心の幻肢痛

自分のことをうまく話したり、人に弱みを見せたり、普通に言いたいことを言ったり、普通に結婚して普通の家庭を作っている人々や、無邪気にはしゃいでいる子供を見る度に心に何かが爪を立てる。

別に嫌な気分になることばかりではないが最近、心の幻肢痛だな、とふと思った。
これまでの生活で、"普通"に暮らすことが出来れば得られたもの、これまで生きている中で"普通"に生活していれば失うことはなかったもの。そういったものを目にする度に一抹の哀しさのような、羨望のような、それらが入り交じった感情が心の奥をひっかく。
別にそれをわたしが必要としていなくても、それはそのように生きるために適応せざるを得なかった、切り捨てざるをえなかったのかもしれないものかもしれないが、ふとした瞬間に心にこの感情が浮かんできて、自己嫌悪や、寂しさがよぎり心が痛み、少しその場を離れたくなる。
その欠けた部分を埋め合わせようとする人も沢山いるけれど、わたしはもう痛みに慣れてしまったな。
そんなことを、この前飲み会の喧騒から少し離れてタバコを吸いながら考えていました。



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