Take the bull by the horns. Cp-1

「夜八ちゃん、夜八ちゃん次の世界はどうなってる。」

 背景が白くて遠い。ガメザが焦燥した、けれどやけに間延びした声で問いかけてくる。溶けた前腕から色とりどりのコードを垂れ流し、苦痛に歪む口元からはタンポポの綿毛がふわふわと飛び立つ。直感的に、もう間に合わない、と夜八は理解した。こみ上げてくる嗚咽を飲み込む。

「夜八さん、すぐに撤退を。感謝と祈りがすぐそこまで来ています。」

 幾重にも重なる鳥居の下で、翡翠の泥となって崩れ落ちたガメザの後ろから、紅狼散葉を右の両手で支えながら狼森冴子が叫んだ。紅狼の脇腹からは、青色のカマキリが溢れ出していて意識がない。よく見ると狼森も背中の腕が、3本の内2本は半ばで切断されていた。すでに2人とも足元から錆び始めている。心臓の打つ脈が加速し、脳の裏側が痺れたように痛い。震えて動かない足がもつれて倒れ、夜八は強く腰を打ち付けた。だんだんと朽ちて枯れ木の様になっていく2人から、ほとんど身体を引きずるように後ずさる。

「ぷぉ!ヨルハチ、こんなとこで寝ていては風邪を引いてしまいます。」

 いたずらな笑みをたずさえた国分寺周防の声が後ろから聞こえる。見慣れた袖が背後から首元に回された。よかった、と根拠のない安堵を得たのもつかの間――

「もっと暖かk...して寝な...ぉ夜には...っ寒の...ぉ?」
「え...?」

 そこに続くはずの声色には水音が混ざり始め、背後で水風船が弾けるような音が鳴る。夜八が振り返ったときには、澄んだ碧の水たまりとなって、無機質な枯山水の床に吸い込まれていった。夜八は追いすがるように、玉砂利をかき分ける。しかし、次第に自らも沈み始めると、必死に空へ向かって手をのばすのだった。

 


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「あれ~...?居ない...ことはないでしょうし、お休み中ですかね...?」

 環境課庁舎からほど近いマンションの6階、チャイムを鳴らしたが反応がなく、どうしようかと瑠璃川ラズリは、しばし廊下に佇んでいた。先日から続く降ったり止んだりの天候不順によって遅れがでているのか、昼休憩時だというのに環境課庁舎の方から修繕工事の甲高い物音が止むことなく聞こえてくる。念の為鳴らした2度目のチャイムも、騒音に混ざり曇り空の湿った空気に霧散していった。

「まさか...中で倒れてたりとかないですよねぇ~...」

 瑠璃川の脳裏に一抹の不安がよぎる。夜八が電脳洗浄を終え、ひとまずの退院を迎えたのが2日前だったろうか。精神的に落ち着ける慣れた環境のため、と暴動の負傷者による病床数の圧迫もあり、自宅のマンションで療養する手はずとなった。

「夜八ちゃ~ん、おじゃましますよ~...」

 なんにしろ、変に遠慮する仲でもないか、と預かっているキーを通して中に入る。退院とは言うものの、電子ドラッグによる軽度の離脱症状と、精神的ストレスからくる躁鬱があとを引いており、瑠璃川含む親しい課員がキーを預かり、こうして様子を見に来ていた。

 扉を閉めると、先程まで聞こえていた外の喧騒はほとんど耳に届かなくなった。暗い廊下と玄関に、世間から切り離されたような感覚を覚える。鉄筋コンクリート造の2DK角部屋。環境課と提携している社宅用のマンションなだけあって、かなりしっかりとした造りを感じさせる。結構いいお部屋だな~私もこっち引っ越そっかな~、などと考えながら靴を脱ぐ。靴箱の上に飾ってある置物が――以前来た時よりも謎可愛生物系が増えている――律儀に背の順で並んでいるのが目に入って、なんとなく夜八ちゃんらしいなと瑠璃川は思った。

 居間に入っても電気はついておらず、やはり夜八は就寝中のようだ。閉め切ったカーテンの隙間からは薄暗い光が差し込んでいる。部屋には食卓机と椅子くらいしかなく、そのせいか一人暮らしするには少し広く見えた。キッチンの方に足を運ぶと、流し台には汚れた食器が置かれたままになっていた。一人暮らし用の簡素な家電がならぶ中、不釣り合いな大きさの重熱式オーブンレンジだけが異様な存在感を放っている。それを見て、少し懐かしみを覚えながら、瑠璃川はお見舞品にと買ってきたリンゴを冷蔵庫にしまった。

 さて、書き置きを残して帰ろうか、と少し悩んでいるタイミングで、瑠璃川は寝室の方からの気配を感じ取った。夜八が目を覚ましたのだろうか、と耳を澄ませたが、聞こえるのはうめき声のようなものだけ。もしかして本当に容態が急変して...、と不安に駆られ寝室を覗くが、そこあったのは、夢見が悪いのか、ベッドでうなされている夜八の寝姿であった。とは言うものの、見るからに呼吸が荒く、苦悶の表情を浮かべ汗ばんでいる。

「...ぇ~、っと、こういう場合って起こしてあげたほうがいいんでしょうか...?」

 うなされるような夢から覚ましてあげたほうがいいのだろうか、しかし寝ている病人を起こすのもなんだか違う気がする。そんなどっちつかずといった具合にベッドの横であたふたしていると、不意に夜八が空にいる誰かを掴むように手を伸ばす。それがなんだか、助けを求めている様に見えて、瑠璃川は反射的に手を握ってしまった。すると、夜八の方からも柔らかく握り返される。

「ぁ...落ち着いた...のかな...?」

 思わず握ってしまった瑠璃川だったが、それが結果的に良い方向に働いたのか、夜八は静かな呼吸を取り戻した。寝汗で髪が肌に張り付いているが、表情は穏やかだ。拭いてあげたほうがいいかな、と顔を覗いた瞬間――

「ぅぁああああああああうぐぅっ!」
「ぴぎゃっ!」

 夢の終わりに何を見たのか、飛び起きた夜八の頭突きが綺麗に瑠璃川のおでこに吸い込まれた。衝突の瞬間、とっさに瑠璃川が重熱による力場を展開していなければ、数時間は二人で仲良く横たわる羽目になったであろう。それでも、軽めに引っ叩かれたくらいの衝撃に、おでこをさする。

「ぃたた...びっくりした~...夜八ちゃん大丈夫で...した...」

 案じながら顔を上げると、夜八はどこか焦点のあってない相貌で、ぽろぽろと泣き出してしまった。

「えっ、えっ、あっ、ごめんなさいっ、いっ、痛かったですかっ!?」

 とっさに衝撃を逃したつもりであったが、打ちどころが悪かっただろうか。焦った瑠璃川は夜八のおでこに手をやり、具合を見ようと顔を近づける。しかし、近づくと夜八はより一層、表情を歪ませ大粒の涙をこぼし始めた。

「ぅあ゛ぁ゛る゛り゛ぢ ゃ ぁ ん゛」
「わ、はい、瑠璃川ですっ、ここにいますよ~!」

 幸いにも頭突きによる外傷は全くないようで、どうやら悪夢にうなされたことで感情が不安定になっている様子であった。泣きじゃくる夜八の姿に焦りすぎて、何が何だか分からなくなった瑠璃川は、とにかく夜八を落ち着かせようと抱きよせて背中をさすった。どうしようもないくらい痛々しい少女の声が響く。

「んがっ、がめざぜんばいがぁ」
「大丈夫、大丈夫ですよ~。がメザ先輩も、えーとなんか、手は裂きイカみたいになってましたけど、一命は取り留めましたから~。」

 この様子だと、庁舎での最後の襲撃のときのことを夢に見たのだろう。この騒動で多くの者に深い傷が残り、失われたものは数え切れない。ましてや、電子ドラッグに侵された心が、恐怖と悲しみに支配されてしまったとして、誰が責められようか。心を、感情を閉ざしてしまわなかっただけ、まだ良かったのかもしれない。

「わだじがぁもっとぉ...」

 ふいに、泣きじゃくる夜八がこぼしたその言葉で、瑠璃川は気づいた。この涙の中にあるもっとも深い感情に。それは、一連の出来事が収束してからずっと、瑠璃川の胸のうちにも渦巻いていたもの。

 私がもっと、強ければ。私がもしも、あの場にいたら。そんな、後悔とも呼べないような想いが頭の中で繰り返す。

 底知れない恐怖があった、言葉にできない悲しみもあった。けれど、何もできなかった自分自身が、抱きしめた友達の涙すら止められない今が――



「悔しいなぁ...。」



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