「『居場所』探しのあかつきに」:かのこのにっき_2015_03-09

#かのこのにっき   #引っ越し


@15-0329

あっという間に3月が終わる。今月に入って湘南の暮らしが始まったばかり。しかも、初のシェアお家。なのに、すでに数カ月を経たような、不思議な気分になることがある。その背景には、どうも、わたし自身の“移動度”が高いこととの関連もあるのではないかと、昨夜、風呂の中でふとよぎった(「風呂」はいらない情報)。


わたしは、物ごころついた頃から、こと親元を離れた18歳の終わりから、ずーーーっと「動いていた」ように思う。この「動いていた」は物理的な動き、つまり引っ越し回数だけでも察しがつく。

通算26年のひとり暮らしで、引越し回数10回。

最初のひとり暮らしは浪人生活でスタートした。高校卒業間近まで受験であちこち飛んでいたこともあり、住居は予備校の斡旋で、内見もせずまま決めた。大家さんが一階に暮らす一軒家風。風呂無しアパート。六畳一間に小さな台所。西日の射す台所は、夕飯の支度をする頃にモワモワと熱気を溜め込んでいて、火を使おうもんなら汗だくな状態だった。そう、クーラーなどもない、扇風機の生活。あとは窓を開け放す。冬場はコタツと小さな電気ストーブでしのいだ。

こう書くと如何にも身も心も貧乏で耐え忍んでいるようにも思えなくはないが、実際は、精神的にも肉体的にも“軟禁”生活から解放された初めての一人暮らしで、願った以上に「自由」を感じていて、「浪人」という悲壮感は傍目には感じられなかったのではないだろうか。

食事の準備も楽しみの一つ。揚げものなど実家でほとんど体験していなかったが、青葉の天ぷらを揚げたくて意気揚々、想像に任せつつ揚げてみる(料理本などを見ないめんどくさがりタイプ)。

と、そこへ玄関をトントンと叩く音が。……あれは確か新聞の勧誘だったと緩く記憶している。炊事場に直結した玄関は、人けの無さを装うにはあまりにも近すぎてごまかしが効かず、“来訪者”があると比較的すなおに玄関を開けていた。その日も、ちょっと話しただけだったが、青葉はあっという間に油の上で真っ黒に縮こまっていた。
そんな懐かしくも初々しい(!)エピソードもいくつか。


それから1年が経ち、結局わたしは自分の進路先を持つことができず(受験したところ全てに入れなかった)、しかし諦めることもできず(親元に戻りたくなかった)、二浪を決めた。なんたってこの世界、一浪二浪が珍しくない。仲間にもそんなのが珍しくなかったし、そこに甘んじすぎたワタシ。

あとになって考えてみれば、それなりの生活費と予備校費を要するこの状況を、いくら〈毒〉満載とはいえ受け入れた親に、感謝の他はない。そこには、親に安定収入があったということも忘れてはならない。いくら父の稼ぎのほとんどが、父の兄弟の借金返済に持って行かれているという現実があったとしても、背景にこじれまくった人間関係と乱用が満載で、子どもの人格形成にまったく安心できない環境だったとしても、その片方が(つまり毒持ち母のことですが)金の工面に勤しむ努力があって、こうして上京することができたことは忘れてはいけない。

といいつつ、ひとり暮らしもこのまま終わるわけではなく、わたしは次の部屋を見つけて引っ越した。とてもとても古いアパートだったが、今度は風呂あり、部屋は三畳+六畳の和室。画材を広げて絵もゆうゆう描ける(はずの)充分なスペースを持った部屋だった(といってもアクシデントは幾つかあったのですが)。

「花の東京」へ出てきて初めての引っ越しは、近所移転だったことと、なにより家財が少なかったのが幸いし、予備校仲間(みな浪人生w)の所有車で数名の助けを得て移動。


……ああ。今はじめて気がついた。

わたしは「人の助けを得る」ことが、このとき出来ていたんだなぁ。ああ、ビックリだ。逆になぜあの頃は助けを求めることが出来たんだろう?

…………………。


もしかすると、引っ越し自体が、感覚的に日常の「暮らし」と結びついていなくて、遊びの延長だった、のかもしれない。


あれから30年近い年月が飛び去った。過ぎる、というより、飛び去る。わたしが上京した頃に生まれた子どもは、今やアラサーになり、家庭を持つ人もおり、そんな長い長い年月を、何はともあれ生き延びてきたんだなぁ〜。なんかもう充分だわ。

そんな心持ちを象徴するかのように、昨年末の引っ越しで持ち込んだ荷物は、ダンボール数個と布団類、衣装ケース数個、二十数年の間で引越しのたびに共にしてきたローテーブル、姿見、脚は痛んでいるが天板はお気に入りの作業用テーブル、その他お気に入りの雑貨類を少し。あとは、iMac『カオリンゴ』(笑)。これだけ。

初めて上京したときより家財はさすがに多いけれど、この十倍くらい荷物を無駄に抱えてきた歴史を考えると、今回の再上京はまるで洗いざらい再スタート!という感じで色々に感慨深く、そしてわたしも充分に歳を重ねてきたのだと納得と安堵の想いにも包まれる。


あと1、2回くらい引っ越しの予感(予定)はあるが、もう「自分探し」の移動ではなくなった。敢えて言ってみれば「安住の地」あるいは「終の住処」。まだまだ残された人生はあるとしても、“居場所探し”はもうおしまい。自分の居場所は自分で創る。そう思えるようになったとき、今度はどうやら、“居場所を探す誰か”を受け入れる準備が始まったらしい。

具体的なものを何も持たないちびっ子中年が、何をどんな風に受け入れることができるのか、まったく自分でも予想がつかないが、それはおそらく、訪ねてくる人と共に築き上げていくのでしょう。
うん、きっと、その方が楽しいにきまってる。穏やかな楽しみ。ありが太陽。


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