籠鳥夜を恋う

「251番でお待ちの方ー」

受付窓口から聞こえる声に反応して立ち上がったのは一人の老婆だ。
下一桁が違う整理ナンバーを見返して、夜八は浮かしかけた腰をそっと椅子に沈め直す。
白を基調とした壁紙、卓上にある小さな観葉植物、点在する案内用の電子掲示板、それらを視線だけで見渡した。

「253番でお待ちの方ー」

「はーい」

看護師に小さく会釈する。

「今日は面会の申し込みと、診察の予約が入っていますね。間違いありませんか?」

「はい」

「登録情報を確認しますので、診察券と住基登録証を提出してください」

受付用端末に接続、GUIに従って管理コードを入力すると数秒の間に確認作業は終了した。

「面会許可証を個人様宛に送付しますのでしばらくお待ちください」

鶫総合医療センターのローカルネットワークから個人ページへと移動し、二件の受付完了を確認。すると遅れてもう一件、案内通知が表示される。

「お手数ですが、一時保護期間更新の際は、診察券の再発行申請をお願いいたしますね」

次の更新予定日は1ヶ月と、少し。


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『面会許可証を提示してください』

電子音声による要求は淡々としていて、夜八はそれに黙々と応えた。
受付から病室までの移動時間は五分程度だが、ここまでに三つのセキュリティチェックが挟まれている。
顔写真と監視カメラの映像が合致しているか否か。
院内ネットワークに登録された個人情報と当日の受付記録が合致しているか否か。
そして面会許可証の承認コードが合致しているか否か。
入院患者との面会に関しては、特に厳しくされているように思えた。

『コードが確認されました。特別病棟103号室への入室を許可します』

二重の扉を越えた先、ベッドに横たわる少女は夜八に向けて首を僅かに傾けた。

「調子はどう?」

「おはようお姉ちゃん。今日は結構いい感じかも」

表情の変化は僅かだが、彼女の気分は高揚している様に見える。

「今日は久しぶりに外に出られるのに、調子悪かったらお父さんが心配して駄目っていうかもだし」

「あはは、確かにね」

色白の肌はお世辞にも健康的とは言えない。
少女――鶫 猯(ツグミ マミ)の脳は、電脳施術に起因する自己免疫性の脳疾患に侵されている。
そのため運動機能や感情の動きに障害があり、一人での外出行動は原則として禁止されていた。

「お姉ちゃん、この後診察でしょ?早くいかないと時間なくなっちゃうよ」

「大丈夫だよ。図書館来てからでも全然間に合うし、まだ時間あるから少しお話しない?」

夜八は診察を受ける際、彼女との面会と外出の付き添いを合わせて希望する事が多かった。
自身と似た境遇である事が関心を向ける切っ掛けだったかもしれないし、あるいは。

「本当?」

妹の様に懐いてくれる少女を喜ばせたいという単純な理由かもしれない。

「じゃあ、この前読んだ本の内容なんだけどちょっとおかしいところがあって―――」


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「もう移動図書館来てるね」

「うん……」

自分の口から出た言葉は無意識に小さく、弱々しい。
夜八がこうして病院に足を運ぶのは、電脳の後遺症治療のためという理由が大きい。
その症状はほとんど回復しており、今は予後観察――実質的な完治に近いという。
それを聞いた時、最初に感じたのは喜びではなく不安だった。
もう来なくなるかもしれない、もう会えなくなるかもしれない。

「受付済ませちゃうね」

穏やかな表情に気遣いを隠そうとするその優しさでさえ、自分のせいだという自己嫌悪。

「お姉ちゃん……」

受付をしている後ろ姿が遠い、そんな錯覚を抱く程度の寂しさと不安。
視界を流れていくタイトルの列をぼんやり眺める事しか出来ずに、貸し出し一覧のリストに指を滑らせる。

「マミちゃん、これ私も持ってる本なんだけどね」

夜八がタップした本の表紙が映し出された。
そのタイトルは、以前から興味を持っていたものだ。

「読んでくれたら、次来た時に一緒に感想言い合ったり出来ると思うんだけど、どうかな」

「……読むよ。一緒にお話しよ」

その提案から伝わる優しさは温かく、後ろ向きな感情が少しだけ薄らいだ。
続けて何冊かを選んで貸し出し登録をしていると、夜八がどこか遠くを見る様な、多分電脳に何かの通知が届いたのだろう。

「そろそろ診察の時間だから戻ろうと思うんだけど...」

「うん。お姉ちゃんは遅れないように行っていいよ」

「大丈夫?」

「お部屋に戻るだけなんだし大丈夫だよ」

何度も振り返る夜八を見送って、手を振って、どうやら自分がエントランスに戻るまで先に進む気はないらしい。
ゆっくりとスロープを登ってエントランスの入口に足を掛けた。

「マミさん、少しよろしいですか?」

「……何?」

警戒心を露に視線を向けた先、白衣に身を包んだ病院の電算スタッフが苦笑いで立っていた。

「あまり大きな声では言えないのですが――」

電算スタッフが言うには、最近院内ネットワークにハッキングを試みた形跡が見つかったらしい。

「その候補の一つに移動図書館が挙げられています」

患者が院外のシステムにアクセスする機会の一つではある。
それからいくらかの専門的な用語と説明を受けるも、全く興味のない内容だったが――

「念の為、移動図書館利用者の電脳をスキャンさせてもらっています。構いませんか?」

視界の奥で心配そうに見つめる夜八を捉えた瞬間、心の底から幼い独占欲が顔をのぞかせる。

「……どうぞ」

有線接続による電脳へのアクセス申請を許可した。
自分が担当医以外にこうした行為を許可しない事を夜八は知っている。視界の端で捉える夜八の表情に驚きの色が浮かんだ。
スキャンは数秒で完了した様で、用の済んだスタッフとはすぐに距離を取る。

「ありがとうございます。問題無いようですので、お部屋に戻ってもらって大丈夫ですよ」

「…分かった」

礼を言うスタッフには目もくれず、生返事で受け答えをする。
今は夜八の視線が向けられている事にのみ、関心がよせられていた。
優しい夜八ならば、いつもと違う自分の行動を気にかけてくれるに違いない。
次はどうやって気を引こうか。
部屋へと戻る足取りは僅かに軽い。


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「診察の結果だけど完治といって問題ないね」

鶫 正寅(ツグミ マサトラ)院長は診察の結果を夜八と共有しながらそう告げた。

「次の診察予定日は少し間を空けてみようか」

提案された日時のスケジュールを確認する。
自分が半休を取っても業務的な支障は出ないだろう、二つ返事で頷いた。
診察室から看護師が退室してから暫く正寅は夜八の診断書の記入を進めていたが、その手を止めて椅子に深く座りなおした。

「ありがとうね、マミに付き添ってくれて」

院長ではなく父親としての顔があった。

「マミちゃんとお話するの楽しいですよ」

「そう言ってくれると嬉しいよ」

他愛のない雑談は終始一人の少女に関するものだ。
好き嫌いが少し減った事、学術書を渡したら内容のほとんどを覚えてしまった事、夜八の診察日が近付くと少し浮足立って見える事。

「あの子は本当に君に懐いているからね。まるで、」

続く言葉は防災アナウンスに遮られる。

『設備点検時の誤作動により院内の一部フロアにて情報隔壁が作動中です。該当フロアの皆様はそのままでしばらくお待ちください。繰り返します――』

正寅は院内マップから隔壁が作動しているフロアを確認する。
いくつかの診察室、いくつかのセキュリティゲート、いくつかの病室。

『エマージェンシー、エマージェンシー、特別病棟103号室』

気付くが早いか正寅は診察室を飛び出していた。
夜八もその後ろを走る。
環境課の腕章をつけて。


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幸い診察室から特別病棟までの通路は隔壁が降りていなかった。

「状況は!?」

マミの病室前には二人より先に数人の看護師が到着していたが、その表情は誰も深刻だ。

「防災隔壁が作動していて私たちの権限ではアクセスが……」

「カメラで見る限りマミちゃんは寝ている様に見えるんですが頭部の温度が上がっていて、何が何だか……」

診察に向かう直前までマミの体調に問題はなかったはずだ。

「バイタルデータを見せてもらってもいいですか?」

夜八の頼みに看護師は躊躇ったが、環境課の腕章を見てそのデータを共有する。
確認出来たのは心拍数や体温を示すありきたりな結果、だけではない。

(何か偽装された実行プログラムが仕込まれてる……!?)

ありえないはずの何かが紛れ込んでいる。

「マミ!」

正寅がコンソールパネルに繋がる有線接続の端末に接続する。
防災隔壁が降りている今、特別病棟の扉を開けられるのは院長である正寅だけだ。
彼は医師として、父親として、そう行動せざるをえない。
だからこそ、夜八の直感が警鐘を鳴らす。
まるでお膳立てされている様で。

フラッシュバック――。

エントランスにいた見覚えのない電算スタッフ。
隔壁が降りる中、不自然に繋げられた特別病棟までのルート。
診療情報に紛れ込んでいたスパイウェアらしき実行プログラム。
次第に夜八の脳裏で点と点が繋がり始める。
そのわずかな点が紡いだ線が重なって、次の惨禍の像を結んだ。

「危ない!」

防壁にアクセスした瞬間、室内から攻勢プログラムが侵襲する。
割り込むようにして防壁を差し込み、赤い光芒はそれと接触して搔き消された。
それでも、夜八自身の経験と直感だけではまだ、ほんの僅かに未来に届かない。

「院長!?」

弾かれた様に倒れた正寅に看護師が駆け寄る。夜八は一瞬思考が真っ白になりかけたが、ふらつきながらも看護師に抱えられて起きる正寅を見て、安堵の息を吐いた。
しかし、無傷とはいえないようで、院内ネットワークからその名前は消えている。電脳に到達した実行ファイルの一部が、通信機能を不全に陥らせたようだ。

「そんな……」

正式なアクセス権限を持つのは現時点で院長のみであり、マミの病室への正式なアクセス手段は絶たれたに等しい。

(今のは攻勢プログラムは人為的だった……)

システムの誤作動はセキュリティにそれらを通す穴を設定する為の仕込みといったところだろうか。
それらは全てマミの電脳を踏み台に行われている。
嫌悪感と、それ以上の怒りを、夜八は静かに飲み込んだ。
努めて冷静に電脳通信を繋ぐ。


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「殺れたか……?」

割り込んできた防壁は彼の想定していないもので、正寅の電脳に到達した感覚は僅かだった。

「復帰してこないんじゃどっちも同じか」

少なくとも通信障害、あるいは昏倒はさせられただろうと当たりを着けて、ハッキングの進行を眺める。
院内ネットワークから吸いだしているのは利用者の診療情報と個人情報、運営情報も含めた極秘のものばかりだ。

「どうせ社会的に死ぬんだしな」

鶫総合医療センターのネットワークシステムは情報保護の堅牢さが一つの売りだ。
それを掻い潜られたとなれば、その信憑性は地に堕ち、鶫 正寅の失脚は免れない。

「ついでガキも死なせたらどの面下げて生き恥晒すのか見物っちゃ見物か」

喉の奥からこらえきれずに漏れる愉悦を一人噛み締める。


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『防災センターからの通報は受けていたけど、夜八ちゃんがいて良かったよ』

電脳通信の相手は軋ヶ谷みみみだ。
防壁の誤作動から何者かによるハッキングへと状況はシフトして、環境課預かりの事件へと認識が切り替わる。

「悔しいですけど...私の手には負えない高度な隔壁で……」

軋ヶ谷が冷静な自己分析と判断に空の拍手を叩く。

『引き際が分かっているだけ上出来だよ。準備は出来たからいつでもどうぞ』

いつも通りの彼女の雰囲気に少しばかり心が軽くなる。

「接続します!」

夜八の電脳を仲介にして軋ヶ谷が院内ネットワークにアクセスする。
夜八から見る軋ヶ谷は、考えられないほど繊細かつ精密な手付きで、セキュリティシステムの支配領域を広げていく...が、

『まぁ、そうは卸してくれないよね、問屋が』

隔壁の向こう側から、攻勢プログラムが雨のごとく降り注ぐ。
正寅に向けられたものより規模は小さいものの手数が多く、軋ヶ谷は僅かに唇を尖らせた。

『こっちのリソースを防御に回させようって感じだね』

時折混ざる情報量の大きなノイズにも狼狽える様子は無く、解錠は遅々とだが、確実に進んでいる様に見えた。

『この程度なら行けるよ』

でも、と付け加える。

『踏み台になってる電脳に負荷がかかり過ぎてる』

診療情報を確認した看護師の顔は青褪めた。

『防壁を破れはするけど重症化は免れない。どうする?』

選択が迫る。
このまま続けていけば防壁を破る事は出来る――その場合マミの電脳疾患は致命的な段階へと進行する。

「セキュリティ解除は院長先生以外に誰か出来ないんですか!?」

「システム上は院長と本人、担当医が権限を持っています。ただ、マミちゃんの担当医は院長先生だけで……」

(マミちゃんを他の診療科にかけて担当医を増やせば……いや、ほとんどのフロアに隔壁が降りてる...解錠に時間がかかることに変わりはない……!)

時間がかかれば結果は同じだ。
思考を切り替えて、アプローチを別の方向から模索するしかない。
しかし内からも外からも、動くには隔壁の解除が先に必要だ。

「面会の為に二等親以内の親族も解錠権限を持つことは出来ますが……」

それもシステム上の話だ。
夜八の知る限り二人きりの家族関係で、その条件に当てはまる人物は存在しない。

(え……?)

今、この時点では。


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「なんだァ!?」

気付いたらセキュリティをハッキングされていた――それも遥かに格上の相手に。

「おいおいおいおい冗談だろコイツ」

攻勢、迷彩、逆探知、あらゆる手段が虫を払う様な所作で悉く潰されていく。
スパイウェアの処理も並行して行われているせいで情報の奪取は当初の三割以下だ。
引き際――脳裏を掠めた言葉を鼻で笑う。
ようやく手にしたチャンスを前に逃げる事など出来はしない。
互いの進行を数値予測する限りでは僅かにこちらに分がある。

「それにしても……何者だ?」

単純な電子戦であれば一瞬で完封されていただろう...相手への警戒は高まっていく。
管理者権限も無しに制御をぶん取ろうとする腕前には冷や汗をかいたが、逆に言えば分が悪いのはあちら側だ。
事前にセットアップされた訳ではない、アドリブでの対応であることは見ていれば理解出来る。
ならば、格上相手だろうが、いくらでもやりようはあるはずだ。
目の前のバケモノをなんとしてでも止めなければならない、という危機感が思考を研ぎ澄ませていく。
リソースを割いて、割いて、割いて、割いて、攻勢プログラムが空を切った。
防壁の解除も停止している。
不審に思うも束の間、今度はスパイウェアの稼働率が一桁まで低下していた。

「情報奪取の制限……こっちの狙いに気付いたか」

だったら、と椅子に座り直した直後。

『特別病棟103号室への入室申請を確認』

表示されたのは単純なアクセス申請のログだった。

『申請者の登録情報を確認しています………確認されました』

それは思考から抜け落ちていた一手――あり得ないほど小さな可能性をも考慮していればあるいは、想定出来ていたかもしれない、抜け道の一つ。

「なん……いや!このガキに家族なんていないはずだろ!!!」

一度通ってしまえば逆探知は容易く、電脳接続した領域で軋ヶ谷に思考が共有される。
意識を失う直前に見えたのは迫る攻勢プログラムの光芒が一つ。

『居るみたいだよ、お姉ちゃんが』


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PM 13:00 環境課 課長室

「失礼します」

昼食を終えて暫く、夜八と軋ヶ谷がノックと共にその姿を見せた。

「報告を聞こう」

「鶫総合医療センターへのハッキング事件ですが、目的は院内ネットワークの情報漏洩と院長の失脚でした。通信ログから関りのあると思われる院内スタッフ数名も確保されています」

「身内の勢力争いか」

「そんなところじゃない?殺人未遂も含めて実刑判決は確実だし、軍警への引き渡しは完了してるから後は向こうからの連絡待ちだね」

「そうか。被害者の容態は?」

「院長先生……じゃなくて、鶫正寅氏は電脳の機能不全が解消されて現場に復帰しています。後遺症もないそうです。マミちゃんの免疫疾患も悪化はせずに済んだみたいで、ちょっと熱っぽいくらいって言ってました」

まるで口頭で聞いた内容の様な。

「その他に電脳及び身体に影響が認められた利用者やスタッフはいないそうです」

「事件後のメンタルケアもちゃんと実施されていたし、後は犯人の情報が明らかになるのを待つだけだと思うよ」

紙媒体に印刷した報告書を提出し、すらすらと一読する。

「ご苦労だった。引き続き、業務に励んでくれ。それと夜八」

「はい?」

皇が引き出しから取り出したのは真新しいIDカードだ。

「今日からはこれを使用する様に」

「……ありがとうございます!」

氏名の欄に、新たに表記された一文字。
末に広がる夜のとなりに、小鳥が一羽。


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