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#1-2「忘れ咲き」歌詞レビュー追記

ここの意味が不明というご質問があって答えてました。(笑
この現実認識が実は曲者で、おのおのの認識している現実が実は異なっている為にそれは永遠に続くものではなくなってしまうわけですね。

哲学の概念に意識、実在、他者というものがあります。
たとえば、机の上にリンゴがあってそれを私が見ているとしますよね。
で、この時点で、実際にリンゴが実在している世界と、そこにリンゴがあると認識している私の意識世界の2つが存在しているわけです。なぜ意識世界かというと目を通して脳がそこにあると認識しているだけで実際にそこに存在しているという確証はどこにもないわけです。
これが意識と実在の大まかな概念です。

で、これを前提として「忘れ咲き」の歌詞に当てはめていくと、主人公の私が見ているあの日の少年の君は私の過去の意識世界の存在で、永遠に変わらないもので意識世界のみに存在するものであるわけです。それが今感じている意識世界と過去の意識世界の差でもあるわけですね。

ところが愛とか恋というものは愛という目に見えない存在を媒体として、私と君がお互いの意識世界にお互いの存在を認識している状態なわけです。当然異なった視点や異なった組織で見て、異なった脳細胞で認識しているわけであるから、仮にリンゴのように実在する物を見たとしても異なった意識世界であるわけですよね。
異なった意識世界である以上、まったく別の物を見ているわけですから、全く別の世界を生きていることになります。ということは私と君の関係もお互いがお互いに干渉して成り立つ状態ですので、同じ物を見て同じように感じていると思っていても実際には全く違ったものであるわけです。この状況をして永遠に続くものではないということになるわけです。
ですから哲学的な概念から言えば、愛とか恋とかに関しても、そこに他人という存在が介入することによりそれは永遠につづくものではなく変わりゆくものであると考えられるわけです。

だからこの主人公は、そういう変わりゆくものではなく、永遠に変わらない自分の意識世界であればずっと好きでいられて良いなあと言っている。というふうに私は解釈したのですが。

補足するとヴィトゲンシュタインという哲学者は、一切は意味的諸関係によって存在する。ようするに「一切は言語的存在」であると言っています。だから実態や存在の無い「愛」も「愛」と名前をつけた時点で存在するわけです。
そして我々が生きている現実世界は実存の世界で、それが生あり滅ありの無常の世界であり、この無常な世界を実体として意識するといかなる救いもあり得なくなってしまいます。
だからこそ、実体は存在しない「一切は空=色即是空」であるとし、意味的諸関係によって存在させるということになるわけです。
七さんの歌詞から感じられる死生観や無常観は、これらの思想的、哲学的な彼女の思考から生み出されたものであるような気がします(あくまでも気がするだけで確証じゃないですからね(笑)
って解りました?なんか自分で書いていても解らなくなるような説明しか出来なくてすいません。

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