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『優しさの真似事のエゴでも 出会えたら無くさないように』

おはようございます。
ラミンです。

ちょっとネタ切れに差し掛かってます。
ラミンです。

今回のタイトルは昔から好きなバンド Bump of Chickenの『透明飛行船』から引用しました。

多分平気なふりは人生で わりと重要なスキルだと思う
多岐に渉り効果示すので 使用頻度もそれなり

人の多くはその熟練者で 大概の焦燥は隠せるが
人の多くがその熟練者だ 大概はばれていたりもするが

大きく小さなプライドが 眠れない夜を幾つも生み
よくある類いの苦しみに 命掴まれて

大丈夫じゃなくて 当然の社会
貧乏クジ引いたわけじゃないんだよ
優しさの真似事のエゴでも出会えたら
無くさないように

BUMP OF CHICKEN『透明飛行線』より

優しさの受け取り方について歌った曲です。
得意な鉄棒ですっころんだとき、いつも話なんてしない仲良し度微妙なあいつが助けてくれてなんだこいつってなったし、クラスで笑ってごまかしたけど、なんか気付いたら鉄棒が苦手になっちゃってた。
時間が経って大人になっても、しんどいのを笑ってごまかすようになった。
そこで手を差し伸べてくる人がいたのに、偽善と感じて掴むことができなかった。
でも、
差し伸べられたあの手はもしかしたら偽善かもしれないけど、優しさであることに変わりないよね。色々あるけど握り返してみようよ的なあれです。

ちょっとはちゃんとまとめられてたらいいなぁ。


前置き

たまたまSNSを流し見してたときにこの曲についての投稿を目にして、優しさの『受け取り方』について言及されたことが僕の中で新鮮だったのを覚えてます。
どうしても『優しさ』っていうと、能動的にする側を思い浮かべがち(相手の気持ちを考える、思いやる、いやなことはしない等)だけど、
受け手として考える視点があるのかみたいなことを一つ覚えました。

個人的にそこに繋がる話として、優しさとはちょっと違うけど、感謝と謝罪が苦手だなぁって。
それも受け手としての感謝と謝罪が大の苦手で…。
されたときにどんな反応、どんな顔すればいいか分からなくて。
別に感謝されるためにしてないしなぁ、謝罪されると逆に申し訳なくなっちゃうというか。
挙句の果てにはぐらかしたり、「全然!」なんて返しをしてしまいます。
自分が能動的にする分には喜んでするし、気付いたらちゃんとしようとは思うのに、受け手になった途端エゴを暴発させてしまう傾向にあります。

感謝なんていいよ、謝罪はやめてみたいな小さな小さなエゴが。
他者の思いやりを無碍に扱ってることに反省しつつも、もっと素直に受け取っていきたいですね。

天下の台所で会った鳩たち。

共生関係

感謝と謝罪は挨拶同様、他者と共生関係を築くための儀式であると思っています。
一人でなんとかして全部やったろうみたいな時期も結構あったので、
他者との交流を深めていく怖さみたいなのも大いにあります。

でも最近は人からお仕事を頂いたり、色んな現場呼んでもらったりとする中で自然と深まっていく関係にどぎまぎしつつも心地よくあります。

一人でできないことが世の中にはたくさんあって、誰かと一緒じゃなきゃ歩めない道もたくさんあることを今なら知ってます。

まあ、あれですね、まとめるほどの語彙力がないので、ざっくりいうとラミン頑張れって話です。素直になろうぜってあれです。

P.S.
日食なつこさんの『ハッカシロップ』なんかもこの話に繋がってくるし、繋げたかったけど構成力がなかったので諦めました。
ぜひ皆さんで補ってあげてください。

依存し合って生きることがこれほど怖くて幸福だとは依存し合って見る夕日がこれほどまでに瑞々しいとは

日食なつこ『ハッカシロップ』より


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