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八街市東吉田・八街い・八街ろ 客人神社と氷川神社


東吉田地区

最成寺

千葉川上八街線沿いにある
室町時代の永正3(1506)年に、妙満寺末寺として日善が創建したことがわかる
寺院の向かいにある食品店
2012年時点で閉店していた

客人神社

千葉川上八街線沿いに小さな看板がある
台地の畑に鳥居がある
明治30年
客人大明神を祀っている
日蓮宗の三十番神の顔ぶれにおり、最成寺も日蓮宗寺院なのでその関係かもしれない
境内社の八幡社
山王大権現と疱瘡神
八街は歴史があるイメージがないものの、これは江戸時代の元号が刻まれていた

イーストブルータウン八街

道幅が広くて多くの分譲地を有するエリア
リンデパークという公園
右の方には遊具があり、親子連れが遊んでいた
千葉県北東部の分譲地は吉川祐介氏が詳しい
比較的きれいなのはゼロ年代の開発だからだそうで、その頃からこんな感じということらしい

八街い

松林氷川神社

典型的なスプロール地帯にある
手水鉢には千葉氏の家紋が
明治6年
奉納者に千葉氏ゆかりの姓があればと思ったが屋号しかなかった
境内社の妙見宮
裏手の集会所で地区の歴史など刻んだ石碑を探したが見つからず、この集落と千葉氏との関係はわからなかった

坂江氷川神社

これは別日に撮ったもの
この頃は正直「こんなところの神社から何がわかるんだ」くらいの気持ちだったため撮影が雑
八街ほのエリアでは稲荷、八街いのエリアでは氷川神社がメインなのは気になる

神田神社

八街いの西端にある神社
さらに西へ行くと佐倉市へ入る
三間社流造を簡素化したようなお社
境内にある集会所ができたのが平成9年だそう

八街ろ

氷川神社

榎戸駅近くの神社
八街神社の分社
八街神社は氷川神社を勧請している
明治43年の二十三夜塔
おそらく明治時代以降の子安観音
畑にビニールをそのまま鋤き込んでしまっている
墓地の先にあるのは、切ろうとしたら祟られるタイプの木

二十三夜塔

住宅地のブロック塀脇に残る二十三夜塔
無数の一円玉が奉納されている

西林氷川神社

ここにも氷川神社
石碑は消防団の消防操法大会出場を記念している
昭和45年の灯籠
子安観音を納めた木祠

神社

農業倉庫の隣にある神社
祭神は不明だが、地域性から考えるとここも氷川神社かもしれない
農業改善事業の完成記念碑
昭和39年に改善事業が完成したのを記念して40年に建てられた石碑か
幕府の牧を明治3年より開拓を開始したものの土壌が舞ってしまい収量は向上せず、灌漑事業を完成した今後はより発展していくだろうといったことが書いてある。
「徳川幕府の御料牧場」とあるが、御料牧場とは明治時代以降宮内庁が管理した牧の名称。江戸時代は「佐倉牧」と呼ぶのが適切だろう。この文言のせいで間違って覚える羽目になった。

三峯神社

佐倉市岩富方面へ向かうまっすぐな道沿いにある
一見鬱蒼としているが、写ってる範囲の外はすべて畑である

行った日 : 2023/02/25, 2024/02/10

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