パレスチナの旗が翻った瞬間(ジャン=リュック・メランション、2024/05/29)

「不服従のフランス」創設者・前代表

原文はここ

訳者まえがき
2024年5月28日、フランス国民議会で不服従のフランス(ラ・フランス・アンシュミーズ、LFI)党の議員セバスチャン・デロギュがパレスチナ国旗を掲げたことが大きな議論を呼んだ。この行動は、ガザ地区での危機に対する注目を喚起するためのものだった。

デロギュ議員がパレスチナ国旗を掲げたのは、貿易大臣フランク・リースターがガザの状況に関する質問に答えている最中だった。この行動に対し、国民議会議長ヤエル・ブラウン=ピヴェが「容認できない」として即座に議会のセッションを中断、デロギュ議員に、15日間の議会出席停止と2ヶ月間の給与50%削減という厳しい処分を下した。デロギュ議員はその後、記者団に対し「国際法とパレスチナの人々のために立ち上がることを誇りに思う」と述べ、フランス政府のパレスチナに対する姿勢を批判した。

デロギュ議員は、1973年マルセイユ生まれ。タクシー運転手の父、販売員で労働組合員の母のもとで育てられ、専門学校卒。独学で中学校修了資格を取る。既製服の販売員や警備員として働き始めた。一時期失業してホームレスなど経験。第一子出産後、復学。夜、タクシー運転手として9年働く。2016年、タクシー業界の「ユーバー化」と闘うストライキのスポークスマンとなり、それがきっかけで政治活動に。ジャン=リュック・メランションの「不服従のフランス」と出会う。無償でメランションの運転手、ボディガードを務めたこともある。2022年フランス下院選挙で当選。

この事件は、フランス国内でのイスラエル・パレスチナ問題に対する意見の分裂を浮き彫りにし、特にLFI党のパレスチナに対する連帯、政府の立場を批判する姿勢を強調するものとなった。

以下、本文。

それはまず一枚の像だ。ほんの一切れの布に過ぎない像だ。マルセイユ選出の「不服従派」議員セバスチャン・デロギュが、その長身をさらに伸ばしてパレスチナの旗を掲げている。もちろん、これは象徴的なジェスチャーだ。だが、シンボルには常に特別な力がある。包括的で、圧倒的な力だ。広大な議場は突然、このわずかな平方センチメートルの色つきの四角形に完全に吸収される。議会という枠組みがこのとき突如として砕け散る。ジェノサイドがその苦痛を叫ぶ。「不服従派」は立ち上がり、レジスタンスへの支持を叫ぶ。この貴重な瞬間、彼らを最もよく代表しているのは、彼らの一人であるこの男だ。アルマ・デュフール議員[「不服従派」議員]が大臣質問で鋭い問題提起し、セバスチャンが進むべき道を示した。議席にいる右翼、極右議員から憎悪に満ちた罵声が爆発する。これが世界の真の姿だ。シンボルのもつすべてを曝け出す光に照らされて、一人ひとりの心の奥底が露わになったフランスの姿だ。

そして議長[ヤエル・ブラウン=ピヴェ(与党「共和国前進」党)]の憎悪に歪んだ顔がある。彼女は怒りに我を忘れ、目を剥き、怒鳴り散らす。彼女の内なる何かが崩れ去った。もちろん、彼女はその地位にふさわしくない。世界の目には、以前テルアビブで軍服を着たフランス国民議会議長が、パレスチナの旗の前で極度の感情的ストレスに襲われた姿が映る。耐えられないものに直面した彼女は、極端な反応しかできない。全力で、容赦なく、無秩序に攻撃するのだ。彼女は第五共和制発足以来の歴代議長よりも、3年間で最も多くの議員を処罰したのである。彼女は鞭を振るう。

自らの暴力を正当化するために、彼女はルールを捏造する。フランス国旗だけが議会にふさわしいと彼女は言う。まるで私たちが、上院の議場にウクライナ国旗が掲げられ、議長のラルシェ氏がそれを「連帯の印」と自慢していたことを忘れているかのようだ。まるでイスラエルのバッジを付けた人々が以前から議場に来ていなかったかのようだ。つまり、彼女の反応は通常の、規則に則ったものではない。では、それは単なる党派的な憎悪、メイヤー・ハビブ議員[イスラエルとの二重国籍を持つ国民議会議員。ナテニヤフ首相ら現イスラエル政権との近さで知られる]のようなものなのか?私はそうは思わない。文字通り、彼女はあの旗を見たくないのだ。なぜなら、あの旗がたった一人により、なんの武器ももたずに掲げられたその瞬間に、何をこの旗が意味するのかを知っているからだ。あの旗は、それがなければ見えない多くのものをありありと示している。ジェノサイドの犠牲者たちの顔を。私たちが犯罪現場から届いた動画で見た顔を。そしてこの議長は、自らの行動の結果に怯える人間に戻る。彼女はそれを見たくない。彼女の反応は、まるで突然鏡の中に、難民キャンプの泥の上に、死体の山に座る自分自身を見たかのようだ。

彼女が見ているのは国旗ではない。犯罪の共犯者である自分自身の姿だ。絶対悪の陣営にいる自分を見たのだ。何世代にもわたって、最も卑劣な共犯者のイメージとして残り続けるであろう自分を。ジェノサイドが目の前で行われているにもかかわらず、見て見ぬふりをする不甲斐ないフランスそのものを。だからこそ、映像が示すように、もはや自制できないのだ。ジェノサイドが起きているのだ、とあの旗は訴えかけている!

ネタニヤフは、国際司法裁判所からガザでのあらゆる軍事行動の即時停止を求められて以来、60回も空爆を行った。彼はまた爆撃を続けるだろう。何度も何度も。これは戦争中の出来事ではない。意図的なのだ。一メートルでも多くの土地を取り戻し、植民地化するために、彼にとって殺人は必要なのだ。偶発的でも無作為でもない。周到に計画された大量虐殺だ。そして、加害者に対して誰も何もできないことを証明するかのように実行されている。

これは、マイヤー・ハビブ議員が、「不服従派」のレオマン議員が並べ立てた彼の親友ネタニヤフの犯した犯罪のリストを聞いて、議場で晴れ晴れとした顔で繰り返したことだ。「これが終わりではない!これが最後ではない!」と。恥辱と不名誉が彼に付きまとう。これが終わりではない。ネタニヤフはまた殺し、殺し続けるだろう。先入観のない何百万もの人々にとって、彼は自国を国際社会の敵にした。行動する力を持ちながら何もしない者、つまり彼の共犯者であることを、彼は皆に知らしめた。私たちがすべきことは、彼らの名を挙げ、指をさすだけでいい。それ以上何もしなくても、善悪の境界線を越えた非人間性の顔を持つ彼らの本性が見えてくる。

議長はネタニヤフの共犯者だ。たった一本の旗が掲げられただけで、このことは国中、そしてヨーロッパ中に知れ渡った。ほんの一切れの布が、手に持たれただけで。ジェノサイドが行われている。それを糾弾するために犠牲者の旗を掲げる。それが最も厳しい処罰に値すると彼女は考える。彼女は歴史の誤った側にいるのだ。

この数週間で、パレスチナ人は、抑圧された者たち──それが誰であろうと──の象徴となった。権力者にないがしろにされ、人間性を否定され、抹殺されても仕方がないと扱われるすべての存在の象徴になった。アパルトヘイト時代のネルソン・マンデラの旗に続き、幾週にもわたるジェノサイドを経て、この旗は人類愛の普遍的なメッセージとなった。侮辱といじめに抗い、召喚や拘留、禁止令に抗って掲げ続けられた。

デロギュはそこに立っている。彼の大きな腕に、旗がなければ見えなかったすべての人々が乗っている。自由な風に飛ぶ、かごから放たれた鳥のように。ありがとう、セバスチャン。

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