何かを知るには知らないふりをしたほうがいいっていう

 はじめに言っておくが、知ったかぶりは何の得もない。知っていると嘘をつけばその場をやり過ごせると思ったら大間違いだ。馬鹿がバレないようにせめて知識が豊富だと思われたい?いやむしろ、知識が豊富な人ほど、「知らないこと」を恥ずかしがらない。
 知ったかぶりをするやつほど馬鹿にされるのは当たり前だ。だってそれ嘘つきだし。もし知らないからと言って馬鹿にするやつがいたらそいつが馬鹿ってだけで、サンタの正体を知らないだとかキャベツ畑の真実を知らなくたって、それを馬鹿にして笑う者はいない。ただ生温かい目で見られるだけだ。

 そんなわけで、知ったかぶりはするなという話である。では知らない話題が出てきた場合、どうすればいいのか。答えはシンプルで、「知らない」でいい。話題を出した者がクソニワカであるか、あなたとの話を早く打ち切りたいと思ってたりしない限り、相手はそのことについて教えてくれるはずだ。
 これは両者にとって良いことで、基本的にあなたは相槌を打っているだけでその会話をやり過ごせる。この際、あなたは質問を用意したり、自分の知識を挟む必要もない。ただ聞いているだけで、相手にとってはパーフェクトコミュニケーションだ。たとえその話があなたの耳を通らずに宙に霧散してしまっていたとしても、客観的にはそれは会話だ。もちろん、あなたが相手の説明に興味を持って聞いていれば、新しい知識が身につくことだろう。実際に、頭のいい人たちはそうやって知識や情報を得ているフシがある。そして元々多く持っている情報を知識人同士が補完し合い、さらに知識をつけていく。そうして情報量の差をどんどんつけられてしまうのだ。
 だから一回、無知になろう。無恥になろう。人から知識をもらおう。教えてくれる人が先輩に位置する人であれば、あなたは可愛げのある後輩にもなれるのだ。こんなに美味しい話はない。

 しかし、年を食えばそんな便利で優秀な知識の入手方法を使えなくなってくる。肥大化したプライドが邪魔してしまうのである。携帯ショップや家電量販店に勤めたことはあるだろうか。私の経験上、とにかく50代以上の方々は説明を聞かない。年下に何かを教わることに恥じらいまたは嫌悪感を覚えるのであろう。だからわからないことがわからないままになって、そのうち文句を言い出すのである。
「最近のものは難しすぎる」「もう少し皆が使えるようにしてくれ」
 じゃあまずは話を聞いてくれ。しゃばいプライドなんて捨てて、新しいことを学んで身に着けようとしてくれ。だから老害なんて言われちゃうんですよ、と強く思っている。

 そういうこともあり、低姿勢でわからないことはすぐに聞いてくれるおじいちゃんやおばあちゃんには非常に敬意を持ってしまう。紳士的というかなんというか、年を召しても知識欲がしっかりとあるということは素直に羨ましい。自分自身、好奇心の火を絶やさずに生きていけたらいいと思っている。

 眠たくなってきたのでここで筆を置くことにする。それでは。

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