CancerX Story 〜半澤絵里奈編〜
10月21日から開始したCancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」第2回目は、CancerX共同発起人・共同代表理事の半澤絵里奈です。
わたしのCancer Story
「弟さんはさきほどご自宅にお帰りになりました」と病院の受付で言われ、何も話さない母にただ手を引かれて仙台の祖父母宅に向かったのが平成元年の2月。そのとき、叔父は29歳で、告知されないまま胃がんでこの世を去りました。祖母たちの当時の様子は筆舌に尽くしがたく、私は、がんという病気が及ぼす影響力にさらされて育ったように感じます。がん、と聞けば体がビクっとなる感覚を理解してくださる方も多いと思います。それは病気がこわいことに加えて、がんによって変わってしまう人間関係や生活もこわいのだと思います。
18歳のときに祖父を、32歳のときに母を、やはり、がんでなくしました。祖父のときは本人に告知を行い治療方針の希望を問いました。祖父は疾患の箇所を理由として手術を拒否しました。高校の制服を着たまま何度か新幹線に乗って祖父の入院する病院に行きました。母のときは抗がん剤治療をギブアップしたいという彼女の訴えを受け止め、父による在宅看護を経て、緩和ケア病棟で穏やかな時間を過ごすことができました。会社から1時間かけて娘を迎えに保育園に行き、そこから30分かけて母のいる病院に面会時間内に駆け込む日々が続いていました。温かい食事を作って家族でゆっくり食べることはほぼ不可能でした。ある日、お見舞いから帰宅した瞬間に何かしらの限界が訪れて玄関で大泣きした私を抱きしめて慰めてくれたのは当時5歳の娘でした。大丈夫だよ、大丈夫と言われました。
医療技術や治療、福祉の選択肢については進化・多様化ともにめざましいと感じますが、人の価値観や人間関係、ライフスタイルはそんなに変わらないということがわかりました。そして、これは私と私の家族だけに起きているのではなく、がんの社会課題なのではないか?と強く認識するようになったのは母の闘病が大きなきっかけです。
CancerXに参加したきっかけ
「社会に貢献する人になること」
中学の入学式当日、学校に提出するように両親に渡されたファイルのなかに、保護者から学校に対しての規定の質問票があり、そのなかに「お子さんに期待すること」という質問項目がありました。私の両親はそこに、「社会に貢献する人になること」と書いていました。直接言われたことはないその言葉はその後、私のなかでながく留まることになります。
「鼓笛隊の先輩」
小学3年生のときに入隊した学校の鼓笛隊で鈴木美穂という1つ上の先輩に出会います。当時楽譜の読めなかった私に一番ながく隣で小太鼓を教えてくれた先輩です。何年も経って、社会人となり、たまたま隣のビルで働いていることがわかって再会したとき、彼女が24歳で乳がんを経験したことを知りました。学校で誰よりも元気だった美穂ちゃんががん?と驚いたことを覚えています。
「医師になりたかったけど、なれなかった」
通っていた学校の隣の敷地に国立成育医療研究センターが建設され稼働し始めて様々な状況のお子さんやご家族が病院に通う様子を見たり、もとより生物学や解剖学、公衆衛生学に強い関心があったため、小児外科医になろうと決めて勉強をしていた時期があります。しかし、努力実らず。医学部への受験勉強をやめるときに、医学部に合格した友人たちを見て「いつかこの仲間と仕事できるようにがんばろう」と思いながら法学部に進学しました。
「多様性の担保された環境は強い」
勤務する会社の業務の一つとして、Diversity, Equity and Inclusionの領域に関わり、それらを専門的に扱うウェブメディアの編集長をしています。世代・性別・居住地・家族構成・働き方・所属などが異なる数十名の仲間たちと対話を重ねるたびに価値観の違いに気付かされます。自分の持っていない考え方やアイデアの豊かさを日々互いに実感し、尊重し、しなやかさが培われています。そのしなやかさが自分にとっても編集部にとっても強さに変化してきたのを感じています。
無数の点として存在する人生のなかの出来事が、少しずつ惑星直列のようになりはじめたのは母が他界した後。鈴木美穂とお茶しようと落ち合ったカフェで、「ソーシャルアクティビストになりたい」と言った私に、彼女からがんの課題に対してコレクティブインパクトで解決を目指してみようと言われ、その瞬間からおそろしい速さで事は展開していきました。巻き込む仲間が増えるごとに加速度的に物事が進み、約30名のメンバーでCancerXを立ち上げることになりました。
今後の展望
CancerXが国内外を問わず、がんの社会的・医療的課題について多様な人が議論し合えるプラットフォームになっていくように願って日々活動しています。医療者だけではなく非医療者も一緒に議論を、がんの患者さんだけではなくその家族・パートナー、大切な仲間も一緒に議論を、家や病室の中だけではなく地域を巻き込んで議論を、と考えています。
それぞれの持ち場で使っている言葉や知識、情報をできるだけ共有化していくことも目指しています。そのために重要視しているのが私たちのメインの活動である2月に実施しているカンファレンスです。
いずれ年始に行われるカンファレンスとして、重要な存在になると信じています。それはCancerXの名誉や利益のためではなく、日々がんの課題に向き合っている人たちの力や時間を最大化しながら業種やテーマをこえて議論できる貴重な機会とするためです。また、ここで議論されたことが社会に暮らすすべての人たちに良い働きをもたらすように願っています。ハードな目標に自分たちが試される日々ですが、あきらめずに向き合っていきたいと考えています。
おわりに、CancerXメンバーと、いつもCancerXを理解しサポートしてくださる方々に心から感謝申し上げます。
プロフィール
半澤絵里奈 Elina HANZAWA
株式会社電通 プロデューサー / cococolor 編集長 / MASHING UP committee member
1984年香港生まれ、神戸・横浜育ち。2009年に専修大学を卒業後、株式会社電通に入社。メディア/営業/マーケティング/ビジネス開発/プロモーション部門を経て、現在CX及びESG関連のプランニングに従事。社内の複数プロジェクトに所属し、特にDiversity, Equity and Inclusion領域を専門とし社内施策やビジネス開発に携わる他、ウェブマガジンcoccoolorの編集長を務める。飲茶、舞踊、落語、読書、料理が好き。
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