5 | ハバルハバルのお兄ちゃん
今日は朝7時半からオンラインのアルバイトを終わらせて、そのまま仕事へ。
ドタバタと予定を終わらせ、気づいたら一日が終わっていた。
そんな一日の終わりに心にしこりを感じることがあった。
家までの帰り道は、いつもバイクタクシーを使っている。現地語では、ハバルハバルと呼ばれる。
基本的にバイクさえあれば誰でもハバルハバルのドライバーになることができるのだが、
私は、いつもそんな運転手の人たちの後ろに乗りながら目的地に着くまでいろんな会話する。
「名前は?何歳?」
「カミギンのどこに住んでるの?」
「家族はいるの?」
今日後ろに乗らせてもらったハバルハバルのドライバーの男の子は私と同い年だった。
22歳。
彼の後ろに乗りながら、
「カミギンのどこ出身なの?」
いつも通りいろんな質問をしていた。
同い年ということもあり、純粋にどんな子なのか興味があった。
「どこの中学卒業なの?」
ちなみに、フィリピンの教育システムの中に高校ができたのは2015年のこと。
私の年代の子たちは中学4年間を卒業すると、進学を選ぶなら、16歳の年齢で大学に進学するということが当たり前であった。
ハバルハバルのドライバーの人々の多くは中学卒業だということは、これまでの他の人の会話からも知っていたので、大学は聞かなかった。
すると意外な答えが返ってきた。
「いや、high schoolは行ってない」
「へぇ、そっか。じゃあ小学校はどこ行ってたの?」
「いや、小学校はいってない。幼稚園も行ってない」
カミギン島でOut of School Youthがいることは知っていたが、実際に幼稚園の段階からから教育機関に交わることのなかった人を目の前にして話をしたことは初めてだった。
「え、どうしてなの?」と私が咄嗟に聞いてしまった。
私の拙い現地語ではそこまでが限界で、
「またね!」と別れ言葉を告げて、彼はその場を後にした。
それがさっき起きたことなのが、彼と別れてから何かモヤモヤするものが残っている。
22年間、幼稚園から学校に行くことがなくドライバーとして働いている彼。
22歳で異国の地での教育支援のために大学を休学している私。
22年間、生まれた場所が違うだけこんなに違う過ごし方をする人間がいる。
どちらがいいとか悪いとかではなくて、そういったまぎれもない事実がある。
彼のことをもっと知りたいと思った。
彼に見えて私に見えない世界があり、私に見えて彼には見えない世界がある。
彼に見える世界が知りたいと思った。
そういえば、
中学2年くらいまで、街ゆく人を見る度に、
その人の目線に乗り移って、その人の周りにいる人たちとの関係をあたかも自分のことのように感じたり、その周りの存在がいなくなったりすることを恐ろしく感じたりした。
その時はあまり不思議に思わなかったけれど、調べてみるとこういう特性を持つ人のことをHSPというらしい。
そういった感覚が、日常的に起きることは歳を重ねるにつれてだんだんと薄れていった。
それでも、強く感情が動かされた時には、無意識のうちにその人の心に吸い込まれて、相手が身を置いている環境を想像しては、それが自分の感情なのか相手の感情なのか分からなくなってしまうことがあったりするのだった。
でも、皮肉ながらも、入り込んだ先で自分が見ているのはあくまでも自分が想像する相手のスコープで。
自分のスコープを通してでしか覗くことができない。
毎日毎分毎秒、様々な人・もの・価値観と会って知って話すことを通して、一生を通して変化し続けるスコープ。
今日は、相手の心に入り込む感覚を久しぶりに覚えた。
でも、彼の環境が自分の今までに経験したものとかけ離れすぎて想像ができなかった。
つまり、私のスコープの度数と彼の度数が違いすぎて、ぼやけていて何も見えないという状態に陥っていたのだろう。
それがこのモヤモヤの正体なのかもしれない。
ときに、想像できることは苦しいけれど、想像できないことは悲しいことだと感じたのだった。
今日はそろそろ寝ようと思う。
おやすみなさい。
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