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50歳で完全な阿呆になるために

この前、Twitterでこの漫画を読んで「ワ…」と思いました。

「私だ~~~~」

別に怒られなくても、日頃から絶望しっぱなしの幼少期でした。

人生で記憶している限り一番最初の絶望は3歳で家のふすまに穴をあけたとき。
当時の感情をいま言語化するなら、「罪悪感のあまり消えてしまいたい」の状態です。

多分そこから1年も経たない内におもらしした時も、今でいう土下座をして泣きながら詫びてました。親、3歳女児に土下座されてさぞかし気まずかったと思います。

うちの親は別にそこまで厳格ではないし、多分こどもの失敗に関しては寛容な方だったんじゃないかと思います。

失敗したときに私を激しく叱責したのは、他の誰でもない私自身しかいませんでした。

結果、なぜか自分はすごく劣った存在で、人の数十倍努力しないと誰からも認めてもらえないと信じて疑わない小学生が爆誕。

サザエさんのカツオを見て「こいつマジで学ばん…こいつのようにだけはなりたくない…」と震えていました。カツオのキャラデザ考えた人も、自分の仕事でここまで誰かを恐怖させてるとは思ってなかっただろうな。

今考えると、「無個性」の状態に怯えていたようにも思えます。

その後成績が上がっても、前回りが出来るようになっても、一向に深い絶望は晴れなかったのに、「変なこと言って周りを笑わせる」という立場がクラス内で確立した瞬間、超生きやすくなりました。

(その生きやすさと引き換えに、人前で変なことを言わないと落ち着かない妙な癖を背負うことになりましたが)

その後、中学に入ったら醜形恐怖という別の種類の絶望と生きることになり、結局今の状態に近づき始めることが出来たのは高校に入ってからです。

高校、本当に同級生が最高だった。

友人の影響で「全肯定」という文化に触れました。生きてりゃ偉い、のスタンスです。その頃Twitterも始めて余計にそういう言説を浴びるようになりました。

初めは全肯定なんて、自分にとっては嘘っぱちでしかなかったけれど、3年間何度も唱えて人から言われてを繰り返して、半ば洗脳のような形で「生きてりゃ偉い」という言葉は自分の土台に染み込んでいきました。

鉄棒が出来ないといけない
先生から嫌われちゃいけない
いつでも自分を強く律していないと正しく生きていけない

友人たちに手伝ってもらいながら、一個一個そういう積み荷を路肩にぶん投げて、気が付いたら私は鏡にも未来にも怯えなくなっていました。

スーパーでお菓子を買ってもらえなかったときに床で駄々をこねられる領域にはまだ達していませんが、もうカツオを見て震えることはなくなりました。

まだまだ捨てられる気がします。
今の目標は30歳で断捨離を終えることです。そして50歳で人にも自分にもやさしい、完全な阿呆になる。

こんな妙ちくりんな宣言をしても

こんなこと言ってくれる友人と大学に入っても出会えたんだから、もう絶望する必要なんてないですね。

スキすると鹿の子の無責任占いがついてきます