宣言をする

ダイエット・そもそもムズイ説

今から2年ほど前、とある介護をテーマにしたオンラインコミュニティ。
そのコミュニティのなかで、私はこんな発表を行ったことがある。

『健康や介護予防に望ましい行動がなかなか始められない・長続きしないのは何故か?』

その理由を分析したうえで、私はこんなタイトルをつけてみた
『“ダイエットは明日から”理論』
2年したのち、この理論は思いっきりブーメランとなり私に帰ってくることになるのだが、それは今回問わないこととする。

タイトルだけ見ると非常にアホっぽい話に見えるが、一応は行動経済学の「現在(指向)バイアス」という理論に基づいた話を展開している。

『ダイエットは明日から理論』を大雑把にまとめるとこんなものである。

ダイエットが成功して、かっちょいい肉体を手に入れるのは、「数か月先の楽しみ」。
対して、今日美味しいものを食べる、運動をさぼってゴロゴロしているのは「すぐそこにある楽しみ」。

この「すぐそこにある楽しみ」は人の行動を左右する力が、「数か月先の楽しみ」に比べて強い傾向にある。

結果、「すぐそこにある楽しみ」を優先してしまう傾向にあり、ダイエットは先送りされやすい傾向にある。

ダイエットに限らず、結果が出るのに時間のかかる健康行動が始められない、続かないのは同じ理屈だよね…ということをお話した。

そう、痩せて、かっちょよくなりたい、乃至健康を維持したい…という動機は、人の行動を支配するには力の弱い動機なのだ。

人の心理の真理として、ダイエットはむずい。
まずはこのことを念頭においておく。
それがダイエットを成功させる第一歩ではないかと私は考える。

「ダイエットする動機」を追加する

「かっちょ良くなりたい」「健康でありたい」
…は、行動を支配する動機としては弱い。

ならば、ほかにダイエットをする動機を探して、
追加すればよい。

名付けて『パンがなければ、お菓子を食べれば良い』作戦!
(…って、あまり的を得た表現ではないかもしれないが)
正当な動機が弱いのであれば、別の動機を足せば良いのである。

どんな動機を足すと行動に結びつきやすいのかは、人それぞれだと思う。
自身の特性、個性に合わせて、動機を作っていけば良い。

私が「足した」動機は、「ダイエットを宣言する」ことだ。
勤務するお店にこんなPOP広告を作り、来客者の目につくようにしている。

この意図はふたつある。
こんなものを作ったうえで、肥えたままでいた暁には、
私はこう、後ろ指をさされることであろう
「あいつ、↓みたいになると言っておいて、今、アレなのwww」

そう、リスクを回避したいと考えることは、行動を始める動機としては強いものがある。
もっとも、上の写真のようになろうと本当におもうのであれば、ダイエットだけでなく整形もしなくてはいけないのだが…。

私は比較的見栄っ張りでエエカッコシイのところがある(威張って言うことでは全くないが…)。そういう人間は、だれかにダイエットすると宣言することが、行動を始める強い動機づけになるのでないだろうか。

ついでに言えば、ここのPOPの中で、このWeb記事をほぼ毎日更新すると宣言をしてしまっている。これでこの記事の更新が滞るのもまた、後ろ指をさされる(⁈)リスクとなりえる。それが私の行動の原動力なるはずなのだ(多分)

そして、もうひとつ。自分で言うのもなんだが、私は「他人の健康行動・応援したい」基質がある。私がダイエットを成功させ、その行動を公開することを通じ、他の誰かが健康行動を始めるきっかけになれば…
自分で言うのは非常に恥ずかしいことではあるが、そう考えるとダイエットを始める動機づけにはなるように思える。


どうも、私は他者との関係性が、行動を支配する力になる傾向があるように感じている。そうした傾向を皆様自身が分析してみて、自身に合った動機を「足してみて」、健康行動を始める動機づけを補強してみてはいかがだろうか?


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