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いすみ市 二つの入江、二つの集落 矢差戸集落編

いすみ市大原の秘境集落を歩いた記録。

大船谷集落につながる海岸の道から矢差戸集落を見上げる。

高台の上に古びた廃墟のようなものが見えた。

住んでいないようだ。

登ることができるので登ってみる。景色が良い。

さらに登ってみる。険しい急坂の一角に空き地があり、桜が咲いていた。
かつては共同墓地があったそうで、昔はお盆になると行列ができていたと語っていた。

集落のメインストリートに戻る。遠くに鳥居が見える。

飯縄神社。

集会所(青い建物)の裏にある小さな野仏。

この景色は過去にCMに起用されたことがあると語っていた。

海風で摩耗した狛犬。

鳥居をくぐり、石段を登ってもう一度振り返る。どこを撮っても絵になる。

狛犬も見守っている。

社殿。銅製の鬼瓦には天狗のうちわが見られる。

社殿内部。左欄間は「天狗と牛若丸」、右側は「松に鷹」。
なお「飯縄」とは飯縄権現という烏天狗を指す。鼻が高い天狗👺ではなく嘴があるタイプの天狗のこと。

奉納された錨。

枯れた御神木が祀ってある。

火を灯す部分が磯石で作られた灯籠。独特な風化。

隣の青い建物は集会所。CM撮影のおり、この集会所を拠点にしていたとのこと。

海沿いに戻る。

大船谷集落へ向かうのとは反対側の海岸道を歩く。

道路の狭さは落石の危険を物語っている。歩く際は気をつける必要がある。

海と大地が刻んだゴッホのような渦。

入江と絶壁が交互に続いている。ここからは見えないが、この風景の終端が大原の小浜八幡神社であり、九十九里海岸の南端である。

隣の入江は完全にリゾートと化していた。プールまで設置されている。

引き返す。

パノラマっぽく撮った3枚。丸い地球を感じることができる。
足元で波が砕ける音と強い海風、そして栄養豊富な潮の磯臭さが感覚器官を占領し、「海にいる」以外の感覚が失われていく。

集落に戻り、適当な坂道を登ってみる。これだけで楽しい。電柱は木製だった。

集落の出口へ向かうと、立派な門構えと土蔵のみが残る空き地がある。ここにはかつて網本が住んでいたそう。この集落はかつて大きな伝馬船を有しており、大原近辺でも有数の漁港だったと伝わっている。

いすみ市の万木城主の家臣が落城したのちここに落ち延び、漁業を始めたと伝えられている。この集落にはワタナベ姓が多く、この姓が家臣の家系ではないかなどと話していた。

脆い砂岩を積んだ石垣。

海岸道を除くと矢差戸集落唯一の入口。

トンネルを抜けた先にある大正時代の道標。
なお、国土地理院の地図やこの道標には「矢差戸」とあるが、飯縄神社の隣にある集会所は「矢指戸」と書かれていた。

おまけ1
昼間に戻って撮った集落の眺め。

おまけ2

九十九里浜には有名な源頼朝伝説がある。

九十九里の地名の起源は、石橋山の戦いに敗れ房総に逃れた源頼朝が、家臣に命じ太東岬から1里ごとに矢を立て、99本目で刑部岬に達したという伝承から、「九十九里」と言われるようになったとされ、中央とされる山武市蓮沼ハには箭挿神社がある。またその故事に因んで、「矢指ヶ浦」とも呼ばれる。

Wikipedia『九十九里浜』より

九十九里浜の北端近くにある旭市には矢指ヶ浦や矢指神社があり、また引用した文中にある「箭挿」も読み方は「やさし」である。

そして言い伝えによると、今回訪れた集落の名前である「矢差戸」にもほぼ同じ由来があると語っていた。この地に99本目の矢を立てたというのである。

言われてみれば、太東岬の南部にも砂浜海岸はあるので九十九里の南端は大原といえなくもなさそう。

もしかすると、九十九里のどこかで生まれたこの逸話が海岸沿いに広まって、北端の旭市・飯岡市と南端のいすみ市に伝わったのかもしれない。

なお、ここに書いた話はすべて地元の方から伺った。

おわり

行った日 : 2023/04/01

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