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「食道がん」になって思う事(Part1)

2020年4月30日に「食道がん」宣告を受け、5月から休職して闘病生活に入ったアラカンのオッサンです。

ネットで「食道がん」の情報収集をしても、余り体験者の「生の声」が見つかりません。医療従事者の「説明」や「データ」は、いくらでもヒットしますが、こちらが知りたいのは、がん患者が「何を考え」て治療法を「選び」、治療中に「何を思い」、退院後の生活はどうなのか、患者側の視点からの記事です。

見つからないので、僕が書くことにしました。

これから、「がん」に罹患してしまう方や僕と同じように現在、闘病中の方に何らかの情報を提示できたら良いとは思いますが、基本的には自分のための忘備録的な内容になります。

今回は、僕が「がん告知」を受けるまでの流れを書きたいと思います。

何となく変だな、と感じ始めたのは2年位前になるだろうか。ごくまれに、食事の最中や食後に食べたものが逆流することがあった。吐くまでには至らず、食道の途中までせりあがって来る。そんなことが、数ヶ月に一回くらいあった。

その時に気になったのは、「逆流性食道炎」にならなければ良いなってことで、「がん」は気にもしなかった。

今年に入り、まれに飲み込みにくいことがあった。途中でつっかえる感じ。最初の内は、もう60歳手前だし嚥下機能が落ちて来たんだろう、くらいにしか思っていなかった。

それが、だんだんと酷くなってきて、食べ物が詰まり吐くようになった。いよいよ、ダメだと思ったのは板チョコが詰まり、水で飲みこもうとしても水が逆流して来た時。

それで、耳鼻咽喉科を受診したが、世の中は「コロナ禍」の真っただ中。受診した病院では、内視鏡検査を中止していた。検査に伴い飛沫が飛び散るためらしい。

それで、内視鏡検査をしている近所の内科を受診した。鼻からチューブを入れるタイプの内視鏡で食道の途中まで入ったが、狭窄していて奥までは入れられなかった。

医師から「無理に入れると食道を傷つける恐れがあるので、これ以上は出来ません。地域の基幹病院に紹介状を書くので、これから直ぐに救急窓口に行って下さい」と言われ、電車で二駅隣の総合病院の救急外来に向かった。

ここでも「コロナ」の影響で、直ぐには中に入れない。外の仮設テントに設けられた受付で紹介状を渡して、これこれの経緯で来た旨を伝えて待つこと30分くらい。ようやく、中に入れてもらえた。救急なので救急車で来院する人が優先なのか、待つこと1時間以上、ようやく医師の元に案内された。

医師の前に座ると、彼は紹介状に添付されていた内視鏡の画像を見ながら、「何でここに紹介されたか分かります?」と聞いてきた。行けと言われたから来たまでなのだが、と思っていると、

「がんですね」

あっさりと、「がん宣告」された。

いや、何となく察してはいたけど、こんなにもあっさりと告げるものなのか、というのが第一印象。「がん告知」ってもっと慎重というか禁忌というかデリケートなものだというイメージだったけど、現代は違うのね。この病院だけかも知れないけど。

次に、「がんかー」って思った。「がんなんだ、がんなのね、そうかー、がんかー」と「がん」という単語がグルグルと回り始める。とは言え、そんなに落ち込んだり、パニックになることはなく、かなり冷静に受け止めていた。

元々、オプチミストで余り物事を深刻に考えないタイプの人間なので、「まあ、何とかなるだろう」くらいにしか受け止めていなかった。医師から、

「これから血液検査して、CT撮ります。今日から、入院してもらいます」

と、言われて「マジかよ」と焦った。だって、入院の準備なんかしていないし、会社にも言わないといけない。なにより、家族に何と言おう。面倒なことになったなー、絶対に妻から怒られる。

それで、「今日のところは、いったん帰って、明日から入院じゃダメですか?」と抵抗してみたが、「だってあなた、3日も食事できてないんでしょ。水も飲めない状態の患者を帰す訳にはいかないでしょ」と却下された。

それから、バタバタと検査が進み、一息ついたところで会社に明日から休むことを伝え、家に電話し、妻に「これこれしかじかで入院することになった」と説明。妻の反応は、予想通りだった。

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