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大林宣彦監督を偲んで

今日、4月10日は敬愛する大林宣彦監督の命日。四半世紀以上も昔、新聞記者時代に二回ほどお会いし、直接お聞きしたことは僕の人生の心の宝物になっている。

大林監督が肺がんのStageⅣで余命半年の宣告を受けたのは、2016年8月。「花筐(はながたみ)」の撮影に入る直前のことだった。この辺りのことは、文春オンラインの記事が詳しいので、読んで頂きたい。

その後、抗がん剤治療が効いて奇跡的に回復して「花篚」は完成し、更に遺作となった「海辺の映画館 〜キネマの玉手箱」を撮った。

この映画は公開が延期され、更に僕も食道がんが見つかり治療が始まったので、「海辺の映画館」を観る機会を逸してしまった。TVで放映してくれないかな、と思っていたところ、先日ようやくオンエアされて観ることができた。

映画の内容については、さとなおさんの記事が詳しいので、そちらに譲るとします。

この映画を観て「長いなぁー」ってのが僕の第一印象。そして、大林監督は幸せな監督だなぁとしみじみと思った。「こんな映画を撮れて公開されて、本当に良かったですね、監督は幸せな人ですね」って心の中でつぶやきながらラスト30分を観ていた。

上映時間179分だから約3時間の長尺、途中で”一応”インターミッション(らしきもの)が入る。Wikipediaによれば、2時間以内の尺が出資側との「絶対条件」だったらしいが、プロデューサーの奥山和由さんが初号試写を観て「切る所がない」と決断したらしい。英断と言って良いと思う。

大林監督は尾道三部作など大手映画会社の「商業映画」でも名作を撮っているけど、元々は自主映画(個人映画)の映画人で「作家性」が強い。また、広島の生まれで「原爆を描くことが使命」だと考えていたらしい。

「海辺の映画館~キネマの玉手箱」は、そんな大林監督が真正面から「原爆」をテーマにして「作家性」を前面に押し出した表現・演出で描かれている。言葉は悪いけど永遠の映画少年が「好き勝手」に撮った映画だと思う。

僕は映画の業界紙の記者経験から、映画を「興行」面からシニカルに見てしまったりもする(まぁ、職業病です)。そういう観点から言うと、この映画は大手の配給に乗せられるものではない。

そもそも、大手だと3時間の尺の映画なんて興行的には敬遠される。理由は単純で、標準的な90分前後の映画の倍だから一日の上映回数は半分になるから、売上も半分になる。また、長いとそれだけで敬遠する人も多いから、売上は更に落ちる。

更に「作家性」など「興行」的には不要なものの最たるもので、映画が客商売である以上は、大手配給だとエンタメ性重視にならざるを得ない。また、映画のテーマも大まかなジャンル分けだと「反戦映画」として括られてしまうのもマイナス点となる。重いテーマの映画にお金を払って3時間も椅子に座って観たいと思うお客さんは、残念ながら多くはない。

このように「興行」的観点から言うと、全国規模で公開するのは無理な映画だと判断されるから、大手だと半分程度ズタズタに切られた「映画の残骸」として公開されるのが業界の常識なんだけど、オリジナルの尺で公開された。

配給したのは、準大手のアスミック・エース。この会社は、ヘラルド・エースとアスミックが合併して出来た。ヘラルド・エースは、作家性の強い作品の製作やミニシアター系の作品の配給をしていた。アスミックもミニシアター系の配給会社。単館から小規模チェーンで作家性の強い作品の配給を得意としてきて、アート系映画(コーエン兄弟とかダニーボイルとかトルナトーレとか陳凱歌など)を好むスタッフが多い会社。

こういう配給会社だから、「海辺の映画館~シネマの玉手箱」はオリジナルの長尺で公開されたんだと思う。

日本映画界を代表する大監督の黒澤明監督の晩年は、映画を撮ることが難しかった。黒澤作品は製作費が嵩む、斜陽産業だった当時の日本映画界大手(東宝・東映・松竹)は、黒澤さんの企画にお金を出すことが出来なかった(「八月の狂詩曲」「まあだだよ」は国内製作だけど)。

「海辺の映画館~キネマの玉手箱」の製作費は知らないけど、公開されている興行収入を信じれば、大赤字であることは間違いない。初号試写を観た段階で、製作費を回収できないことは予想されたと思う。

それでも、この映画は大林監督が意図したままの姿で完成し公開された。大林監督の何と幸せな事か。

大林監督の遺作となった「海辺の映画館~キネマの玉手箱」を観ながら、泉下で好きなように映画を撮っている大林監督の嬉しそうな姿が浮かんだ。

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