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君津駅近くを観光した思い出

君津には海と鉄の歴史があった。

八幡神社

台地の南部に立地する神社。
社標の「村社」の字は、明治から戦後まで国家が神社を管理していた頃の神社の格。
二つの鳥居をくぐって石段を登ったところに社殿がある。
参道の片隅に雑多に並ぶ力石。
祭事では村の力自慢がこの石を持ち上げた。
社殿の奥をさらに登ると富士塚と呼ばれる溶岩を積んだ塚がある。
古くから伝わる山岳信仰のかたちである。
今は台地の上に日本製鐵の社宅や学校が造成されているが、かつては信仰の山だったことがわかる。
社叢の奥から君津の住宅地がチラッと見える。

やつ商店

台地の上にある学校から降りてきたところにある住宅地、その片隅にある駄菓子屋。
手書きの値札が味わい深い。
きなこ棒やチューインガムなど懐かしいラインナップ。
コーラ瓶もある。その場で飲んで返すのが良い。
ちなみに中指に貼ってあるのは献血の血液検査で貼る絆創膏。
軒下にあった木製ベンチで駄菓子をつまんでいると、プラスチックのバットを装備した少年がチャリで乗り付けて駄菓子を買っていった。

当時新日鐵の工場を埋め立てて造成するため、漁業権を放棄したのに伴い自宅を改装して日用雑貨店を開いのたが始まりとのこと。

九州ラーメン日吉 大和田店

その新日鐵が創業するにあたり、九州から多くの技術者とその家族が移住した。
その際君津に持ち込まれたラーメン文化が豚骨である。
自分はラーメンに疎いので豚骨とおでんの組み合わせの由来はわからないが、一品80円のおでんがある。
紅生姜ラーメン(320円)。
店の入り口にはいつからあるのかわからない冷蔵庫もあった。

人見山青蓮寺

君津駅から歩いて人見神社までもうすぐってところにあるお寺。
境内にあるのは「漁業権放棄記念碑」。
日本の高度成長を支えた京葉工業地帯は東京湾を埋め立てて造成され、当然そこで漁業を営んでいた人たちは大きな決断を迫られることになった。
そして埋め立てられる前の東京湾が垣間見えるものが隣に立っている。
近江屋甚兵衛の胸像。
江戸の品川と大森でしかできないとされていた海苔養殖技術をこの地にもたらした偉人である。
近江屋甚兵衛の墓。戒名まで海苔養殖の香りがする。

君津市漁業資料館

2階建ての資料館。近江屋甚兵衛の生涯や海苔養殖の道具などが展示されている。
内部は撮影禁止。これは外に展示してある漁船。

人見神社

君津を代表する河川である小糸川の河口にあり、交通の要衝を見下ろす重要な立地であったことが想像できる。ヤマトタケルがここに登ったとされる。
神社の一角に見晴台があり、工業地帯と海、そしてその向こうに富士山と夕陽を一望することができる。
巨大な煙突が何本も見える。
陽が沈むのを見て帰ろうと思ったところ、大きな一眼を装備したお爺さんが「沈んでからがきれいなんだよ」と力説するので30分ほど待ってみた。
日の入り後の空の色を群青色と呼ぶ。
やがて黒になり、街には点々と明かりが灯る。
なお、流石に神社の営業時間は過ぎているが、駐車場は24時間停められるので好きなだけいることができる。

行った日:2023/12/17


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