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千倉町 行き交う者の途絶えた古道、白間津〜畑集落

白間津から畑集落へ向かう道を歩いた記録。
地図の番号と見出しを対応させてみました。

① 白間津日枝神社

千倉町界隈で有数の規模を誇る神社。令和元年の台風で損壊した玉垣を改修していた。

太平洋が見える。眺めも良く、神社を飾る彫刻が壮麗だが今回は割愛。

これから歩こうとしている道について、神社にいた地元の方によると「小さい頃はハイキングで登ったりしたけど今どうなってるかわからない。野生の猿がいるから気をつけて」といったお話をうかがえました。

あまり希望の持てないお話を聞いたので早速登る。日の当たるゾーンは雑草が繁茂しやすいためこの時点だと進めなさそうな雰囲気。

すこし進むとすぐ切り通し急傾斜が現れる。よく見ると階段状に削られている箇所もあり、往来があったことは間違いない。

尾根へ至る切り通しはガレが激しいもののロープが設えてあるので登るのは難しくない。

階段。

尾根は南房総によく見られる痩せ尾根。植生も特有である。

尾根を巻く道は地盤を削った道が造られていた。

② 休憩用のベンチ

道があるとはいえあまり人が行き来しているようには見えなかったが、一箇所プラ製のベンチがあった。

「高塚山望活クラブ」と書かれている。ここ10年で設置されたものだろうか。なお、高塚山とは地図上ではこの古道につながる山。山頂には不動尊がある。

尾根道が続く。

ベンチがある辺りを境に道が荒れ始めていたが、新しい断面の倒木があった。望活クラブの方が整備しているのだろうか。

②と③の中間にある標高182m地点にある分岐。どう見ても終了した道だが復路はここを抜ける羽目になる。

③ 馬頭観音

ここが古道だと確信できる唯一の証拠。頭に馬の頭を乗せた野仏。「弘化二巳年」は1845年。顔面が削れているのは廃仏毀釈の影響だろうか。台座には青サビで覆われた10円玉が供えてあった。

往来の途絶えた古道を見守り続けている。

馬頭観音を過ぎた辺りから道が荒れ始めるものの、路盤がしっかりしているので危険ではない。危険ではないだけで、足元がおぼつかず疲労か蓄積する。

もうすぐ畑集落といったところで地面が舗装されていた。

④ 畑集落の橋

民家の脇が古道の終点で、1軒の民家のためだけに設置された橋を渡ることで車道に出ることができる。

落差は20mくらいだろうか?橋のつぎはぎ感も相まって不安になる。

車道方面から。こうして見ると枯葉が掃除されている。

復路へ向かう。軽トラとすれ違った。

竹製のハウスが見える。観葉植物などを栽培しているらしい。

ハウスの水源。

竹製ハウスに農家のお爺さんがいたのでお話を伺ったところ、⑤のあたりで北上する道は使えないとのことだった。当初はこの道から高塚山へ向かう予定だったので旅程は崩壊。東に進んで川を渡って往路に合流する道があるとのことでそちらを目指すことにした。

川を渡るために、道ともいえない急峻な坂をくだる。よく見るとビニールテープが木に巻いてあるので、山道として使われていた時期もあったのかもしれない。

⑤ 炭窯と川廻し

くだり切ると人工物が現れた。これが何かわかるだろうか?

これは炭窯。薪が重要な資源だった頃の名残で、馬蹄形の掘り跡やこのような石積みが山奥に残されていることがある。これほど明瞭で立派なのは見たことがない。

やわらかい岩質なので朽ちかけているが石積みを観察できる。

お爺さんが言っていた川。ひと跨ぎできるほどの小さな川だった。

橋脚跡。

小さな川はちょっとした釜を形成していた。こういう深くなっているところには蛇などの言い伝えがありがちだがここはどうだろうか。

川を跨いで標高を上げていくと谷側から強めの水音が聴こえ、覗き込むと川廻しが見えた。

もう一度川を渡る。この平地は、お爺さんが「今あるかわからないけど昔はここの田んぼまで歩いて通ってたんだ」と話していたもの。
この地点から川を降ればちらっと見えた川廻しまで行けたかもしれないものの、復路の道が崩壊&荒廃で精神が参っていたので断念。

あとは延々とこのような道を突き進み、往路に合流した。

川廻しが見れなかったのが心残りなものの、もう一度行きたいかというとそんなことはないくらいには険しい道のりだった。

参考

行った日 : 2023/02/18

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