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八街市勢田・用草 鷹と白馬の神使像



勢田

薬師堂十二天教会

民家の脇に入り口がある
看板が立っていた
竹藪に覆われた土の参道に祠が建っている
薬師堂
薬師堂裏に祠がある
三峯神社
いわゆるお犬様の像も祀られている

馬頭観音堂

集落から少し離れた場所にある道路沿いに看板が立っている
祠の中にお札と共に祀られる馬頭観音…のはずだが、馬の頭はないし手で結んだ印は大日如来のもの。看板を設置した人が間違えた可能性は高い。

清竜寺

題目塔が立つ急坂
日が傾いていたので街灯に明かりが灯っていた
宗派は顕本法華宗
土気城主の酒井氏が信仰したもので、この辺まで影響が及んでいたのかもしれない
古墓

薬師権現

竹林に吸い込まれるような参道
江戸時代に建てた鳥居を神仏分離令に伴い破壊してしまった
地面に残る鳥居の基礎
折れた道祖神祠を守るのに使われている
日が暮れてとても暗い
お堂
境内にある文化年間の疱瘡神
薬師と疱瘡で病避けを祈念したことが見て取れる

天神社

薬師権現の看板にあったようにここが村の鎮守である
緩やかな坂道に石段が残る
社殿

用草

地形について

上砂方面から始まる谷津と吉倉方面から始まる谷津が合流する地点にあり、近隣では比較的大きな集落である。谷津の向かいには根古屋と佐倉市西御門がある。

八幡宮

天神社の近くにある
行政区分上は用草だが、用草の集落は谷津を挟んだ向かい側にある
神木が倒れて根がむき出しになっていた
社殿というより覆屋とお社といった雰囲気

山本商店

ここから別日に撮ったもの。

現役の米販売店の向かいにある大谷石の大きな倉庫
政府指定山本庸夫倉庫

斎藤考谷翁寿蔵碑

江戸時代に私塾を開き、明治時代には寺院に開設した小学校のの最初の教員となった。このような幕末明治の知識人が多くの教え子に慕われて何らかの石碑を建てるムーブメントは全国各地で見られる。
寿蔵碑
倒れそうなためかロープで近寄れないようになっていた
居酒屋とサバゲーフィールドの看板が並んでいる
甲子は酒々井の地酒、サバゲーは千葉県で盛んなので地域色を端的に示す風景と言える

皇産霊神社(むすびじんじゃ)

佐倉の塩古道へ至る道沿いにある神社
1662年に改築、それ以前の歴史は不明とのこと
自在天を祀っていたが神仏分離に伴い皇産霊神社となった
赤い境内社
鷹の像
こちらは白馬の像らしい
破損しているため馬かどうかもわからないが、頭を下げた様子を模っている
元治2(1865)年の狛犬
江戸時代の狛犬が八街市で見られるのは数少ない
苔むした境内

真福寺

小谷流の永福寺の住職が隠居する寺院だったそう
寺子屋の仮校舎でもあった
参道
生垣の向こうに土蔵が見える
本堂
付近の農村風景

行った日 : 2022/09/03, 2023/02/25

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