見出し画像

20 Years

今日でとうとう私も21歳になってしまった。時の流れは誰にでも同じで、そしてあまりにも早い。まるで、表情を変えず、ただひたすらに一歩一歩進んでいく人間のようだ。

20歳として過ごした1年は、今まででもっとも中身のある、明暗それぞれを深く纏った日々であったと思う。せっかくの節目、思っていることをつらつら綴りたい。

誕生日が待ち遠しかったのは中学生の時くらいまでで、今となっては、嬉しいというよりも、1年また生きたのかという実感のほうが強い。そうは言っても、喜ばしいことである。まだ21歳の若輩者、未熟な人間だが、1日1日を踏みしめて生きていくことの重みは歳を重ねる事に痛感している。これもまたちょっと遅い青春の一節なのだろうか。

____________________

一人の人間が20歳になるまでに、一体どれほどの他者の献身と支えが必要なのか、それを考えるだけで胸がいっぱいになる。両親はもちろん、友人など、まずは様々な方へ心から感謝を申し上げたい。

私は自分に対してそれほど自信もなく、大した人間でもないと思っている。慢心は悪だと強く思っているし、過大な自己評価には違和感を感じる人間なので、もしかしたら、おさまるところにおさまっているとも言えるのかもしれない。対して、私の周り、日々関わりを持っていたり、つながりのある人たちは素敵な人ばかりだなぁと思う。

これは今に限った話ではなくて、生を受けてから様々なライフステージを辿ってきた中で常に感じることだ。間違いなく、今までの様々な他者との邂逅と関わりの積み重ねが今の自分を支えている。これは、他者とのかかわりの中で自分がいかに変化していくべきか考え、素敵だなと思う他者の良い点を自分のものとして適応させつつ取り入れてようとする、今の私の生き方にも繋がっている。

もっとも、隣の芝生は青く見えると言うし、自分に持ちえないものは魅力的に見えるし、人は自分のことを外から物理的に見ることは叶わない。だから、周りが輝いて見えるのは自然の摂理なのかもしれない。しかし事実として、私は幾度となく他者の言葉や行動に支えられ、救われている。現に、20歳として過ごした1年は特にそうで、友人にとっては何気ない気遣いが私には大きく響いたり、大袈裟だって言われてばかりだが、それを痛感した次第だ。

本当に私は周りの人との縁に恵まれていると思う。唯一の取柄と言ってもいいくらいだ。私の何気ない言葉や行動が、ほんの少しでも良いから、私の背中を押してくれる人たちの力になればよいなとささやかに願っている。もらってばっかりなのは、ちょっと申し訳ない。本当にいつもありがとう。

「素敵な人に恵まれるのは、自分が素敵だからだ」って言葉を何度か大切な友人に言われたことがある。その言葉を信じたいし、心のどこかで自分は大したことないからと思うけども、誰かにとっての素敵な人になれるよう、今年は努力したいと思う。

____________________

3.11というのは、多くの日本に住まう人にとっては意味のある日にちであると思う。私はたまたまこの日に生を受けただけであるけれども、誕生日にあの出来事が起こったことが、自分があのカタストロフィを考え続けるきっかけになったのは事実だ。

私は直接被災したわけでもないし、身近な誰かを失ったわけではない。だけれども、当時小学校6年生だった私でさえ、テレビ中継で見たいくつもの風景は、想像を絶するものだったし、当時のあの社会を取り巻く絶望感と閉塞感・日常が日常でなくなった日々は心に刻まれている。

あの出来事に限らずだが、突然、自らの力の及ばないところで実際に大切なものを失ったひとの悲しみは、私には想像することしか叶わない。同じ経験を身をもってしない限りは、同じ気持ちにはなれないと私は思っている。

実際にその出来事を経験していない人がこう言うのはおかしいのかもしれない、間違っているのかもしれないと、怖いなと思いつつも、私は想像し考え続けることが大事なのだと思っている。想像して、自分なりに考えて、言葉にすることは、きっと人にしかできないことだと思う。特定の出来事に関わらず、何事も考えなければ・向き合わなければ、道を見つけることすら叶わないと思う。

私は、あのカタストロフィを目撃した一人として、絶対に忘却してなるものかと当時決意している。前進していくことと忘れることは同義ではないと信じている。忘却せずして私になにができるかはわからない。しかし、そうせねばならぬと心のどこかで私が叫んでいるからだ。

____________________

きっと、21歳としての1年も、とても濃密になるだろう。そして、平坦ではないだろう。

なんども心折れるかもしれない。なんども絶望するかもしれない。でも、20歳としての激動の1年を乗り越えたのだから、なんてことないと信じている。

さっきも綴ったが、今年は、ささやかになにかを他者に与えられる人になれたらなと思う。とても高望みだし、傲慢かもしれない。でも、もっと人として成長したいから、このくらいがよいのかもしれないと思っている。

今後とも、未熟者ですが、どうかよろしくお願いいたします。

全身全霊で歌と向き合い、人として成長する1年にします。ではまた。

2020年3月11日








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?