させるのにも更にコストが嵩むというので、それは取り止めになった。
 先に着いていた女の子たちが一斉に《遅い》という視線を投げてよこしたので、僕たちは早速実技指導に入る。と言っても、ハナザカリくんは横でガンガン飲んでるだけ。ナマチュウお代わり? いい気なもんだね。しかしながら既に十二時をまわっていたので、いちいち文句言ってる暇はない。閉店までに一通り説明を終えることを念頭に、実質的に僕一人でレクチャーを進めた。テーブルを挟んで僕らと向い合せに座っている三人は、揃って同じ角度に俯いて息を殺し、目に涙を溜めている。店員が、怪訝な顔つきで見ている。何となく居心地悪そうにしていた隣りのテーブル席のカップルは、飲みさしのカシスオレンジ(たぶん)とハイボールを残して帰ってしまった。だが、ここでメゲる訳にはいかない。
 言葉で説明すると身も蓋もないほど簡単に済んでしまうけど、潰れないように涙を落とすのはとても難しい。瞬きをせずにいると、目に涙が溜まる。いっぱいになったら、自然とこぼれるままにまかせる。手順を説明するとそれだけの話だが、実際には、既に涙は目からあふれ出そうとしているのに、表面張力のせいでなかなか落下してくれない。無理に絞り出すと涙は簡単に潰れ、頬を伝って流れてしまう。だから、そう、ゆっくり……そーっと……静かーに……って、どの程度? だから、涙が潰れない程度に。別に喧嘩売ってる訳じゃなくて、本当に、そこはそうとしか言えない。まったく、痒いところを他人に掻いてもらうのと同じくらいもどかしい。講師の能力の問題と言われればそれまでだけど、こればかりは実践を通じて各自コツをつかんでもらうより仕方がない。
 またオンナ泣かしよったんか。とハナザカリくんに茶々を入れられても、僕には言い返す余裕すらなかった。勘の良い子がすぐに要領をつかんでしまうことも、まあ、なくはないけど、その場合にしたって、いきなり正確に目標の容器の中に涙をこぼせるかというと、これはもう、ほとんど奇跡に近い。その夜の仲良し三人組も、目の前で悪戦苦闘していた。
 照明が少し明るくなり、それにつれてBGMの音量も少し上がる。曲が変わり(アイラーの『ゴーイングホーム』(☆1)やったかな。いや違う、サックスなんか入ってなかった)ブルースハープのくぐもった音色が懐かしい(お察しくださいそろそろ閉店ですよ!)風情で店内に響く。僕たちは、決して飲み物をぶちまけるような真似はしなかったが、テーブルの上は女の子たちの涙で、すっかりびしょびしょになっていた。
 涙の粒を潰さずに落とすことができたとしても、ガラスの容器の内壁に当たった瞬間に儚く消えてしまう。何て無駄な努力を? それは違う。落下していく途中で、涙の粒の表面に自らを守る薄い皮膜を作ることができれば、涙の一粒一粒はそのまま透明なイクラ状になる。代表は、落下中の涙の粒の表面をそんな皮膜に変えてしまう特殊な気体の開発に取り組んでいたし、女の子たちは、潰さないように涙を落とすトレーニングを続け確実に上達していた。
 そんなことより、島の景観がしょっちゅう変わるのは、どうしてだと思う?




二、



 阿保見隊員は、気を取り直して巡回の準備中。最近できたひと回り年上の後輩が馴れ馴れしいを通り越して尊大なタメ口で話しかけてくる。
「それにしても、ちょっと働き過ぎだな。副業もやってるそうじゃないか」
「貧乏だから仕方ないですよ」
「貧乏って、アボミ君家族いないよな。で、酒も煙草もやらないんならお金なんかいらないじゃん」
 お金って、家族か酒か煙草以外に使ったら駄目なんですか。出かけた言葉を飲み込んで
「年金受給者と一緒にされても困るんだけど」
と返したが、余計にケンのある物言いになってしまう。

「涼しい部屋でモニター画面を見てるだけで何が巡回だフザケんな羨ましい」
 阿保見は独り言ち、ずぶ濡れの髪にタオルを被せ、わさわさと動かしながら正面を見上げる。
 ひとしきり強く降った夕立が上がると、チョコレートに彩られたキューブ状の建物の上に、たった今雨で洗われたばかりの透明度の高い青空が広がり、キリコの絵の中にでも迷い込んだような感覚に襲われる。
「こちら管制室、アボミ隊員応答願いますっ!」
 無線機から聞こえるノイズ混じりの声に叩き起こされるように我に返る。
「こちらアボミ」
「何しとる」
「はっ、雨宿りをしておりました」
「雨なんてとっくに上がっとるだろうが。状況報告願います、どうぞ」
「ガラス工房もとい工場の前を確か左に曲がったんですがなぜかホテルの前に出てしまいましてですね……そこで夕立に会いました。どうぞ」
「ンな訳ないだろう。どこで間違えたか知らんが」
「間違えてなどおりません!」
「大きな声を出すんじゃない。とにかく、いったんA地点に戻ってから再度B地点を目指してくださいどうぞ」
「了解」
 努めて冷静に応えつつ、何が了解なのか自分でもさっぱりわからない。
 確かに、不用意に大声で話すべき内容じゃなかったな。阿保見は口をへの字に歪め、自嘲的に振り返る。
 話すときは大きな声でハキハキと(耳の遠い隊員が少なくないという事情を、彼は後日知った)、一つひとつの動作にメリハリをつけてビシッと。研修のときに聞いた言葉をランダムに反芻する。《見せる警備》という考え方も、その時に知った。効果的に見せるためにも、ハキハキ、ビシッと……。自分は、それを愚直なまでに忠実に実行してきた。だが、それ故にと言うべきか、小馬鹿にした物言いをされた瞬間カチンときて高ぶる感情を制御できなくなってしまうことがある。
 おう、元気があって良いねと言ってやりたいところだが、お前いったい誰にアピールしているつもりだ……。以前、先輩に言われた言葉が、脳内で再生される。……雇い主か、施設のスタッフか、訪問者か。訪問者なら用件は何だ。作業をしに来たのか、商談に来たのか、休日を過ごしに来たのか。それとも、島内で何か悪サをしてやろうと企むテロリストか、コソ泥か。
 大声を出したのは、確かに不適切だった。特にラボゾーンには、先端技術に関わる機密情報狙いのスパイが常時潜入しているともっぱらの噂だ。そいつらに聞かれるようなことがあっては流石にマズイ。悪いのは無線機に向かって怒鳴っていた自分か、先に嫌味を言ってきた管制室(普通に守衛室で良くね?)側か、それとも警備体制そのものがズルズルだから駄目なのか。そんなことを言い争っても意味はない。あ、ここ意外と警備ユルイな。そう思われたらどうなるか。奴らは、勇気を得てミッションの次の段階に進みかねない。など思いつつラボゾーンを目指したのだが……。まずい、また周囲の景色が変わっている。前回の巡回のときは確か、ガラス工房の前を左に曲がると、椰子の木陰に第一研究棟が白っぽい円筒形の姿を見せた。雨上がりの空の透明度が高過ぎたため自分の頭脳は底抜けになってしまい、今見ている景色と以前見た景色の区別がつかなくなったんだろうか。
「とにかく」
と、阿保見は自分に言い聞かせるように声に出し、帰ったら久々にジョルジョ・デ・キリコの画集を開いてゆっくり見ようと心に決める。


 ハナザカリくんの説によると、キリコランドの外周部分は常にメリーゴーランドよろしくぐるぐる回って見える。この《島》の風景が時折予想を超えた変化を見せるのはそのためであって、決して阿保見さんの頭脳の底が抜けてしまったからではない。この仮説が正しいとするなら、同じ地点から眺めたとしても、日によって時間帯によって、見える景色が違うのが当たり前ということになる。今日は、人造イクラはひとまず置いといて、そのへんの話をしよう。

「駐車場のターンテーブルみたいなもんや」
とハナザカリくんは、こともなげに言った。そして、自分の感覚では本当はキリコランドの内周の方がそんな感じなんだと。でも実際のところ、内周が回っているのか、外周が回っているのか、そこのところは、我々人間にはどちらとも言えない。
「地動説/天動説みたいなもん」

 この、サックス吹きの友人のライブに、一度だけ行ったことがある。
「俺のアルトの朝顔の中にコビトが棲み着いとったんや」
と、彼は説明してくれたけど、何のこっちゃ。
 その日、というのは問題のライブがあった日、僕がこの目で見たこと《だけ》お伝えしよう。
 セッティングの細部が微妙に気に入らないのか、ドラマー氏はシンバルスタンドをやや手前に引き寄せたり元に戻したり、椅子の高さを上げたり下げたり何とも落ち着きがなく、ベーシストは、広げた譜面の間から滑り落ちたチェキをワッワッワッ何すんねんと言いながら拾って内ポケットにしまったり。ワンセット目は和やかというか、何だか締まらない感じでスタート。する筈だったが、マウスピースを咥えたサックス奏者 花盛唱吹は、ピアノのイントロが終っても一向に音を出さない。最初のうちは、まばらな笑いが起こったりしていたが、だんだん不穏な空気がハコ全体に漂いはじめ。
 おい、どないしたんや。ジャケットの内ポケットに秘密の写真を隠し持つベーシストが声をかけても、その日のハナザカリくんはマウスピースを咥えたまま微動だにしなかった。業を煮やしたピアニストがテーマのメロディを奏ではじめ、見た目クァルテットの実質トリオはスタンダードナンバーを何曲か演奏し、拍手ももらって何とか無事ワンセット目のステージを終えた。
 ベーシストが写真を落とさなかった点を除くと、ツーセット目もほぼ同じ展開だったが、客の視線に耐えられなくなったのか、二曲目のツーコーラス目でハナザカリくんは、その日初めての音を出した。出したのは良いんだけど、サックスの朝顔の部分からは音といっしょに音符の形をした煤のようなものが舞い上がった。
 以上、僕が見たのはそれだけ。

 実は、この《島》は以前から一部でそこそこ有名なミステリースポットでもあった。本来そこにあってはいけないものがいきなり姿を現したり、逆にある筈のものが忽然と姿を消したり、不思議なことが当たり前のように頻発するともっぱらの噂で。その多くが夏から秋にかけて起こっていることから、一時は天然の蜃気楼説が有力だった。なるほど、ホテル本館のつるんとした壁面にまとわりつく陽炎が強固な空間の理屈をゆらゆら揺るがせる様子や、クルマのボンネットの先にぽやぽや湧き出す逃げ水なんかを見ていると、大概のことは簡単に起こりそうな気がしてくる。
 僕が今、自然現象である蜃気楼についてわざわざ《天然の》と断ったのは人工蜃気楼説と区別するためだ。陽炎も逃げ水もいかにも日本の夏だけど、この国はアラビアンナイトの舞台じゃない。なのに、蜃気楼なんて本当に見えるのか? 知るかそんなもん! 僕自身見たことないし、僕は《蜃気楼》だと断言した覚えはない。ただ、乞われるままに《キリコランドの蜃気楼》について聞き知っていることを話したまでだ。
 人工蜃気楼説については、信じるに値する情報は皆無と言って良い。でも、ある種の人たち、今自分に見えているものしか見ようとしない、見えるものしか信じない、または信じたいことしか信じない、でもいったん信じたら実際にないものまで見えてしまう。そういった類の人間はそういうの大好きなんだよ。「いっっっっちばん」「ぜっっっったい」と声に力こぶ出して小さい「っ」を大量に吐き出しながら、無自覚にデマを拡散していく。それが彼らの善意だし、何よりそうすることが気持ち良くて仕方ないんだよ。そんな連中の好物のご多聞に漏れず、人工蜃気楼説は、国家とか有名企業とかの「機密情報」や「極秘情報」から成り立っている。もっとも、それらの中に、関係者が何らかの意図に沿ってリークした情報が含まれている可能性までは否定できないけど。まあ、大雑把に言って、どれもこれも都市伝説の域を出るものではなかった。しかし、なのか、だから、なのか、サックス吹きの友人はそれらすべてを一蹴。代わりに語ったのがメリーゴーランド説だ。キリコランドの外周部分はメリーゴーランドよろしく回っている。ハナザカリくんによると、そういうことだった。
 僕はキリコランドの地図を広げるとコンパスで同じ中心点を持つ円を二つ描き、大きいのと小さいの、両方の円周に沿ってカッターナイフで適当に切ってみた。切りにくかったよ。ガタガタだ。その場には雲形定規も、自由曲線定規もなかったから酷く雑な仕上がりになってしまった。ハサミはあったけど、関係ない部分つまり地図の端から切りはじめる必要があるので使えなかった。で、外周部分をぐるっと手で回してみるんだが、阿保見隊員が見た景色をどうしても再現できない。困った。建物の配置が、どうしても同じにならないんだよ。
「あ、そう。やっぱり違ったか」
 ハナザカリくんの返事はまるで他人事だったんで、僕は怒る気力すら削がれてしまった。
「まあ、やり方はなんぼでもあるからな」
 そう言いながらいつの間にか、クッキング用のアルミホイルみたいなロールを手にしている。
 なんぼでもあるやり方。それは例えば、自分が動かしたいと思っている建物を地図上で探し、見つけたらその部分を切り取って同じサイズの鉄箔と差し替えることだった。
「あとは地図の裏から磁石でゴニョゴニョやるだけ。動かしたいものを動かすのは、さほど難しいことでもない。単に動かすだけじゃなく、吹っ飛ばすことだってできる。超電導て知っとー?」
 知らんよ。何だか急に面倒臭くなり、僕は話を終らせた。終らせたつもりだったが、そんなことにはまったく構わずハナザカリくんは続ける。
「何つったかなーあれ、でっかい石、と言うより岩がどういう訳か宙に浮いてるシュルレアリスムの有名な絵。誰の何て言うたかな。絵心のあるアボミさんならご存じだと思うけど。そう言えば、あの人、最近調子どうなん」
 アボミさん、何か持病でも?
「街中で関係ない相手に、いきなり軍隊式(やんな?)の敬礼してしまう病」
 たはは。それはそうと、エゴコロて何だろう。画家を目指しているが無理そうな人向けの忖度語か何かだろうか。そう言えば、歌のヘタクソな著名人が《ウタゴコロがある》と不自然な誉められ方しているのを、テレビで見たことがある。何だか、それもこれも、みんなどうでも良く思えてきて。なるほど、たぶんどんな建物でも動かせるんだろうよ。ただし、地図上の建物に限られるけど。そう思った途端、まるで僕の心の動きをモニターしていたかのように、ハナザカリくんは珍しく厳しい口調で
「地図が指すんは、実物の建物や。わかっとんか」
 つまり(正直よくわからない理屈だったけど)、現物の建物を動かすのは、地図上の建物を動かすのとほとんど変わるところがないのだと。僕は、決定的な違いを《ほとんど》の一言で片づけてしまうやり方はどうかと思ったが、ハナザカリくんによると、それは《動産/不動産》という言葉が指し示す対象にも比せられるそうだ。わかったようなわからんような、即興と、偶然と、雨上がりの抜けるような青空の澄み具合。世界の被写界深度がぐっと深まるあの感じ。彼の言うことには、少なくともそれがあった。だから僕は代表の代理で、要するにお使いだったんだけど、初めてサトミさんの研究室を訪ねたとき、まず何よりも先に伝えたのが、世界の被写界深度を上げることの大切さだった。

「それそれ!」
 チョコフレークを頬張りながら、サトミさんは上機嫌。ラボは、どこぞから移築した古民家の工房の前を通り過ぎると見えてくる、白っぽい円筒形をした第一研究棟の中にあり。
「リアル象牙の塔みたいにしたかったのよね」
と彼女は言った。
 一歩足を踏み入れた瞬間、爽やかなんて形容がいかにも陳腐過ぎて悲しくなるぐらい明らかに空気が違う。
「おうっ、わかってくれてありがとう。ここのエアーは、一度水で洗ってから供給されています」
 それから僕は、プラネタリウムに案内してもらった。
 サトミさんによると、開閉式ドームの小さなプラネタリウムは、実験装置ということだった。
「スッキリ晴れて大気の状態が安定している夜には、プラネタリウム時間と現実時間が一致する瞬間を狙ってドームを全開にするんだけど……」
 するんだけど? 僕は控えめに、だが強く促した。
「プラネタリウムの星空とリアルの星空は座標的には寸分違わず重なってるんだけど、ドームを開けた途端見える星の数が激減してしまう。そこを何とかしないとね」
 思いっきり話を単純にすると、それは空気をきれいにすることで可能らしかった。僕も、クリア過ぎてキテるのかキテないのかわからない状態を経験したことがあるけど、それと関係あるのかないのか。


 雨が上がった。チェロを背負って歩く音大生の後ろ姿が、スカートのシルエットと相まって中途半端に羽根を拡げたカブト虫に見える。夕立はアスファルトの路面を冷やし、樹々や夏草を濡らして心地よい涼をもたらしてくれるがそれは屋外の場合で、ロフトの蒸し暑さは少しも変わらない。冷房が効きはじめるまで待てよという話だが、その日の私は珍しく長電話などしてしまったこともあり、エアコンの電源を入れるなり急いで片付け作業を開始した。やることはいっぱいあるのに、計画ばかりで実作業の方は遅々として進んでいない。このペースでは到底間に合わないことは目に見えていた。

 はい。ああ……以前、私の先輩に、ヒトラー内閣の宣伝相だったゲッペルスを卒論テーマに選ぼうとした人がいたんだけど、入手できる一次資料がごく限られてたとかでいきなりつまづいてしまい、断念したそうだ。確かに、検証作業は何かと大変だからね。それにしても、それ職務放棄じゃないですか? みたいなんは相変わらずというか、そっかあ逆に増えてるんだ。

 電話は昔から好きじゃなかった。何かを確かめるにしろ、伝えるにしろ、例えばeメールと比べても効率が悪い上にまったくもって不正確だ。おまけにログも残らない。更に気に入らないのは、相手の時間に合わさないといけないところ。前もって招待状もセッションIDも届かないのに。だが、ここのところ何でか、誰かに電話で相談されることを必ずしも迷惑とは感じなくなりつつあり、場合によっては作業を中断する口実ができて救われたと思うことすらある。自分は、その程度には利己的な人間ということなんだろう。

 監修は、やったことないな。監修の先生とやりとりしながら進めた仕事ならあるけど。観光キャンペーンの仕事で、歴史がらみというか、名所旧跡に触れた箇所とか、史実に照らしておかしいところはないか。自治体はそのあたり神経質だからね。で、ボディコピー。どんなコピーだったか……。いや、自分で何書いたか、書いたハナから忘れちゃうんで。それで何とか次も書ける。ような気がする。そうだ、何か、万葉の歌枕を歩くみたいな話だったけど、《今様》てワードを使って。今ふうの恰好でぐらいのつもりだったと思う。そこにチェックが入った。《今様》というのは桃山時代に流行った着物の着方で、それまでのカチッとしたスタイルに比べると何というか、幾分レイヤードしたカジュアルなスタイルだったらしい。そんな訳で、先生が仰るには、
「万葉集の時代には未だなかった言葉なので、この文脈で使うのは少しおかしいです」
と。そういう話じゃないでしょと思ったけど、言い換えは可能なんで素直に直したよ。
 確かに、工業製品と抽象概念の違いは大きいよね。開発中の新車のプロトタイプモデルは? と訊かれたら、それが市場に出回っている車種であれ、一台きりの試作車であれ、はいこれですとそのものを指すことができるけど、生き物の場合そうはいかない。いや、生き物に限らないか。工業製品だって、《それそのもの》を指す場合と、バクっと《それら》を指す場合があるからね。コップ/グラス問題とか。コップのプロトタイプを思い浮かべてみると、概念とは言いつつ結構具体的にイメージすることができる。プラスチック製で、あまり背が高くなくて、持ち手が付いてるとかね。こういうのを《グラス》と呼ぶ人は、まずいないだろう。反対側の極端、最もグラスらしいグラスを思い浮かべてみると、素材はガラスで脚が付いている。ワイングラスとか、シャンパングラスとか、カクテルグラスとか、あとアレ、ビール飲むやつでもピルスナーグラスには脚がある。あーゆー脚が付いたガラス製の器を《コップ》と呼ぶ人もまずいない筈だ。で、これら両極端の中間には、《コップ的なグラス》たちと《グラス的なコップ》たちが無限のグラデーションを描いている。ところで、グラスワインを注文するとプラスチックというかガラス製じゃない器に入ったワインを持ってきてくれる店があるけど、あれはどっちに分類できると思う?
 似而非アカデミシャンぽく解説するなら、グラスの語源は英語のglassであり液体の入るガラス器全般を指すワードだから問題はマテリアルで、形状は関係ないとも言える。更に、コップはcupだから優勝カップや聖杯伝説とも結びついて、射程はスポーツやレクリエーションから宗教/スピリチュアルにまで到達する。でも、こんなもんで日本語のコップ/グラス問題がすっきり解決するとは思えない。
 コップらしいコップとグラスらしいグラスの中間領域に意識を向けると、ガラス製で脚はないけどシュッと縦長のタンブラーや、も少しずんぐりしたデュラレックスタイプの器などが想像できる。これらはコップか、グラスか。おそらくはコップ派、グラス派、どっちでもええやん派に分かれるけど、実際には多くの人が同じ器を場面に応じて《コップ》と呼んだり《グラス》と呼んだりしている。ここは《コップ》と言っといた方が良さそうだからコップ、別の場面では《グラス》と言っといた方が無難だからグラス。それ以上のもんではないよ。ま、ここらへんの忖度が変なサイクルで回りだすと一気に困ったことになりかねないけど。《空気読め》カルチャーの呪いは、こんなところにも見え隠れしている。
 話しながら、昔受けた授業を思い出した。例えば、幼児が発話したパロール中のシニフィアンである《さみしーいと》が、ラングとして何を指しているかあるいは指し得るか……××××時々何言ってんのかわからない先生が言った。冷蔵庫から液体の入った紙パックを取り出し、そこから冷たい牛乳を注いだ場合、その器はコップです。アイスミルクを注いだなら、それはグラスです/冷たい牛乳とアイスミルクの違いは何なんでしょうか/そこは、あなた次第です。

 今日開けた段ボール箱は、時間軸に沿ってそれぞれここは何時代と分類されたものではなく、中身はぎっしり詰め込まれた楽譜だった。

「公立の中学に進んだら放課後しかピアノ練習できなくなるから、続けられるか自信がない」
 急に改まって、何を言いだすつもりなんだろう。私は、目の前にいる娘の気持ちも、この状況が自分に押し付けている世俗的な意味合いも、さっぱり理解できずにいた。
「でも続けたいから、音楽科のある中学に進ませてください」
 近所の公立中学に行くんじゃなかったの/そんなこと言ってない/ああ、でもコネも何もないから、受からんかったら知らんよ/わかってる。頑張るからお願いします。
 小学生の娘に頭を下げられ、どぎまぎするみっともない父親。まっすぐな視線が自分の身体を突き抜け、向こう側に達するのを感じていた。あの時通過していった視線は、確かに、自分の内面にさざ波に似た何かをもたらした。それが何だったのか、自分は未だ理解できていない。

 どの譜面にも書き込みがあった。気まぐれに運動しているいかにも子どもらしい文字や、細く硬い芯のシャープペンシルで書き込まれた几帳面な印象の字が混在している。何冊か手に取ってみたところ、年代順に並べられている訳ではなかった。
 楽譜が読めない私は、五線の上に連なるオタマジャクシの群れを頭の中で楽曲に変換することができない。中には、タイトルを見た瞬間メロディが流れだすものもあるにはあったが、それも日本語の場合に限られ。
 君は《親ガチャ》でハズレを引いてしまったが、《ハズレを当てた》と考えれば一周回って大当たりになり、きっと、すべてを統べるひとつながりの宝ものを見つけることができる筈だ。たぶん。
 どんな楽曲も永遠に奏でてくれそうにない記号の束を、私は古紙として処分することにした。


 すんませんお忙しいとこ。はあ、何かねーもー。学術的にどうとか尋ねられても俺らアカデミシャンやないですし。そこらへんの裁定までこっちに丸投げて流石におかしいやろ、そこでジャッジなり手配なりすんのがアンタらの仕事でしょうと。あと、プロトタイプちゅても工業製品の場合と概念つーか言葉の場合では全然ちゃうし。ほんま頭イタなってきましたわ。


 どんな客が苦手か? 本当はあまりそういう質問にはお答えしたくないんですが、《センス》とか《能力》といった言葉をやたら連発するような人はちょっと……。実は、数年前までのわたしが、まさにそういう奴でした。でも、着目するべきなのはそこじゃないだろうという気持ちが、だんだん強くなってきまして。
 新工場については、弊社の人間にも未だ何もわかっていません。当初のプランなんて途中でいくらでも変わるのでアテになりませんよ。駐車場予定地を基礎工事で少し掘ったところ温泉が湧き出したので開発プランを変更して、露天風呂のある都市型コンビニ温泉施設が建った。なんて例もありますからね。タトゥー入れてるのがバレて出禁になっちゃった人なんかもいたようですが、まあそれはそれとしまして。ガラス工場の正面を左に曲がるとラボゾーンです。ですが、先に、ガラス工場の話をしておきましょう。
 この工場は、パッと見、工場とは思えない外観を持っており、藁葺き屋根の古民家(という割には、土壁を模したセラミックの外壁ですが)と庭の椰子は、エキゾチックでありながらなおかつ懐かしい、この区画らしい特徴的な景観を形成しています。そして、この工場、と言うより工房主であるガラス工芸作家こそ、区画の統括責任者でもある次女のフジコさんなんです。
 工場で生産されるのは、主として江戸切子の技法を継承するという売り文句でおなじみ《江戸風切子硝子》の器です。日に何度か、職人あるいは作家たちの《実演》を見ることができる見学タイムも用意されています。実はこの区画、工場ゾーンとか言ってますが、ジャパニーズプロダクトの魅力をコンテンツとした観光スポットとして人気上昇中なんです。そうそう、キリコランドの語源は《霧濃》だと言いましたが、一般には《切子》ランドだと思われています。別に、文句言ってる訳じゃありませんよ。
 ホテルの本館は、決して島の周縁部にある訳ではありません。中央部とは言えないかも知れませんが、とにかく、このあたりこそがキリコランドのシンボルゾーンとでも呼ぶべき《島》の中心なんです。最近まで、毎年夏になると本館前の広場でSIMロックフェスが開催されていました。
 リゾートゾーンを統括する長女の一子さんは、ホテルを建て替える際、最初はシンガポールのラッフルズホテルみたいなコロニアル調の建築にしたかったんだそうです。
 神戸と横浜の異人館の違いをご存じですか。もちろん、個々の建物ごとに違うので厳密に言えば、神戸と横浜の違いは? なんて質問自体ナンセンスですが、それでも、神戸の異人館(群)にも横浜の異人館(群)にも、それぞれに傾向はあります。神戸の異人館には東南アジアのリゾートによく見られるようなコロニアル様式の建築が目立つ一方、横浜のはそうじゃない。山の手の異人館には、それが東であれ西であれ、まあ、いろんな人が住んでいた訳ですけど、外交官なら国費で建ててもらえた。そこでわざわざコロニアル調をオーダーするって、どういうことでしょうか。最初からリゾート気分で赴任したんじゃないの? そんなことを言う人もいるようです。わたしですか。さあ、どうでしょう。
 ところで、長女の一子さんが、なぜ本館の建て替えに際して素っ気ないキューブ形を選んだのか。意外と知られていませんが、実はこれ、趣味においても専門分野においてもほとんど接点のなさそうな三女サトミさんの意見を容れた上でのことなんです。このあたりが、あの人の面白いところですね。
「ホテルカリフォルニアのジャケ写真みたいに椰子の樹が並んでるのは良いとして、建築様式までコロニアルでいくとか、そこまでお約束にこだわる意味がわからない」
 ラボゾーンと屋外設備ゾーンを統括する三女のサトミさんは、そう言ったそうです。
「透明度の高い青空に映えるのは、デコラティブな曲線よりもシャープな直線フォルムでしょ」
 彼女の興味の対象が、水と空気の浄化に集約されつつあったのもその頃です。三姉妹それぞれの個性や関心事が社会の動きとシンクロしながら、キリコランドの輪郭と言うんでしょうか、良くも悪くも奇妙な噂が絶えなかったこの《島》は、その頃から、見た目も、内容も、コンプライアンス的にも透明度を増していくことになりました。クリーンなイメージでないと企業の誘致も難しい時代になっていたのです。
 現在のリゾートゾーンのルーツは、三姉妹の曽祖父が開業したホテルだと言われています。そう言えないこともないのですが、その後にできた工場ゾーンやラボゾーンとなると、まさかこの地にそんなものができようなど、少なくとも、三姉妹の父親も、若い頃には流石に想像すらできなかったでしょう。その頃彼が密かに温めていたアイデアは、富裕層が暮らすアメリカ型のゲーテッドコミュニティとそれを取り巻くように配置された保養施設や商業施設群だったのですから。
 その構想がどこまで具体的に詰められたものだったかは、今となっては確かめようがありません。でも、影のブレーンが頻繁に渡米するなど周到に準備が進められていたと言う人もいます。。
 国内の富裕層に向けて、海外の富裕層が既に始めている暮らし方を提案する。広告代理店や今で言うコンサルティングファームのようなところとも、水面下で協議を重ねていたようですが、そのために個人的な人脈が活かされるのは自然な流れです。様々な理由が言われていますが、結局のところわかりません。ただ一つ確かなのは、この構想、長男にとって受け入れ難いものだったということです。子どもの頃から、何かにつけていちいち地主の倅は良いよな、お坊ちゃまに理解しろと言っても難しいでしょうが……などと言われるのが悔しくて、そのせいもあってか後に社会運動に身を投じることになる彼にしてみれば、ビジネスとしての勝算うんぬん以前に、富裕層のための事業だという時点で耐え難かったんじゃないでしょうか。

_「三」へ_





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