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本当の「身の丈とは」

一昨年のことだけれど、萩生田文科相の「自分の身の丈に合わせて」という発言が、どうしても自分の中で消化することができない。そもそも、グローバル化する社会に対応するための、教育改革ではなかったのか。世界に通用する人材は、お金で買ったような上辺の学力ではなく、本人の才能や努力による学力を持った学生の筈だ。家庭の経済状態に依らない本人の力に基づいた受験が行われるのが、本当の意味での「身の丈に合わせ」たものであろう。
 この答えは、私の好きな作家の作品に書いてあった。山本周五郎の『ながい坂』で、身分の低い主人公が力を発揮していくのを、名門に生まれた青年に妬まれ、決斗を挑まれた時の言葉だ。


「私は平侍の子に生まれ、貧しく育った、生まれながらの才能もなく、庇護されたこともない、いま私の身についた学問や武芸は、一つ一つ自分のちからで会得したものだ、あなたに感じられないもの、見えないものを、私は見ることができるし感じ取ることができる、その違いがどれほどのものか、あなたはわかっていない、だがこの勝負で、それがあなたにもはっきりするだろう、-いざ」

その人が持つ力が、経済的な環境に左右されず発揮することができた時、社会に必ずプラスに働くだろう。  

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