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自己満足と焦げたパン

4月1日。断捨離と言うほどたいそうな程ではないけど、ゴミ袋6袋分の粗大ゴミを出しました。いつか使うだろうもの、ここ何年も手にとってないけど捨てるには惜しいもの、なんとなくずっと捨てられずにいたものを6袋分。


時間も思い出も抱えられるものには限界があって、それなのにもっともっとと欲ばかり出る中で、昔の可愛らしい一瞬に心が奪われて今の愛しさを取りこぼさないように捨てました。


一番上の棚の奥の方から、やたら分厚い封筒が出てきて、開いてみたら10年前に母からもらった手紙でした。10年前、今のマンションに引っ越したタイミングで、それによって「実家からさらに離れてしまったから私は心配していた」という書き出しから始まって、こないだ「ママはどうしてお仕事ばかりなの?」という長男(当時4歳)からの質問に「え、、、、っと、自己満かな」と答えたその返答に「少し安心しました」とも書かれていました。


「自己満足」は、ともすればワガママと同義語のような、少しネガティブ要素を感じるけど、なんかもう、全てが自己満スタートであることは紛れもない事実。「仕事がしたい」「必要とされたい」「お金に余裕を持ちたい」「時間に縛られたくない」「誰かを幸せにしたい」それは全部、自己満から始まって、そして長い時間をかけて誰かの幸せになっていくんだろうな。長い長い時間をかけて。


「レンジであっためるよりも、焼いた方が美味しいかと思って」と、今朝ロールパンを焦がした旦那さん。いや、このパンはレンジであっためてふわふわにした方が美味しいんだよ、という言葉を飲み込みながらも表情で十分伝えながら、黙って焦げた部分をカリカリ取って「はい、どうぞ」したら「この焦げたところがまた美味しいんだよねー」と大人の空気を一掃した次男。自己満のこだわりよりも、ニコニコしてた方が何倍も誰かを幸せにするんだぞと自分を叱って、仕事に出ました。


自己満は悪じゃない。それを押し通そうとして不機嫌になることこそが悪。

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