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八街市雁丸・文違 難読地名と改変された谷津の名残


雁丸

大宮神社

大規模開発でしっかり区画整備された八街では珍しい住宅地の北部にある神社
住宅地に小島のように取り残された丘陵を登る
石段はツルハシ痕が江戸時代のものに見える
平坦部を進む
石祠が埋まっていた
こういうのがあると歴史があることを認識できる
プレハブ拝殿
本殿には木鼻と麒麟の彫刻
こちらも歴史を感じさせる

文違

子ノ神社

周囲の航空写真を見ると、一見分かりづらいが北部の富里町新橋方面から谷津が伸びているのがわかる。神社南部に古い池があり、改変され尽くした地形からも当時の様子が想像できる。
丘陵を登ったところにある
あたりは竹林で覆われている
お供えは落花生
朽ちた切り株に祠が寄り添っている

街灯

文違商業会の街灯
なお、この通りには床屋以外の商業施設は見られなかった

陣場

Y字路の又に自治体が建てた看板がある
1582年、戦に負けて逃走中の部隊が地名を間違えてやむを得ず陣地を構えた場所。わかりやすいランドマークで言うと飯櫃は成田空港、飯積は酒々井アウトレット方面と真逆なので、気づいた瞬間の徒労感は相当だったと思われる。
なおこの地を文違(ひじかい)と呼ぶ。この出来事が由来とされている。

綿貫ハツエ姫之命

墓地に立つ、おそらく墓石
女神として祀っているように見えるが、こういうのはあまり見ない気がする

行った日 : 2024/02/10


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