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秋の日のヴィオロンの

毎年秋が来ると「秋の日の……ヴィオロンの……」と頭に浮かぶ人は多いのではないだろうか。そして「秋の日のヴィオロンのため息の」までしか覚えていない人もまた多いだろう。私もその一人だ。
今年の秋こそこの詩を全部覚えて、暗唱しながら落ち葉を踏んで歩こうではないか。

この詩はヴェルレーヌの「秋の歌」を上田敏が翻訳して「落葉」とタイトルにつけたものだ。


落葉

上田敏 『海潮音』より

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。


【原文】

Chanson d'automne (秋の歌)

Paul Verlaine (ポール・ヴェルレーヌ)

Les sanglots longs
Des violons
 De l'automne
Blessent mon coeur
D'une langueur
 Monotone.

Tout suffocant
Et blême, quand
 Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
 Et je pleure

Et je m'en vais
Au vent mauvais
 Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
  Feuille morte.


上田敏訳の詩をあらためて読んでみて、率直に言ってあまりたいしたことは言っていない、という印象だ。
要するに秋は物悲しい、という普遍的な感傷に浸っているに過ぎない。

やはり訳詩だからだろう。
原文のフランス語なら詩の言葉は韻を踏むことで命を得るのだ。(フランス語読めないけど)
なんなら漢詩でもこの内容はいける気がする。
けれど日本語で「うら悲し」とストレートに言ってしまうと浅いものになってしまう。

結局この詩は最初の三行だけが光っていてあとは平凡だったのだ。だから三行しか覚えられなかったのだ。


名詩に対してかなり言いたい放題になってしまった。
noteにはこの詩をとても詳しく解析された記事があったので、ご紹介させていただく。とても勉強になった。


今年の秋も来年もずっと
秋の日のヴィオロンの……
で終わりそうである。


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