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愛のカタチはお好きにカスタマイズして、良き時に。

「私は愛されてない。」

「家がストレス。ここに私の居場所はない。」

昨日の娘の12歳の誕生日、
夜にここ最近の娘の行動で気になることがあり、それを諌めた際に娘に言われた言葉。

ショックだった。

言われた直後はもう力が抜けていくようで、同時になんでそんなことを思うのかと激しい怒りが腹の底から突き上げられた。

無我夢中で娘をとっ捕まえて、あんたが出て行くか、私が出て行くかどっちかだ!と現実的にそんなことすぐできやしないのわかってるのに、とにかくどちらかの存在をこの場から無くしてしまわなければ、ニュースにでるようなことになってしまうのではないかという恐怖もあった。

「なんで!」
「どうして!」

私は泣きながら、娘にひたすら問いただしていた。

とにもかくにも冒頭の言葉しか発さない娘。

お互いの強い思いが、私たちの間にある鋼鉄のように頑丈な壁にぶち当たりそれぞれに激しく打ち返されてくる。

そうなのだ。

こうやって後で振り返ってみると、
冒頭の娘の言葉は過去の私の言葉でもある。

そして、それに対する私の怒りを伴う疑問の言葉も、娘が思う通りにならないと今回の私のように強い、けれども行き場のないもどかしさのある怒りと共に口から吐き出している。

ここで私が12歳だった頃を辿ってみると、
当時の私も愛されていない、この家は息苦しい。
居心地が悪い。と思いつつもグッと奥歯を噛んでその言葉を噛み砕き飲み込んで過ごしていた。

それがずっと私の足元にもやをかけていたし、どうしたら愛してもらえるのか、私を見てもらえるのか、ここにいてもいいという許可が下ろせるのかどこに足を向け、進めばいいのかわからぬまま、逃げ出すように18歳で敢えて通えない場所の大学を選び、進学を理由に家を出た。

家をでたことで思い通りに自由になったかと思いきや、ずっと叶わなかった愛されたいという思いはいつしか、両親や祖父母への恨みになり、2人いる妹への嫉妬心が心の中を渦巻いていた。

そしてずっと叫んでいたようにも思う。

どうして愛してくれないの?

なんで私だけをみてくれないの?

妹たちばかりズルい。

なんで?どうして?の繰り返しを。

この繰り返しを私は娘がお腹に来てくれた時に、断とうと決めたのに。

私はめいっぱいこの子を愛して、私のような思いを絶対にさせないと心に固く誓ったのに。

思うように愛せずに苦悩したことも数えきれないほどある。

最近は思春期という時期に差し掛かり、余計にコミュニケーションが難しくなり、もう母親を辞めてしまいたいとすら思ったこともある。

あんなに愛おしい存在だったのに、そう思えない日が多くなり小言ばかりになり自責の念でがんじがらめになったことも。

それでも私は娘の笑顔をみると胸があたたかくなる。

頑張っている姿をみると、目頭は熱くなり、涙が頬をしらぬまにつたうこともある。

美味しいと食べる姿が微笑ましくて、我が家の食卓は基本娘の好きなものがよく並ぶ。

それなのに、それなのにどうして愛されてないなんて言われなきゃいけないんだ。

過去の私のようになって欲しくなくて、全力であなたと向き合い続けてきたのに。

なんで!どうして!

また私はこの言葉をループし始めたことに、今回気がつくことができた。

この言葉はよく娘が言うもので、私はそんな無意味な疑問は持たないと思っていたけれど、私もずっと携えていた。

それを娘は噛み砕かず、飲み込みもせずに発した。

冒頭の言葉も。

何十年も経ち、目の前で音となり解き放たれたようにも感じた。

実際に母は母の方法で私を愛してくれていた。
私という存在を認め信頼してくれていた。

ということを母親になったことで、当時の母の思いになんとなくだけれど手が届いたような感覚もあり、大人になり何十年とたってからだが、その愛や信頼を受け取ることができた。

その自分の経験を思うと、何度も同じ場所をぐるぐるしながらも、苦しいと思いながらも、それでも手探りで進んできた。

そして私の方法で、タイミングで受け取った。

それならいつか私が今、私の方法で注いでいる娘への愛情と信頼が、娘が手に取ろうと思った時に、好きなカタチで、好きなやり方で、受け取って何かの時の娘の支えになってくれるんだろうと、期待ではなく、娘の今後をただ信じて見守って行くしかない。

娘が今そう思ってることは紛れもないことで、私があの手この手でこれだとどう?これだと?と目の前に差し出して変化を促したとて、それは違っていて、受け取ることはできないし、考えは覆らない。

私も娘もタイプの違う頑固さは似ている。

私は己を守る時には石のようになる。

娘は炎のようにエネルギーを放出する。

その大きな力を今はまだ幼さゆえに使いこなせておらず、自らを飲み込むことも多々。

そこをつい、私は助けになろうと飛び込むけれど、私はただの焼け石となるだけ。

もうこの違いをはっきりと認めるしかなさそうだ。

火の力の強さも怖さも娘が経験しながら学んでいくこと。

私は同じように火を起こそうとせず、変わらず隣で見守っていこう。

時に焼け石となりながら。

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