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千倉町大貫 巡礼の道、大貫古道

大貫古道

館山市山荻と千倉町を東西に結ぶ県道(188号)がなかった頃に使われた道。地元の保存会が作ったパンフレットによると、西には観音院や小網寺、北には真野寺、東には住吉寺と言った名刹があり、巡礼の道としても知られていたそうです。

入口

安房グリーンラインと県道188号の交差点に案内板が立っています。途中に❌が貼られていますが、小松浅間コースの方は歩き慣れているなら問題ないレベルの倒木でした。

小松浅間コース

浅間様の祠を経て小松寺への分岐へ至る道。❌がついているだけあってやや荒れていました。荒れた道はちょっと大変でしたが、ここでいい感じの竹杖を拾ったので全体の疲労感は少なくて済みました。

謎の窪み

道中にいつくか看板が立っているので迷うことはまずありません。保存会の方々に感謝です。

浅間神社

コースの名前にもなっている浅間神社への登り口。スルーしても進めるので脚の状態と相談して行くか決めましょう。

古びた灯籠

石段と祠が出迎えてくれます。どちらも江戸時代のものと思われます。この数段の石段に意味はあるのか?と一瞬思いましたが、それくらい昔から愛されているんだと思いました。今でもお神酒がお供えされています。

尾根の道コース

小松寺へ降りるか乙王の墓へ進むか分岐します。案内板によると降りる道に❌が付いていましたが、行ってないのでどんなかは分かりません。

道標

尾根筋の清々しい道を進んでいくと、木にもたれる道標があります。

「西すぎもと」と読めます。杉本は観音院の山号(杉本山)と推測されています。巡礼の道だった証です。

道標

笠を被って進む道を指差す人。光を当ててみると旅装が細かく彫り込まれていることが分かります。

旅人か巡礼者か

浅間神社

もう一つの祠。小さな塚の上にあります。こちらも江戸時代のもの。

乙王の墓

おとおうと読みます。ここに眠る人物は今からちょうど1100年前の言い伝えが関係しています。

墓石 江戸時代のもの

延喜21(921)年に小松寺再建の式典が行われた際、再建に携わった国司の嫡男が天狗に連れ去られ亡くなりました。嫡男の従臣である乙王も後を追って自害したとされています。
天狗の存在が脈絡なさすぎてまとめながら頭にハテナが浮かぶような事件ですが、実際には理不尽な事故でもあったのかもしれません。

墓を守る建物は平成に建てられました

多くの山に言えることですが、かつては炭焼きのために森は切り開かれていました。ここもかつては開けた展望を楽しめたことでしょう。

館山湾方面
千倉方面
真新しいお手製のベンチ
苔むした岩とたくましい木の根
出口が近い
竹杖が用意してあります
画面中央の竹棒は私が拾ったもの

感想

煽られそうになるほどの強風でしたが、太陽が暖かかったのでいい気分で散策できました。これが雨上がりだとぬかるんで楽しむどころじゃなさそうな雰囲気があったので運も良かったです。
ちなみに乙王の滝というものが林道沿いにあったらしいですが、今は埋まってしまって近づくことすらできないようです。

旅路

参考

南房総市の観光サイト
https://www.mboso-etoko.jp/top/goodlife/disp_A.asp?id=13696&group=1
小松寺ホームページ
https://www.komatsuji.jp/story.html

行った日 : 2021/12/04

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