プラーナさんへ:『ロケンロー書道教室』レビューさせていただきました☆

突然ですが、
プラーナさんの『ロケンロー書道教室』ノートをレビューいたします。

といっても。わたくし「書」には全く造詣もヘッタクレもありません。noteには「書」のプロさまが数名いらっしゃいますし、あくまで、わたくし桃生の感覚で、桃生の感覚で(2度ゆうた)レビューさせていただくことにします。

わたしと「書」にまつわるエピソードと言えば、正月すぎた辺りにやる「アート書き初め」というアート表現のワークショップで、思いついた言葉を赴くままに書きまくるというのがあります。その中から気に入ったものを台紙に貼り付けたり、コラージュしたり装飾やなんやを施し作品にしたりします。つまり、いわゆる「書道」や「書」とは異なるものです。
これは「書」や「書道」が嫌いとか苦手とかいうことではなく、触れる機会がなかった、わたし個人の興味リストには上がっていなかった、というだけの話です。そのくらい「書」についてはシロウトのワタクシです。

さて、『ロケンロー書道教室』です。
初めて「作品」を拝見したとき思ったことといえば、

 書きなぐりの延長やないかい! と。

 「書道教室」はどこに掛かっているのだ? と。

一方で、言葉まわしがユニークで、アップされたものを目にするたびに、上手い!と小さく唸ったり、笑いが込みあげたり、これってどういう意味?と素朴に疑問が生まれたりなんたりしたものです。

さらに、《ロケンロー書》(と勝手ながら呼称)以外のテキストを拝読してみると、このシリーズはライブで書いてらっしゃることが判明。つまり、その瞬間に浮かんだ言葉や文字列を、プラーナさんの感ずるままに、おそらく手が動くままに、書きしたためていらっしゃるのでしょう。

なるほど、ライブだったのかー。どうりで勢いが感じられるわけだっ!

それにしても、なにゆえ「教室」なのか。この謎については解き明かせるところが見つかりません(見逃していたらお詫び申し上げます)。

疑問を頭の隅に置きつつ、マガジンに収められた作品を順繰り拝見していきます。

ふと、面白いことに気づきました。よく見ると、日々の字体、書体に違いがあります。つまり、上述したように、その日その瞬間の感覚に任せて、ライブで筆を鳴らしておられることがはっきり分かります。
そんな『ロケンロー書道教室』マガジンの中から、ひとつのノートに着目してみました。

2015年1月15日の《ロケンロー書》
https://note.mu/pullerna/n/n844e40ba1a5d

このノートに掲載された書をなんどと読むうちに、不思議な発見をしました。
キーワードで言えば「反対語」とか「逆説」あたりになるでしょうか。

それぞれを少しずつ拾いながら見てみます。

1枚目。『正しい』『誤り』という反対語が記されています。
ここでは「正しい」か「誤り」かが焦点ではなく、それら諸々に「反応する・しない」に着眼している。
例えば、Aという意見について反応した時「なぜ反応するんだ」という言う人があったとする。逆に、Aという意見に対し何も反応せず「どうして反応しないんだ」という言う人も在るかもしれない。そのどっちもあり得ることだし、反応する・しないに対してごちゃごちゃ言うなよ。という主張ともとれる。
もうひと声いかせてもらうと、反応する・しないもどっちでもいいんじゃね? という気楽さの提案とも言えるか。

2枚目。『色々』と『「色々」という色』。
反対語ではないが、相反する意味合いを示しているようにも思える。特に『「色々」という色』は、色々という名の「ひとつの色」に一緒くたにされるような意味深さが感じられ、なかなか唸る言葉まわしです。
ただ、ここで気になったことがひとつ。この2枚目だけに「プラーナ」と名前が入っている。これは、名前のところまでが格言?に入っているのか。それともサインなのか。

3枚目。『石を投げ』と『石を投げられ』。言わずもがな。反対語がここでも出ています。

4枚目。『乱れ撃ち』と『まぐれ当たり』。
こちらは反対語でもなく、逆説的な意味合いでも無いのですが、当たりを前提としない「乱れ撃ち」にも、「まぐれで当たり」があるかもしれんのだよ。という可能性のあるなし解釈をそそります。

5枚目。『感情の(天気)予報』と『間違いだらけでも(それでも)かまわない』。
これもなかなか面白みある文句です。予報は当たって欲しいというのが一般心理だと思いますが、ここでは「間違いでもかまわない」となっている。つまり、感情のいわゆる「良し悪し」的な視点ではなく、感情そのものがどんな状態であるのかを「知りたいのだー」という気持ち(これも“感情”?)を表現されてるようにも思える。

さて。ひとつ一つを辿ってきましたが、いかがでしょうか。

「色々」という言葉が出ていましたが、あえて全体の雑感を「色」で表すと、白と黒だけに終わらず、グレー色も含んでいるという印象。白と黒それぞれの主張性も強くありながら、つなげるものを創造あるいは想像できるような言葉まわし。読めば読むほどイメージを拡げられるような。
このノートに収められた《ロケンロー書》の魅力とは、そこにあるのではないか。

そして「書道教室」の謎とは、読み手が、プラーナさんの弾き出す言葉に刺激を受けながら、自己を振り返ってみたり、新たな発見を得たり、希望や絶望を感じたり……もとい、絶望はさすがに無いと思いますが(汗)とにかく様々な視点や想いを巡らせることができる。それが「教室」となる所以ではないか。

ご本人に言わせたら、まったく意味違いかもしれませんが、含めて面白さを改めて感じたのでありました。

いやはや。人様のノートをこんなに何度も味合わせていただいたのは、note歴10ヶ月で初めてかもしれません。
端的な言葉と主張も交えながら、抽象的表現にも助けられて、読み手それぞれで受け取るという試みができるコンテンツ。ああ、わたしもこんなようなシッカリしたコンテンツを作ってゆきたいな(笑)。

既にたくさんの作品が収められていますが、今後またライブで、どんな《ロケンロー書》 が出て来るのか楽しみです☆
プラーナさん。面白ステキな作品楽しませていただきました!

わたくし桃生、noteで初レビューは以上です。お粗末様でした。


▽『ロケンロー書道教室』by プラーナさんhttps://note.mu/pullerna/m/m039e83427123

▽レビューさせていただいた2015年1月15日の《ロケンロー書》 
https://note.mu/pullerna/n/n844e40ba1a5d


《ご留意:こちらは、ふぃろさんの『私が批判・添削して委員会』とは全く関係ありませんw》