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八街市根古谷・岡田 風光明媚な塩古八景と八街一のB級スポット、そして白馬の呪い


地理と歴史

白井庄という荘園があった。1186年の吾妻鏡にはすでにその記述が見られ、成立は平安末期頃とされる。領域は八街市勢田から佐倉市馬渡、千葉市若葉区の一部で、鹿島川と支流弥富川流域に広がっていた。白井庄は当初比叡山延暦寺領で白井次郎常親が管理していた。常親は上総介広常に属していたため、広常が源頼朝に誅殺され没落、千葉常胤の孫である胤時が白井氏を名乗って支配するようになった。

白井庄に属する塩古郷は八街市根古谷・岡田、隣接する佐倉市七曲・西御門にまたがり、弥富郷とともに荘園の中心的だった。

根古谷(ねごや)

法宣寺

石段と石垣、山門に街灯も建っている
自治体が立てた他のどの看板より綺麗な気がする
根古谷城主の原氏の息子である助景を病から救った恩により創建されたと伝わる
生御影日蓮大士。日蓮が39歳の姿を模った像のことで、江戸での出開帳を5回も行っている。
寺院の開祖である日意は、経典と日蓮尊像と共に牛に乗って塩古郷に入ったと伝わっている
古びた山門
よく手入れされた木々が左右に茂っている
本堂
銅製の塔は大きな寺院にしか見られない
格を現すものと言ってよいと思う
本殿彫刻
丸彫りの立体的な鳳凰と龍、手肘木には波に亀
手挟みは松に鷹
玉垣は本殿脇にある祖師堂を囲っている
祖師堂
祖師とは日蓮のことで、日意が持ってきた尊像はここに収まっているのだろう
寺院前に広がる田園風景
地元の方が軽トラでやってきて、「ここはいい景色だろう」と自慢げに語っていた

寺院前の四阿

寺院のすぐ近く、田園を眺められる茅葺きの四阿
水音がするので近づいたところ湧水があった
本来あまりこういうのは飲まない方がいいが、おいしかった
収穫が終わりつつある田んぼ

パラダイスズー

佐倉方面から法宣寺への道中にある
一見するとゴミ屋敷だが、珍スポBスポ界隈ではかなり有名
曰くアートだそう
お手製の絵が飾ってある
入り口。家主さんに案内してもらうこともできるとのこと
「千葉県印旛郡土木事務所」のカラーコンが置いてある。道路にはみ出てるのを咎めるために役所の人が設置したと思われるが、これもアートの一部になっていた。

天神社・根古谷城址

法宣寺から谷津田を挟んだ向かい側、集落エリアにある城址
築造したのは千葉一族の円城寺氏だが、のちに粟飯原氏が城主になった。ただ法宣寺の由緒では城主は千葉一族の原氏となっていた。原氏とは対立した時期もあったためその頃に奪われたのかもしれない。
杉の神木と社殿
雨上がりだったので緑が豊かだった
西陽が差す境内
平地の向こうに土塁が見える
濡れて元気になった苔を西陽が照らしたときの色が好きで、目を奪われていた

寝釈迦

法宣寺の向かいから法宣寺を一望すると、釈迦が仰向けに寝ているように見える…というもの
左に頭、パラダイスズーのあたりに肩、道路の先にある法宣寺は手に抱かれている
足の方

天満宮祠

集落エリアに2つある天満宮祠の一つ
消防倉庫脇にもう一つ
年代不明、古びて彩色はほぼ失われていた

馬頭観音

寺院などがある中心地からはだいぶ離れた、千葉市との境界にある馬頭観音
Y字路の股にあり、小さな鳥居とカーブミラーが建っていた

岡田

大国主神社

一本杉が目印の神社
明治に村内から集めた神々の詳細が記録してある
こんな立地
社叢へ分け入るといくつも祠が並んでいる
大杉に寄り添うように建つ大国主神社

馬頭観世音堂

お堂一つにしては石畳に灯籠とかなり豪華である
行き倒れた白馬がこの地を呪い、それを日蓮が観音像を納めることで鎮めた
馬の呪いは流行病に瘴気、鬼火、落馬などがあったとのこと
それ以来、気象の荒い馬や病に倒れた馬も観音像に祈れば必ず治るとして多くの信仰を集めた
付近は佐倉七牧の一つ柳沢牧があり、村民は勢子として駆り出された。佐倉牧のエリアは中世から牧があったそうで、馬にまつわる信仰が発生する下地があったのかもしれない
文久2年の灯籠
石段
夫婦杉が石段を持ち上げている
自然の力を感じる
馬頭観音堂
お堂の裏手には馬頭観音がいくつも奉納されていた
鳥居の部材と思われる

行った日 : 2022/09/03, 2023/02/25

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