ズンチャ



 シュー(空気の抜ける音)


 今日の猫




 僕たちみんなランブラー、携帯眺めて俯きながら街を闊歩するぜい。



 雪の降る街という名前が与える感傷。




 69階の夜景にはカップルがたくさんいた。今Capitalは夜景を眼下に椅子に座って、このnoteを書いているけれど、カップルが目の前に3組いて景色がよく見えない。
 我の恋人は元気か。350kmほど遠くに離れていて、視界いっぱいに光る電気の数よりも人間が蠢いている。それなのに、ただ特定の1人について考えているというのは面白い。
 Capitalは彼女の膝の上に彼氏が乗ってイチャついているカップルを横目にそう書き記す。あっ、今度は彼氏の上に彼女が乗った。彼らの会話がひそひそ声に切り替わる。静かな時間が流れている。今は春に入りかけた夜で、Capitalはヒートテックの上にセーターを2着着ている。母親の彼氏からお古で貰った上着を脱ぎ、それを背で押し潰して深々と椅子に腰掛けている。夜景が見える。光の粒に意味を持たせることは造作もないが、そのような作業はありきたりであるため恥ずかしいと、反射でそれを拒む。よって光は光のまま、目の前に広がっている。
 展望台から一室へ下ると夜景はその幅を狭めたが、なお目の前にある。あれが横浜の光、あれが東京の光。輝くのは視野の下半分のみである。都会の空は瞬かないからだ。
 Capitalの通知が遠く離れた恋人の緊張を伝える。
 「明日緊張してきました」
 Capitalは思う。何が必要で何が不必要なのか。言葉も思考も、春休みの予定からサブスクに至るまで、平穏を保つために必要なものと不必要なものがあるが、それらが判断できない。これから先、暗い気持ちになるタイミングが何度かは必ず訪れる。そのこと思うと不安になる。打ち所が悪いと、そのいずれかのタイミングで死んでしまうかもしれない。自殺にせよ、鬱がもたらす過食拒食などの行動によるものにせよ、だ!
 恋人といつまで一緒にいることができるだろうか。なるべく長く居たいと思う。この悲観主義を仄めかすと
恋人は決まって「なんでそんなこと言うんですかー笑」と困る。それが面白くて最近はわざとそう言っている。あー、てか、文章だと私自身はしっかりしていて意思のある美しい女性みたいじゃないか? 現実ではチビデブブスの三拍子が揃っているというのに。こんなこと言うと、そんな人間と付き合っている恋人とは…?となるかもしれないので申し訳なく思う。何にせよ、この類のギャップはみんな抱えているのだろうか。1人でいる時の自分と、外に出ることで他人からの評価が事実になる時の自分との差異に苦しんでいるのか? 誰でも。
 Capitalはこれからお風呂に入る。母親が上がったから次は私の番だ。この歳で母親と旅行なんて恥ずかしい、という思いは他人の目が存在して初めて発生するものだということは承知している。その思いを抱えつつ一方で、親と仲がいいことは財産だ、とも思う気持ちも脇に従えながらこの旅行を終える。
 明日、空港で恋人に初めて母親と会ってもらう。特にどうということでもないけれど、何となく、自分の人生にとって主要な登場人物同士が交わることで起こる化学変化を見てみたいという好奇心を満たしてもらうために。それは多分必要なことだ。
 Capitalはそろそろこの文章を、つまりnoteを終えるだろう。センチメンタルになりすぎていることに気が付いたからだ。恥ずかしくなって全文消す前に、早くこのnoteをインターネットの海に公開してしまうのだ!

 では最後にこれを読んでいる人に呪文を教える。
 多分トロピカルな効果のやつだ。

 「ボーリング好きの深い朝の霧が車をボールに、登校中の小学生の列をピンにする」


 note終わり。


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