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人の運動システムの理解の仕方(その3)-2つの視点

 ロボットの部品の全ては人がそれぞれの目的に合わせて作ったものです。
 全体の構造も設計者の意図通りに組み立てられます。だからネジの一本にいたるまでその性能や役割も非常に明確です。だからこのシステムは設計者の意図通り、決められた通りに作動します。

 でも人の体はロボットの様には単純には理解できないものです。

 たとえば学校では、「人の運動は脳を含む中枢神経系が起こし、変化させるものだ」と教えます。人体をロボットの様に考えると、ちょうどロボットでは運動を起こしコントロールするのは全てコンピュータの働きです。それで「脳もそんな風に働く」と考えます。人でも脳がそれを行っていると単純に考えるわけです。

 だから「感覚入力を通して、人の脳に運動のやり方を学習させる。頭の中に運動のプログラムを作るのだ」などと発言する人がいます。脳を受身的なプログラムによって作動するコンピュータの様に考えてしまうのでしょう。

 まあ、学校で習う人体の設計図では、運動変化の役割は脳に集中しているからです。

 すると学校で習う設計図の説明では、以下のようなヘンテコなことも起きてきます。


 新生児歩行という現象があります。生まれてすぐの赤ちゃんの両脇を支えて持ちあげ、つま先を床につけて体を前に傾けると歩くような動作をします。これはつま先を床につけることによって自動的に出現する「反射」、それも非常にシンブルで原始的であるので「原始反射」であると説明します。

 この新生児歩行は生後1-2ヶ月の間に消失することが知られています。つまり時間経過と共に運動変化が起こるわけですが、この運動変化は以下のように説明されます。

 「生まれてまもなくは脳が未成熟で、脊髄レベルの原始反射である新生児歩行が見られる。しかし数ヶ月すると脳が成熟して、原始反射である新生児歩行を抑制するので消失する」

 このようにあくまでも「運動変化は脳が起こしている」と仮定されているので、脳の変化でこれを説明するわけです。なるほど、確かに上手く説明しているように見えますね。

 しかし新生児歩行の消失した乳児をお湯に浸けると再び新生児歩行が見られます。それで「脳の未成熟の説明はおかしい」ということになります。この説では、お風呂に入る度に脳が未成熟に戻ることになるからです。

 そこでアメリカの発達心理学者のテーレンらは、動的システム論を基にその現象を調べました1)。そうすると実はその時期、赤ちゃんの下肢の脂肪が急激に増えて,下肢重量の急激な増加があることがわかります。つまり相対的な筋力低下が起きます。それで下肢が持ち上がらなくなることが消失の原因だとわかるわけです。お湯に浸けると再び出現するのは、お湯に浸けたときの浮力のせいです。

 テーレンらはその他にも新生児からトレッドミル上で歩行練習を継続すると、新生児歩行は消えないことを実験で示しました。さらに2本の速度の異なるトレッドミル上に新生児の赤ちゃんを乗せると、それぞれの脚をそれぞれの速度に応じて協調させて動かすことも証明しました。その他にもいくつかの実験や研究を重ねて、どうも新生児歩行は、学校で説明するような原始反射ではなく、成人の歩行と連続したものであることを示しました。

 結局、運動変化は必ずしも脳が起こしているわけではありません。人の運動変化は学校で仮定された設計図のようには起きていないのです。様々な要素の相互作用、この場合は下肢の脂肪の急激な増加が運動変化を起こしたわけです。

 つまり学校では、この脳の間違った設計図を基に脳性運動障害を理解しようとしているのです。

 それで実際に消えるべき月齢を過ぎて新生児歩行が残っていると、それは原始反射と考えるので抑え込もうというリハビリが実際に行われました。それも単純に原始反射が見えないように体を抑え込むような方法が取られたりしました。僕が若い頃には、僕だけでなく多くのセラピストも「抑制とはそんなことなのだろうか?」と疑問に思ったものです。

 でもその頃にはそれに代わる説明を知らなかったので、随分モヤモヤしたものです。テーレンらの研究に出会って、漸く他の可能性にも目が向いたのです。

 ともかく脳をコンピュータにたとえていると、脳性運動障害でうまく説明できないことは他にもあります。そしてこれでは運動システムの理解もリハビリも「どうも違ってるんではないか?」などと考えるようになりました。(その4に続く)

1) Eテーレン他: 発達へのダイナミックシステム・アプローチ 認知と行為の発生プロセスとメカニズム(小島康次監訳他). 新曜社, 2018.

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