『政治的動物』で引用・参照したおもな文献

この書誌は『政治的動物』(河出書房新社、2020年1月刊行予定)の参考文献を完全に網羅したものではありません。本書にご興味をもたれた方、これから手にとられる方に、その内容を推測していただく一助となればと思い、ここに掲載いたしました。そのため詳細な情報は省略し、著者名とタイトルのみを記しています。完全な書誌は本書を参照してください。

PROLOGUE 超過する動物たち
アリストテレス『政治学』
ハンナ・アレント『人間の条件』
岩田靖夫『アリストテレスの政治思想』
多和田葉子「かかとを失くして」
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
A・W・ムーア『無限 その哲学と数学』
ジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解』
0 2017年の放浪者[トランプス]
植村邦彦『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性──世界システムの思想史』
ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』
レイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い』
金井美恵子『カストロの尻』
柄谷行人『坂口安吾論』
イマヌエル・カント『純粋理性批判』『判断力批判』
熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』
後藤明生『挾み撃ち』
ジョーン・コプチェク「性と理性の安楽死」
坂口安吾「日本文化私観」「特攻隊に捧ぐ」
スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』『否定的なもののもとへの滞留 カント、ヘーゲル、イデオロギー批判』
レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』
多和田葉子『百年の散歩』
チャールズ・テイラー「承認をめぐる政治」
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル──フェミニズムとアイデンティティの攪乱』
ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』
ケネス・フランプトン『現代建築史』
松浦寿輝『名誉と恍惚』
三島由紀夫「文化防衛論」
宮崎裕助『判断と崇高──カント美学のポリティックス』
村上春樹『騎士団長殺し』
山城むつみ『文学のプログラム』
Ⅰ 動物
1動物たちの棲むところ
江藤淳『成熟と喪失──“母”の崩壊』
フランツ・カフカ「巣穴」
柄谷行人『トランスクリティーク──カントとマルクス』
黒井千次『群棲』
笙野頼子『居場所もなかった』『幽界森娘異聞』
住田昌二『現代日本ハウジング史──1914〜2006』
瀧口雅仁『古典・新作 落語事典』
津島佑子『光の領分』
ジル・ドゥルーズ「何を構造主義として認めるか」「ノマド的思考」
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ マイナー文学のために』
西川祐子『借家と持ち家の文学史──「私」のうつわの物語』
平山洋介『都市の条件──住まい、人生、社会持続』
二葉亭四迷『浮雲』
森茉莉『贅沢貧乏』「曇った硝子」
山本理奈『マイホーム神話の生成と臨界──住宅社会学の試み』
2 動物保護区[アニマル・サンクチュアリ]の平和
アリストテレス『詩学』
石川求『カントと無限判断の世界』
江原由美子『女性解放という思想』
フランツ・カフカ「皇帝の使者」
川上弘美『神様』「神様2011」
カント「永遠平和のために」
グリム兄弟「かえるの王様 または鉄のハインリッヒ」
デヴィッド・グレーバー『負債論──貨幣と暴力の5000年』
絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な──「1968年の革命」史論』
津島佑子「黙市」『山を走る女』
ジャック・デリダ「白い神話」『獣と主権者Ⅰ』
ジル・ドゥルーズ「追伸─管理社会について」
スー・ドナルドソン/ウィル・キムリッカ『人と動物の政治共同体 「動物の権利」の政治理論』
中上健次『枯木灘』
中沢新一『対称性人類学 カイエ・ソバージュⅤ』『熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ』
ミシェル・フーコー『安全・領土・人口──コレージュ・ド・フランス講義一九七七─七八年度』
トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
三舟隆之『浦島太郎の日本史』
宮沢賢治「フランドン農学校の豚」
村上克尚『動物の声、他者の声 日本戦後文学の倫理』
柳田國男『民俗学辞典』『昔話と文学』
3 精神は(動物の)骨である
梶谷懐/高口康太『中国・幸福な監視国家』
金森修『動物に魂はあるのか』
川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』『真鶴』
スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来──進化論への招待』
河野稠果『人口学への招待──少子高齢化はどこまで解明されたか』
スラヴォイ・ジジェク『もっとも崇高なヒステリー者 ラカンと読むヘーゲル』『イデオロギーの崇高な対象』『絶望する勇気 グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』
J・A・シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』
総務省統計局『日本の統計2018』
チャールズ・ダーウィン『種の起源』
多和田葉子『献灯使』
ルネ・デカルト『方法序説』
ダニエル・C・デネット『心はどこにあるのか』
ジル・ドゥルーズ「マゾッホを再び紹介する」
中上健次『紀州』
根井雅弘『シュンペーター』
ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』
ミシェル・フーコー『生政治の誕生──コレージュ・ド・フランス講義一九七八─七九年度』
ロージ・ブライドッティ『ポスト・ヒューマン 新しい人文学に向けて』
吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』
4 獣たちの帝国
ルイ・アルチュセール『再生産について』
エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ『食人の形而上学 ポスト構造主義的人類学への道』
大江健三郎『宙返り』『晩年様式集[イン・レイト・スタイル]』
梶尾文武「大江健三郎ノート」
ニコラウス・クザーヌス『学識ある無知について』
エドゥアルド・コーン『森は考える──人間的なるものを超えた人類学』
アマルティア・セン『アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障』
田川建三『新約聖書 訳と註』
多和田葉子『雪の練習生』
ジャック・デリダ『ならず者たち』
マーサ・C・ヌスバウム『正義のフロンティア 障碍者・外国人・動物という境界を越えて』『女性と人間開発』
ナンシー・フレイザー、アクセル・ホネット『再配分か承認か?──政治・哲学論争』
ナンシー・フレイザー『フェミニズムの命運──国営資本主義から新自由主義の危機へ』
G・W・F・ヘーゲル『精神現象学』
アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』
エルネスト・ラクラウ『ポピュリズムの理性』
ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』
5 黙示録的な獣たち
芥川龍之介「神神の微笑」
池田雄一『メガクリティック ジャンルの闘争としての文学』
磯崎新『建築における「日本的なもの」』
大江健三郎「政治少年死す」「みずから我が涙をぬぐいたまう日」『取り替え子[チェインジリング]』
岡倉天心『東洋の理想』
柄谷行人『日本精神分析』
蔵本由紀『新しい自然学 非線形科学の可能性』
木庭顕『ローマ法案内──現代の法律家のために』
ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』
志賀直哉『暗夜行路』
笙野頼子『金毘羅』『未闘病記──膠原病、「混合性結合組織病」の』『海底八幡宮』
田川建三『キリスト教思想への招待』
ジャック・デリダ『エコノミメーシス』『死を与える』
蓮實重彦『反=日本語論』
ダナ・ハラウェイ『犬と人が出会うとき 異種協働のポリティクス』
マーティン・ヘグルンド『ラディカル無神論 デリダと生の時間』
マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』
松浦理英子『犬身』
マルセル・モース/アンリ・ユベール『供犠』
パトリック・ロレッド「供犠に捧げられた、動物の二つの身体──ジャック・デリダの哲学における動物・政治概念についての考察」
6 猿まね[ミミック]と生
小倉拓也『カオスに抗する闘い──ドゥルーズ・精神分析・現象学』
ロジェ・カイヨワ『神話と人間』
エマヌエル・カント「啓蒙とは何か」
久保明教『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』
郡司ペギオ幸夫『いきものとなまものの哲学』
多和田葉子「無精卵」
ジル・ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの』「無人島の原因と理由」
カルロス・フエンテス『セルバンテスまたは読みの批判』
前田愛『都市空間のなかの文学』
松浦理英子『裏ヴァージョン』
カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来──可塑性・時間性・弁証法』『明日の前に──後成説と合理性』
マウリツィオ・ラッツァラート『〈借金人間〉製造工場──“負債”の政治経済学』
Ⅱ 権力
1 言説の騒乱
[ディスオーダー]
奥野健男『ねえやが消えて──演劇的家庭論』
金井美恵子『恋愛太平記』『文章教室』
小島信夫『抱擁家族』
谷崎潤一郎『台所太平記』『夢の浮橋』『陰翳礼讃』『春琴抄』『瘋癲老人日記』『鍵』
千葉俊二「昭和初年代の谷崎文学における〈聞き書〉的要素について」
中上健次『物語の系譜』『重力の都』
ミハイル・バフチン『小説の言葉』
ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ  知への意志』
2 路地の「残りの者」たち
ジョルジュ・アガンベン『残りの時』
安良城盛昭『天皇・天皇制・百姓・沖縄──社会構成史研究よりみた社会史研究批判』
井上充夫『日本建築の空間』
マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
マイスター・エックハルト『エックハルト説教集』
フリードリッヒ・エンゲルス『ドイツ農民戦争』
江藤淳『自由と禁忌』『作家は行動する』
折口信夫「大嘗祭の本義」
加藤百合『大正の夢の設計家 西村伊作と文化学院』
柄谷行人『坂口安吾と中上健次』
柄谷行人、中上健次『柄谷行人中上健次全対話』
喜田貞吉『被差別部落とは何か』
経済企画庁『昭和56年 年次経済報告 日本経済の創造的活力を求めて』
H・J・ゲルツ『トーマス・ミュンツァー 神秘主義者・黙示録的終末預言者・革命家』
フレドリック・ジェイムソン『時間の種子──ポストモダンと冷戦以降のユートピア』
庄野潤三『夕べの雲』
絓秀実『「帝国」の文学──戦争と「帝国」の間』
高山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』
田川建三『イエスという男 第二版(増補改訂版)』
田中修司『西村伊作の楽しき住家──大正デモクラシーの住い』
田中真造『トーマス・ミュンツァー──革命の神学とその周辺』
寺木伸明『被差別部落の起源──近世政治起源説の再生』
時枝誠記『国語学原論』
中上健次『地の果て 至上の時』『熊野集』
デヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』
ロラン・バルト『明るい部屋──写真についての覚書』
ミシェル・フーコー「ヘテロトピア」
エルンスト・ブロッホ『トーマス・ミュンツァー』
四方田犬彦『貴種と転生・中上健次』
アンリ・ルフェーヴル『空間の生産』
3 芸術・大逆・システム
赤瀬川原平「風の吹く部屋」『全面自供!』『トマソン大図鑑』『千利休 無言の前衛』『出口』『超芸術トマソン』『父が消えた』『芸術原論』『雪野』
赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編『路上観察学入門』
柄谷行人『探究Ⅱ』『隠喩としての建築』
今和次郎『考現学入門』
佐伯仁志「通貨偽造罪の研究」
椹木野衣『日本・現代・美術』
バックミンスター・フラー『宇宙船地球号 操縦マニュアル』
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学 改訂第2版』
ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」
4 私生児の機械
沖公祐『「富」なき時代の資本主義──マルクス「資本論」を読み直す』
小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』
川本三郎『郊外の文学誌』
国木田独歩『武蔵野』
ジャン・コクトー『地獄の機械』
レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』
アンリ・コルバン『レジャーの誕生』
絓秀実・木藤亮太『アナキスト民俗学 尊皇の官僚・柳田国男』
蓮實重彦『魅せられて 作家論集』『表象の奈落──フィクションと思考の動体視力』『陥没地帯 オペラ・オペラシオネル』『「ボヴァリー夫人」拾遺』『「ボヴァリー夫人」論』『随想』『大江健三郎論』『伯爵夫人』『批評 あるいは仮死の祭典』『帝国の陰謀』『小説から遠く離れて』『物語批判序説』
ザッヘル=マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』
八束はじめ『思想としての日本近代建築』
柳田國男「武蔵野の昔」
ル・コルビュジエ『輝ける都市』
ロブ=グリエ『不滅の女』
EPILOGUE 犬のような批評家の肖像
多和田葉子『旅をする裸の眼』
花田清輝『政治的動物について』『復興期の精神』
ジャック・ランシエール『哲学者とその貧者たち』