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白く欠けた世界にて


足りないの。
ねえ、言葉が。

足りないの。
ねえ、感情が。

足りないの。
ねえ、実感が。

欲しいんだけど、
どこへ行ったのかな?

欲しいんだけど、
どこへ消えたのかな?

欲しいんだけど、
どこへ隠れたのかな?

ねえ、ねえ、ねえ、

ここにいるのに、
ここにいないみたいに。

そこにいるのに、
そこにいないみたいに。

どこかにいるのに、
どこにもいないみたいに。

遠い、遠い、遠い、

この世界には一人だけ。
だから誰もいない。

この景色には一人だけ。
だから誰もいない。

この部屋には一人だけ。
だから誰もいない。

いない、いない、いない、

ばあ。

ここはどこだろう、
足の裏から伝わる痛み。

ここはどこだろう、
首がキリキリ絞まる痛み。

ここはどこだろう、
体が思うように動かない。

「目が覚めた?」

彼は笑う。
優しそうに、くらりと、太陽のような光を宿して。

「駄目だよ、勝手に眠っちゃ」

彼は笑う。
ひどく、柔らかく、木陰のような翳りを宿して。

「まだ、これからなんだから」

クスクスクス。

「何して遊ぼうか。鬼ごっこも、隠れんぼも、もう飽きちゃったよね」

ギチギチギチ。

「カッターの使い方。
その1、君の髪を切る。
その2、君に切り付ける。
その3、君の爪を剥ぐ。
その4、君に踏ませる。
その5、君の瞳を抉る。
その6、君に飲ませる。
その7、君の腹を割く。
どれが良い?」

ああ、それとも――首に突き立てる?

「……どうして、こんな、」
「好きだから」
「嘘」
「ホントだよ。どうして信じてくれないのかな」
「だって普通、こんなことしない」
「普通、ねぇ。そんなものは幻想だよ」

都合の良いだけの妄想。
だから、そんなものは捨ててしまえば良い。
ほら、ここには何もない。
自由だよ。とても。
ああ、なんて清々しい気分なんだろう。
まるで生まれ変わったかのように、
この世界は喜びに満ち溢れている。
そうは思わないのかな?

「イカれてます」
「残念だな。君とは分かり合えると思ったんだけど」
「それこそ、都合の良い妄想です」
「知ってるよ。"普通"も"自分の考え"も妄想に過ぎないのなら、
より都合の良いものを選べば良いだけだろう?
だから"普通"が駄目という訳じゃない。
ただね、そんなつまらないことに囚われるのは勿体無い、って思うんだ」

普通だから、イカれてるから、何だっていうんだろう?

「人間っていうのはね、線引きするのが好きなんだ。
そうすることで物事を理解し、秩序立て、安心しようとする。
悪いことじゃないよ? そうやって人間は進歩してきた。
科学も、文化も、歴史も、思想も、そういうものが積み重なってできている。
ただ、それが仮初めの境界に過ぎないっていうのを忘れている人が多過ぎるんだ。
馬鹿馬鹿しいよね。
何が正しいか、何が間違っているかは、外側には無いのに。
自分自身で決めなくちゃいけないことなのに。
人間には、それだけの技量があるんだよ。
世界を定義し、再構成する――それは、一人一人が持っている力なんだ。
だから、皆好きな世界を創れば良いじゃないか。
きっと素晴らしいことになる」

――君はそうは思わないのかな?

「あなたの幸せは、他の人の幸せにはなりません」
「誰も、他の人を幸せにすることはできないよ。勝手に幸せを感じるだけ。
他の人を幸せにしようとするなんていうのは、単なる自己満足だよ」
「だから、もう、止めて下さい」
「それはね、君が幸せになれば問題ないことだよ」
「受け入れろということですか?」
「イカれてしまえば良い。"普通"なんて捨てて、君の好きな世界を創れば良い」

世界は、変わるよ。

くらりと笑った。
彼、はとても綺麗だった。
けれど、彼のしていることには、賛同できなかった。
だから首を振った。

「じゃあ、ここでお別れだね」

さよなら。

そうして、取り残された。
ここにある身体は誰のものだろう。

足りない。
足りない。
足りない。

白い、白い、世界で聴いていた。

箱の中の。
真っ白闇の。

彼のことが好き、だった。

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