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お彼岸にご先祖さまを想う

ご先祖さま、と呼ぶ時その存在はもはや神仏と同様に感じられますが、元は実在してこの地球上を歩いていた人間です。いったいどんな人物だったのでしょうか。
子どもの頃からお参りしているお墓は、墓石の正面以外の三面にびっしりと名前が彫られています。いつも「こんなに古い時代の記録が残っているんだね」とこんなにがどんなにか調べてみるでもなく適当に言ってました。
今日初めて、ちゃんと最初の年号がいつなのか調べてみました。

最初が享保四年(1719年)、次が宝暦四年(1754年)、その次が安永三年(1774年)とあります。
1719年とは、今から305年前、八代将軍吉宗の時代でした。1603年から1868年まで265年続いた江戸時代のだいたい真ん中あたり。
どんな時代だったのでしょうか。

享保元年(1716年)に将軍となった吉宗は赤字だった幕府の財政改革に乗り出しました。「享保の改革」です。
贅沢を禁じる倹約令。大奥の人員削減。農民の年貢率を四公六民から五公五民に引き上げ。
収入の半分納めるあたり、現代人にとっても親近感湧く時代と言えるのではないでしょうか?
享保の改革の各種政策によって幕府の財政状況は改善しましたが、増税に苦しむ農民の不満は募り、百姓一揆が増加していきます。享保17年(1732年)には享保の大飢饉が起こり、貧しい民衆が米商人を襲う「打ちこわし」が多発しました。
なんだか身につまされますね。
現代人ももっと怒ろうよ。

そんな享保時代の始まり1719年に亡くなった一人のご先祖さま。
最初にこの墓石を用意し、最初に名を刻まれたこの人物は何をしていたのでしょうか。今となってはわかりません。
この方のお名前は、「◯◯◯(現在の姓)小右衛門重◼️」◼️の部分の漢字は、墓石の名前にたびたび登場し、私の父の名前にも使われています。
この墓石以前の名前はわかりませんが、300年以上子孫に伝えられている漢字があるというのも凄いです。
父はこの漢字でご先祖さまに守られているのかもしれません。

墓石の名前を調べたら、ご先祖さまの時代と、今との繋がりに想いを馳せることができました。



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