八街市東吉田・八街い・八街ろ 客人神社と氷川神社 5 キャプテン村社 2024年2月18日 22:29 東吉田地区最成寺千葉川上八街線沿いにある室町時代の永正3(1506)年に、妙満寺末寺として日善が創建したことがわかる寺院の向かいにある食品店2012年時点で閉店していた客人神社千葉川上八街線沿いに小さな看板がある台地の畑に鳥居がある明治30年客人大明神を祀っている日蓮宗の三十番神の顔ぶれにおり、最成寺も日蓮宗寺院なのでその関係かもしれない境内社の八幡社山王大権現と疱瘡神八街は歴史があるイメージがないものの、これは江戸時代の元号が刻まれていたイーストブルータウン八街道幅が広くて多くの分譲地を有するエリアリンデパークという公園右の方には遊具があり、親子連れが遊んでいた千葉県北東部の分譲地は吉川祐介氏が詳しい比較的きれいなのはゼロ年代の開発だからだそうで、その頃からこんな感じということらしい イーストブルータウン八街 イーストブルータウン八街は、八街駅から南西におよそ3㎞。江戸時代は「東吉田村」と呼ばれた、旧川上村エリアの東吉田地区にあ urbansprawl.net 八街い松林氷川神社典型的なスプロール地帯にある手水鉢には千葉氏の家紋が明治6年奉納者に千葉氏ゆかりの姓があればと思ったが屋号しかなかった境内社の妙見宮裏手の集会所で地区の歴史など刻んだ石碑を探したが見つからず、この集落と千葉氏との関係はわからなかった坂江氷川神社これは別日に撮ったものこの頃は正直「こんなところの神社から何がわかるんだ」くらいの気持ちだったため撮影が雑八街ほのエリアでは稲荷、八街いのエリアでは氷川神社がメインなのは気になる神田神社八街いの西端にある神社さらに西へ行くと佐倉市へ入る三間社流造を簡素化したようなお社境内にある集会所ができたのが平成9年だそう八街ろ氷川神社榎戸駅近くの神社八街神社の分社八街神社は氷川神社を勧請している明治43年の二十三夜塔おそらく明治時代以降の子安観音畑にビニールをそのまま鋤き込んでしまっている墓地の先にあるのは、切ろうとしたら祟られるタイプの木二十三夜塔住宅地のブロック塀脇に残る二十三夜塔無数の一円玉が奉納されている西林氷川神社ここにも氷川神社石碑は消防団の消防操法大会出場を記念している昭和45年の灯籠子安観音を納めた木祠神社農業倉庫の隣にある神社祭神は不明だが、地域性から考えるとここも氷川神社かもしれない農業改善事業の完成記念碑昭和39年に改善事業が完成したのを記念して40年に建てられた石碑か幕府の牧を明治3年より開拓を開始したものの土壌が舞ってしまい収量は向上せず、灌漑事業を完成した今後はより発展していくだろうといったことが書いてある。「徳川幕府の御料牧場」とあるが、御料牧場とは明治時代以降宮内庁が管理した牧の名称。江戸時代は「佐倉牧」と呼ぶのが適切だろう。この文言のせいで間違って覚える羽目になった。三峯神社佐倉市岩富方面へ向かうまっすぐな道沿いにある一見鬱蒼としているが、写ってる範囲の外はすべて畑である行った日 : 2023/02/25, 2024/02/10 ダウンロード copy #千葉県 #八街市 5 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート