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キャンと僕と時々三線

キャンとは不思議な縁だ。
一応、私にとっては大学の後輩になる。
しかし、私が卒業と同時に、彼は入学したため、世代が被っていない。

にもかかわらず、気がついたら、なぜか当時の私の家に居候していた。

キャンは不思議な人間だ。
彼と接していると、あののび太くんでさえ真面目な人間だと思えるほど、自堕落な人間である。

私達は小さい頃から、よく大人たちから
「しっかりしなさい」「周りに迷惑をかけないように」
と言われ続け育ってきた。

恐らくキャンもそう言われてきたのではないかとは思うが、
清々しいまでにその対極のあり方を体現している。
義務教育の完敗だ。

ここまで読む進めていただいた方には、
「なんだ、この人、キャンのこと嫌いなんじゃん」
と思われたかもしれない。

いや、ちょっとまってほしい。
俺はキャンが大好きなんだ。

酔っ払ったとき、三線片手に、しまんちゅならぬ「ひまんちゅ」を唄う姿。
彼の歌声と、彼の体内に流れるその時間間隔が、私達のような、時間に追われ、あくせく働いている人間の体と心に染み渡る。

そんなキャンも数年前に一念発起して、パートナーと一緒にバーをオープンさせた。
当時、10人中12人くらいが「いや、続かないだろ」と思っていたと思う。
しかし、彼は今もバーを続けている。それだけではなく、その性質を生かして、とある企業の中で、コーディネーター的な仕事も作り出している。

周りの人からではわからない、キャンとして悩み、もがいた末での、今のキャンの有り様は嬉しくもあり、刺激をもらえる存在だ。

そんな、だらしなさ、人間くささ、愛嬌、全てを含めて、俺はキャンが大好きだ。いや、むしろ愛していると思う。

そんな私は基本的にベトナムにいるため、彼と会うのは3年に1回くらいだ。
それでも、こんな文章を書かせてしまうキャン。その魅力が、彼の誕生日である今日、少しでもお伝えできれば幸いです。

最後に、キャン、お前の足はマジで臭いから、早く洗えよ。

●川村 泰裕(かわむら やすひろ)
2008年早稲田大学教育学部卒業。2010年4月からベトナムのフエで働かせて頂きました。「カネなし、コネなし、海外生活経験なし」の中、人々に助けられ、いくつか仕事をつくらせてもらいました。現在は、ベトナム人妻との間に一児を設けながら、ホーチミンで活動中。まだまだ続くよベトナム生活。

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心のアニキ、川村パイセンからも #わたしとキャン に寄稿いただきました。
普段はなかなか会えないけど、僕の生き様を、きっとどんな状況でも、面白がって、応援しれくれるだろうと思える川村さんには、心の中で何度も救われた。
川村さんには、2015年に、アパートメントというメディアで記事を書かせてもらったときにも、「キャン語り」というテーマで文章をお願いしている。
せっかくなので、併せて載せておきます。記事全文はこちらから。


” たびんちゅ たびんちゅ 旅路の果てに 何があるかはわからぬが
たびんちゅ たびんちゅ それでも僕は 一歩ずつ進んでく ”

この歌は喜屋武が酔っ払ったときよく歌う曲だ。 名前を『旅人(たびんちゅ)』という。
彼が大学2年生のとき、東京から鹿児島まで自転車で旅をしたときに創作したとのこと。

彼がこの曲を歌うとき、僕はいつも「今の喜屋武は暇人(ひまんちゅ)だろ」とからかうのが定番となっている。

皆、喜屋武が旅人で暇人であることは知っている。そんな彼をからかうことで、しっかりと働いている自分は立派な人間なんだと思い込みたくなる。

でも、不思議なことに、彼を否定することは自分を否定していることと同じなのではないか、という気持ちが沸き起こってくるのだ。
僕も当然だが喜屋武のようなダメなところを持っている。 時間にルーズだったり、働きたくねーなーと思ったり。
(これを”喜屋武的な何か”と呼ぶ)

でも、年を重ね、働く過程でそういったダメだと思う部分はどんどん捨て去っていく。
ただ、喜屋武は成長しても、働いても尚、”喜屋武的な何か” を持ち続けている。
しかも目に見える形で、時にうっとおしいほど突き付けてくる存在なのだ。

「お前も本当はそう生きたいんだろ?素直になれよ」と。

僕が捨て去ってきたもの。 決して自分の意思で捨てたわけではなく、社会から言われ、気が付いたら捨ててしまったもの。
喜屋武は旅人、暇人という生き方を体現することで、僕にいつも、生き方を突き付けているのだ。

「お前はそれでいいのか」と。

まあ、今のところそれでいいんですけどね。

川村

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