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ひとり親のセレナーデ #不登校編

ムスメは保育園から、たびたび「保育園にいきたくない」ということが多かった。

3歳の健康診断時に、「言語遅延」と言われ再検査になった。検査結果が怖く、仕事の忙しい母に代わりに行ってもらった。

たしかに、マンマとか一単語とかしか喋れず、親としても真摯に悩みつつも見ないようにしていた。

保育園の先生に言われたとき、相当ショックを受けたことを記憶している。

小学生にあがり、
中国に長らく親の出張で日本を離れていたTちゃんという女の子に
「え?お父さんいないの?かわいそうー」と言われて帰ってきた、その日。

その次の日から学校に行きたくない。
学童に行きたくないと言い始めたのだ。

絶望した。普通だと思っていた。
保育園では、私を含む私生児のお母さんで
ひとり親は4人もいたから感覚が麻痺していたのであろう。

かわいそうがなんだ。なんなんだ。
私は、怒りの温度を下げないまま学童と学校に電話をかけた。

「子どもが言うことだから」と、
押し返されたが、こちらは引かなかった。

ひきたくもなかった。なぜ、慮る必要があるのか。
相手の子はいつも
娘に対して「もっとがんばれ」と書いた手紙を送ってきた。
言葉や語彙が足りないのだと先生は説明したが、わたしはそうは思えなかった。

娘と相談して「頑張れって言われた方の気持ちになれば?お手紙かえすね」と書いて相手側に差し戻した。

そこから、たびたび学校へ行きたくない娘に
付き添い登校した。
フリーランスだからやっていけたのだが
心中は常に穏やかではなかった。

不安しかなかった。私の兄は何十年にも及ぶ
引きこもり当事者だからだ。
あのように、世間を閉し傷つかないように生きるのか。
私はそれを受け止めるのか。

結局、相手側の親に真実が伝わるまで
三ヶ月がかかり謝られた。

その間、行ったり行かなかったりする娘と
毎朝ところてんのように押し出し、
娘が登校してから泣いた。

娘の父親に言えば、また責められるのだ。
そして関わりたくもない。
隙あらばやり直せると思い込む父親と接したくない。

このことは、もう過ぎた話だから
今こうやって書けるのかもしれない。

子どものカウンセリング通い出して3年目。
毎週子育てについて1時間話す。
娘はプレイセラピーを受けている。

自分の心を誰かが、注目してくれている。
親が自分を見てくれている。
3年目の春、未だに娘はカウンセリングに行く道すがら「だっこー、だっこー」と甘える。

それが彼女を現していると考察している。

2年生の春。まだ学校に行きたくないとは言うが「甘え方」に変わったようである。

楽観視はできないが、帰りたいと思える家を作れた事をちょっとだけ自分で誇りにおもっている。

それでもどうにか子育てできているとしたら、
プロの心理士の先生や学校の先生たちのおかげだ。

私は親として本当に不完全だ。
機能性不全育ちで、決して優しくはない。
実感もない。そんな人たちは結構多い事もしってほしい。

現在、四年生まだまだ不登校あります。


なんでも嬉しいお年頃です!よろしくお願いいたします🙇