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CancerX Story 〜岡崎裕子編〜

CancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」
第6回は、CancerX理事の岡崎裕子です。
(写真は最初の抗がん剤投与から10日後の家族写真です)

わたしのCancer Story


2017年40歳になった年の春、左乳房に乳がんが見つかりました。

ステージ2bリンパ節転移あり、の診断でした。術前抗がん剤治療を半年間行い、秋に左乳房全摘出およびリンパ節郭清手術を行いました。

次女の妊娠と授乳により人間ドックでマンモグラフィーを3年間受けられなかったために気づかず進行してしまいました。

授乳期乳がんです。

原発腫瘍は2.1センチと1.5センチがいびつに繋がっていて、左脇リンパ節の転移巣は3センチに肥大していましたが、術前化学療法(手術の前に抗がん剤治療をすること)で原発巣もリンパの転移も共に病理学的完全奏功(がん細胞が消失した状態)いたしました。

初発治療は良い結果が得られましたが、遺伝性ということもわかったので、2018年7月に両卵巣と罹患していない右乳房の予防的切除、同時に両胸の再建も終えました。

トリプルネガティブというタイプのがんで、ホルモン療法などの術後治療の対象ではなく、現在は無治療で経過観察中です。

2人に1人が癌になる時代に実際がんになってみて知った事。

1) 抗がん剤治療は、イメンドという素晴らしい吐き気止めの登場により、想像していたより辛くない。(個人差はありますが私は一度も吐きませんでしたし、ご飯も普通に食べていました)

2) 主治医とのコミュニケーションの大切さを実感。病について積極的に学び、患者力をつけて臨まないと治療の選択すらできないことを知る。

3) 抗がん剤治療の副作用による脱毛と、ムクミなどの見た目問題は滅入るけれど、自分が気にしているほど周りにカツラも浮腫みも気づかれない。(気づいていたのに、気づかないふりをしてくれていた方もいると思います。)

4) 私がそうであったように、がんを隠して仕事を継続し普通に生活している人が結構いる。(抗がん剤投与2、3日目のどうにも辛い時に子供達を預かってもらった近所のご家族や、保育園/幼稚園の先生と少数の友人以外には打ち明ける事なく治療を終えました)

5) がん種や個々のタイプによって抗がん剤の効き方などの治療効果が違うため、がんは一括りで語ることができない

6) 再発に対する不安はあるものの、乳がんの予後は比較的良好

7) 遺伝性(HBOC)とわかったことで対策が取れることは、一概には言えないが、私に関しては良かった。

治療を終えて。

幼い子供を抱えての闘病は、正直自分より子供達のことしか頭にないくらい不安ばかりでしたが、心配をよそに夫の完璧な育児サポートと、がんをまだ怖いものとは知らない子供達のおかげで、前向きに治療期間を終えることができました。子供たちは私に力を与えてくれた、命の恩人です。

副作用が以前に比べて軽くなっていることで、通院で抗がん剤治療を行えるので、毎日娘のお弁当を作ることができましたし、ご飯もほとんど作り、親子遠足も幼稚園の運動会も出席しました。家で過ごすことができたので、気持ちもあまり滅入ることなく終わりました。

抗がん剤治療2クール目で迎えた長女のお誕生日に子供たちと
手術が終わり帰宅した直後の朝

がんを経験して変わったこと(ごく個人的な話)

1) 自ら立てた目標でもないくせに、一連の治療後はものすごい達成感を得る

2) 病院で病歴を記入すると、医師が丁寧に扱ってくれるようになる。(近所の整形外科や内科、皮膚科などでも注視してもらえるようになるし、説明も丁寧に)

3) 人の命は有限であると実感。自分含め死は遠いものではないと思い至る

4) ご近所との絆が生まれる。助けて〜と言えるようになり、子供達も地域の皆様にお世話になった事で一層のびのび育つ。

5) なぜか強い意志を持ってサーフィン再開を決意(主治医からも了承済み)

6) 腰痛や頭痛があると、普段なら気にする事ない症状でも再発を思い、気持ちが落ち込む(今のところ単なる気にしすぎ)

7) 至る所に手術痕ができたのと、左脇と腕の感覚は麻痺したまま。

8) 卵巣切除により第三子は諦めた。また早く来た更年期のせいで、突然滝のように汗をかく。

9)「娘が癌なのは家族の恥」と父に言われ(悪気なし。85歳なので考え方がすごく古い)、「病人(私のこと)が怖い」と母に泣かれ(これも悪気なし。自身が5年生時に実母を乳がんで亡くしているからなのだろうと推察)。治療中の一番辛い時期に実の両親から避けられたため、気持ちの隔たりができた。

10)夫と子供達との絆はかなり強固なものになり、私自身の家族仲はすこぶる良好。

罹患前と後の変化はこれくらいです。
こうして並べてみると良いことも多かったような気がしますが、できれば病気になりたくなかったのでキャンサーギフトとは思いたくありません。

CancerXに参加したきっかけ

がんは、症状も予後も様々で、それぞれの罹患者がそれぞれの悩みを抱える病気です。

自身の経験を通して、がんと共生共存していく社会がもっと身近になってくると実感しました。罹患者と周りの方が隔たりなく暮らせる社会を目指して、微力ながら私に出来る事をして行きたいと思い、社会活動としてのCancerXに参加しました。

私の治療中のロールモデルであった友人の鈴木美穂に誘ってもらい、忘れもしない2018年10月21日に最初に集まったメンバーと想いを語り合い発足したCancerXに参加したのでした。

また、私自身も治療後の不安とどう向き合ったらいいのか、悩んでいました。不確定な情報が溢れる中で、つながりを求めてCancerXに参加したことは私を大きく強く変えました。

医療者や当事者、それらに属さない立場でありながら、どうしたら当事者が孤立しない社会を作ることができるのかを親身に考え、歩みを共にしてくれる仲間に支えられて今があります。

CancerX Summit2019を終え、メンバーと記念撮影

今後の展望

私が感じた生きづらさと、社会にどう関わっていけばいいのか全くわからず路頭に迷った5年前のあの時の気持ちを忘れず、これからもCancer so what?と言える社会を目指して、皆と共に進んでいきたいと思います。

皆というのはメンバーのみならず、今この文章を読んでくださっているあなたも、です。

ジェンダー、疾患、障害などが全て包括される社会を願い、本当に微力と知りながらも私ができることをしていきたい。

それが私の願いであり、私たちCancerXの活動のゴールです。

プロフィール


岡崎 裕子 Yuko Okazaki

陶芸家 Potter
1976年東京都生まれ。株式会社イッセイミヤケ広報部勤務ののち、茨城県笠間市の陶芸家のもとに弟子入りし4年半、茨城県窯業指導所(現茨城県陶芸大学校)にて半年間釉薬について学ぶ。その後横須賀市にて独立。2009年に初個展を開催後各地で展覧会を行う。二児の母。


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