ファンを置き去りにするということ

昨日、2022.11.4は2つの界隈のファンが置き去りにされた日だった

ひとつはスラムダンク、もうひとつはキンプリ

スラムダンクは予想がついていた
キンプリは突然で驚いた

スラムダンクの映画化については当初から疑問があった
なぜ今、ということと原作者の井上雄彦氏自身が監督をするという点

ここからは全く自分の個人的な感覚だが、なぜ今というのは何となくわかる

アニメ映画は客が入る
コロナ禍で実写映画の制作が難しいこともあり映画制作会社も傑作漫画でかつてアニメ化もされながら突然の終了で伝説となり、いまだに人気が衰えない優良コンテンツであるスラムダンクを映画化したらどうかというアイデアは簡単に浮かぶだろう

作者が監督をするという点
これがキンプリのメンバー脱退と繋がるのだが、
端的に一言で言えば
作品(キンプリの場合はグループとしての活動)がひとり歩きしていることに本人が気づいていないということ

井上雄彦氏は自分が作った作品の映画化を自分がして何が悪いと思うだろうし、キンプリのメンバーも活動していた本人の気持ちだから脱退も仕方ないと思うだろう

しかしスラムダンクという作品が作者の手を離れてからひとり歩きしてファンの心の中で肥大化していること、キンプリというグループがデビューしてからファンの心の中でそのイメージだけがひとり歩きして本人たちとはかけ離れた世界観を築き上げていたこと
その状況に当の本人たちだけが気づいていなかったことが伺われる

アニメは漫画とは全く違う
漫画の出来とアニメ映画の出来は必ずしも一致しないことはオタクでなくても一般的な感覚でわかるだろう
それだけ違う技術が必要な領域に漫画の作者がズカズカと入り込んでうまくいくとは思えない
だから最初から懐疑的に見ざるを得なかった

その上で声優も主題歌も作画の雰囲気も変えればファンから悲嘆の声があがるのは当然だ

キンプリはデビュー5年目で人気絶頂
彼らのその選択の真意は不明だが、メンバー一人一人が自分の意思を尊重したとすれば、あそこまで大きくなったグループの名前の前には「自分の意思」などというものの存在感はほとんどないに等しいことに気づいていない

ファンは彼ら本人を推しているのではなくキンプリというグループの名前のついた彼らを推しているのだ
その名前の持っている大きな存在感と肥大化したイメージは本人たちの人間性とはかけ離れている

こうして2つの界隈でファンの心が引き裂かれた

オタクは夢を抱えて生きている悲しいが楽しい生き物だ

そしてその夢を引き裂くのもまた簡単だ

スラムダンクの映画の成功は期待できないが、キンプリの今後には少し期待している

まだ夢の残渣がそこにあるからだ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?