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知識の習得と、知識の創造と

物知りであることに価値を見出す人――どうも年配者ほど多いようです。もちろん、かつては本が貴重品だったので、知識を得るのには多大な困難がありました。
しかし世は令和です。単純知識ならばネット検索で簡単に手に入る時代。したがって、知識を持っているだけなら、誇るほどの価値はないと言わざるをえない(それはそれで便利者だけども)。

すると次に登場するのは、調べたときの理解の速さを誇る人。うむ、それもよし――きっと「教養」を積んできた証でしょう。どんな未知のことでも簡単に咀嚼できる理解力は素晴らしい。

しかしながら、まだ重大な見落としがあります。それは、ありものの知識をうんぬんするには、その知識を生んだ人がいなければならないことだ。

発見、という何か、をしたことがある人はわかっているはず、それがいかに時間を要するものか。仮に、ある知識・ノウハウを理解するのに必要な時間を1とすると、その発見に必要な時間は、100? いや、1000か10000かもしれまれせん。

エジソンは、電球を生み出したとき、竹のフィラメントでいけるとわかるまで、2万回の試行錯誤をしたとも言われています。

10分あれば理解できるようなちょっとしたコツでさえも、発見するまでには数年(つまり100万分程度)を要することなどざらにある。たとえば科学で、たとえば家事で、たとえば人育て、たとえば投資、etc.

今日のメッセージはひとつです。
ナレッジを生み出す人に、正当なるリスペクトを。
日本語で言うならば、「知識創造者を崇敬せよ」。

あなたはこれまで、一つでも、新規な(人類初となる)知識・ノウハウを生み出したことがありますか? …
「ない」のなら、たぶん彼らは“普通”じゃないってことです。いわば超人類だ。

もしかすると上で家事を挙げたので、「え、家事でも…超人類??」と思ったかもしれません。上記の定義にしたがえば、片付けに「ときめき」という新基準を持ち込んだこんまりは、まず間違いなく超人類です。
言い方はともかくそのココロは、「家事についても、新しいノウハウを思いつける人とつけない人はいるよね」、ってことです。

さあ、あなたは、どちら側ですか?
まだという人は、ぜひその眠れる力を発揮してみてください。


理数系の教養は国力の礎。サイエンスのへヴィな使い手の立場から、素敵な科学の「かほり」ただよう話題をお届けしたいと思っています。