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CancerX Story 〜鈴木美慧編〜

CancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」
第4回は、CancerX理事の鈴木美慧です。

わたしのCancer Story

『我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?』

 これはフランスの画家ポール・ゴーギャンが晩年タヒチで余生を過ごしながら描いた絵のタイトルであり、私がずっと抱いている人生のリサーチクエスチョンだ。そして私のキャンサーストーリーの始まりの問いでもある。

「Why? -なぜ- 」

私のキャンサーストーリーの始まりは小学2年生のときである。6月の末。地元の福島は栗の花が満開に咲き、早い梅雨明けでジトっとした暑さがまとわりつくようなそんな時期だった。土曜日の比較的人気が少なく、凛とした静けさが漂う病棟。目の前には呼吸器のマスクをつけた祖父が静かに横たわり、その傍で妹と手をつないで見守っていた。少し苦しそうな息遣いが聞こえたあと、やせ細った手で呼吸器を外し何か話そうとする。
何を伝えようとしてくれていたのか、それはあいまいな記憶のなかではっきりしない。
でもその日祖父を看取って自宅に帰るまでの車中で、人が生きること、そして命を終え旅立っていくこと。何のために生まれてくるのか、と、とてつもなく大きな問いを抱き、その答えの見つからなさに畏怖した。そして祖父が闘った「がん」に対して、悔しさなのか、憎しみなのか「なぜ?」という問いが生まれた。

そしてその問いは、そのさらに10年後より一層強くなる。

10年後、私にとってとても大切な人が乳がんだと分かった。StageⅡ、トリプルネガティブ乳癌。彼女は父をがんで亡くし、母方の家族にも乳がんの方がいて、自身が若くして発症したことにとても不安を感じていた。

「なぜ、私ががんに。」
「なぜ、がんはできるのか。」

彼女と私の「なぜ」の思いが重なった出来事だった。
彼女のがんがわかった次の年の元旦は、彼女と二人。病室の小さな窓から見える山間から昇る太陽に願いをかけた。

「がんの治療がうまくいきますように。」
「彼女にとって最適ながんの治療や支援につながる情報が手に入り、また笑って一緒に過ごせる日が来ますように。」

この日が私の「なぜ?」に対する答えを探す本格的な旅の始まりだった。

CancerXに参加したきっかけ

2018年10月21日。
この日は私にとって旅の分岐点となった日だ。この活動以前から交流のあった岡崎裕子からCancerXのキックオフミーティングに誘われた。

これまでに出会ったたくさんのがんにまつわる「なぜ?」という思いへの答えを探すために,認定遺伝カウンセラー*(Certificated Genetic Counselor : CGC)の資格をとり、働き始めて数年がたっていた(*日本人類遺伝学会と日本遺伝カウンセリング学会が認める学会認定の資格)。

科学技術の発展により、ヒトゲノム(ヒトの膨大な体の情報)が解析できた。近年では、ヒトゲノムのデータと疾患との関連を研究できるようになり、これまで原因がわからなかった疾患でも、その発生機序が少し解明されつつある。

「なぜ?家族にこんなにもがんが多いのか。」
「なぜ?生まれつきの疾患、症状をもっているのか?」

それぞれの「なぜ?」という問いに、新しい技術によって、答えが出せる可能性が増えてきた。原因がわかれば、その先の対応や新しい治療薬・発症予防の選択につながるかもしれない。原因がわかると、家族や子どもも同じような疾患を発症する可能性もわかるかもしれない。

技術がもたらす情報と情報を知っていくことに対しての心の備え,その両方を考えるプロセス。特に遺伝情報に関して考えていく、考え続けていくプロセスが遺伝カウンセリングだ。これは大学でも取り組んできた科学コミュニケーション,リスクコミュニケーションのひとつのあり方だ。

先の彼女にも私がこの職についてから,遺伝性のがんがあることを情報として伝えた。彼女には娘が2人。

「もし自分のがんが、がんができやすい体質から発症したものだったら?娘たちにも同じようにがんを早くに発症する可能性をどう伝えていけばいいのだろうか。いつ伝えていけばいいのだろうか。」

そんな思いを話してくれた。その彼女や彼女の娘たちとともに「いつか」を準備していくのが認定遺伝カウンセラーとしての私の仕事だと思っている。

膨大な遺伝情報を読み取る技術はできた。それを解釈するデータも世界で共有できるようになった。だが、まだヒトという生き物を全て理解することはできない。
そして疾患の遺伝学的な発症の背景が理論的に理解できたとしても、それぞれの人生,生き方,生活,医療・治療の選択肢に完璧な答え,正解はない。

そこには余白がある。

この余白こそが我々が「なぜ?」という問いを持ち続ける理由なのだと思っている。

私たちが生きていく社会には,生き物が生み出す多様性があり,その多様性を互いに知り合いながら,それぞれが,生きやすい社会であることを望んでいる。

がんと言われても動揺しない社会,それは,「あなたががんとわかって驚くな。」ということを強制する社会ではなく,がんとわかったとしても,必要な情報や治療にアクセスできること,そして今まで大事にしてきたことやこれからやりたいことを変わらずに選んでいける社会。

そして同じようにこの先の未来には「遺伝のことがわかっても動揺しない社会」の実現を夢見て。いや,夢ではなく,自分達で実現できるよう活動していけるのではないか,そんな希望を抱いた日だった。

偶然なのか,宮本亜門氏プロデュース、黒澤明の「生きる」のミュージカルを観た日でもあった。
まさにこの曲「二度目の誕生日」となるような出会いをした日だった。

今後の展望

高校時代は新聞部,学生時代はラジオ番組制作,サイエンスカフェの企画・運営と常に情報を伝えること,コミュニケーション,対話といったことを考える機会に恵まれてきた。
がんの治療や遺伝についての情報だけではなく、ありとあらゆる情報が氾濫している今、私自身も混乱し,時には多すぎる情報にめまいのような感覚を抱きながら生活している。CancerXの活動としても,この「情報」にどう関わっていけばいいのか,思考の経験,活動を重ねていきたい。

そして学校指導要領にがん教育が含まれスタートした。子供向けの科学教室や出張授業の経験も活かし,がん教育啓発の活動を通して,この先の未来をともに考える仲間を増やしていきたい。2021年のSummitで高校生とのラジオ企画は彼らとともに番組を考えた時間はとても濃厚な時間だった。

アーカイブでまだ聴けるので是非,お昼のお耳のお供にして欲しい。

最後に

私の大切なキャンサーストーリーは本当は一生私と彼女の中にしまっておく予定だった。
ずっと彼女は自分ががんになったことを社会に公表したくない,人に知られたくないと話していたからだ。がんと言われても動揺しない社会を目指しているが,それは全員が同じように自身ががんになった経験や家族のがんのことを世間に公表できることを意味するのではない。それぞれのあり方,希望がそのまま当たり前のこととして受け入れられる社会であって欲しい。今回は特別に。多少の脚色を加えてくれるならとお許しを得ているので特定などは控えてもらいたい。

「我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?」

答えはない問いを持ち続けること,問い続けることが私の機動力なのだと思う。今はひとりではなく,ともに同じ問いや新たな問いを投げかけてくれる仲間もいる。

このストーリーを読んでくれたあなたにも,是非一緒に悩んでほしい。

がんと言われても動揺しない社会を目指して。

プロフィール

鈴木美慧 Misato Suzuki

福島県出身。2012年筑波大学生物学類(人間生物コース)卒業後,お茶の水女子大学大学院遺伝カウンセリング領域に入学。2014年修士号取得。2020年博士課程満期修了退学。
認定遺伝カウンセラー®︎(CGC)
公益財団法人がん研有明病院乳腺外科を経て,2016年より聖路加国際病院遺伝診療センターにて遺伝カウンセリングに従事する。

一般社団法人CancerX(理事)
一般社団法人日本人類遺伝学会(広報委員会)
一般社団法人日本遺伝カウンセリング学会(教育啓発委員会・情報ネットワーク委員会)
一般社団法人日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療体制機構(広報委員会)
一般社団法人日本サイエンスコミュニケーション協会(広報委員会)
一般社団法人日本遺伝性腫瘍学会
一般社団法人日本乳癌学会
特定非営利活動法人日本緩和医療学会


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