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鬱の本トークイベント


冒頭にこの本の編集者の屋良さんの前書きより

“病気のうつに限らず、日常にある憂鬱、思春期の頃の鬱屈など、様々な「鬱」のかたちを84名の方に取り上げてもらっています。
「鬱」と「本」をくっつけたのは、本の力を信じているからです。1冊の本として『鬱の本』を楽しんでいただくとともに、
無数にある「鬱の本」を知るきっかけになれば、生きることが少し楽になるかもしれないという思いがあります。
この本が、あなたにとっての小さなお守りになれば、こんなにうれしいことはありません。あなたの生活がうまくいきますように。“



私は、過去鬱だった。それは今年やたら歯医者に通うことで寛解をしたのである。
服薬を忘れ、新しく入った会社で適応障害と診断もされたがそれでも鬱はやってこないのである。

その所属していた部署の先輩は鬱で休職になったと聞いたが驚きもしなかった。お風呂に入っていないウエットな髪と「大丈夫です!」

隣で、危うさを感じた。
現場の変わるハードさと責任能力の高さ。
新卒からリーダーになった先輩はしばしば休職しているそうだと、後に上司から聞いて納得せざる得なかった。

「鬱」わたしは、本当に誰でも持っているものだと思う。多かれ少なかれ、生きているから身体と脳が分離することなんて誰しも存在するだろう。

例え「落ち込み」とは限らない、イライラするのも鬱の症状である。
相手を過度に攻撃したりすることも鬱である。

という、医者でもない私の鬱だった話は傍らに置いておこう。

私は鳥羽和久さんのヲタクでもある。Twitterでは全いいね!するほどの気持ち悪さの持ち主だ。

バイトと仕事で寝不足で充電切れかけの私はスーツで、阪急電車に飛び乗り梅田Lateralへ向かった。

初めて手にする鬱の本


最前列で鳥羽さん以外の人を知らずにトークショーは始まった。
このイベントに進行は誰なのだろう?青木さんか鳥羽さんか…。本人達にもわからないままだ。

点滅社という名前だけ聞いた事があった屋良さんのふわふわとした人が編集長だった。
この本がなかなか売っていなくて、買えずに今日に至った。

消えいりそうで、はにかんで笑う男性に対して失礼な話だが非常にキュートな人である。

トークショーは、どのような人選からだったかという話から始まった。屋良さん自身が救われた著名人や無名に人たちにDMから送ったそうである。

鳥羽さんは屋良さんのオーダーがわかりづらかったと笑っていた。とても嬉しそうに。

・鳥羽さんが仰っていたことで印象的だったことは器質性は身体自体のどこかがおかしいせいで心もおかしい。内因性は心が(継続的に)バランスがとれない心因性は何らかの直接的な原因(ショック)によるものだと言うこと。


・鳥羽さんと青木さんが話されていたこと。
抽象化の圧。AとBに分けられる。

この本はそこにあるだけでいい本。
人も本来そうあるべきなのだと思う。

屋良さんの質問コーナーで私は色々と過激な質問をしたが、ここには記さない。

ただ、問いには親近感を勝手に感じた。屋良さんの服薬の話まで聞いてしまった。気になって仕方が無かった。

一つだけ、「自己肯定感とメンヘラという言葉は好きですか?」と言う問いに三人とも首を横に振っていたのを覚えている。

そもそも病気を理解し通院している人のことをメンがヘラヘラしているというのもなんだし、自己肯定感なんて令和に入ってからも呪縛みたいな言葉だと私は常々考えている。

因みに、メンヘラという言葉も大胆に曖昧な言語である。もったいない言葉だ。調べてみるとわかることなので、是非。

他の人の質問は忘れてしまった。
双極性障害の友人から返信がないけれど、連絡はした方がいいか。など質問が飛び交って一部は終了した。

10分の休憩中、喫煙しながら心は揺れる。煙のように揺れる。

二部は、鳥羽さんと青木さんのトークショーであった。
青木さん自体、3.11があって奥さんが脳と心のバランスが取れなくなり、奈良に引っ越しして私設図書館を現在は運営されている。

青木さんから言葉の端々に奥さんへの深い愛が滲んでいた。
「子供がいないんですか偉そうにすいません」と私の素っ頓狂な質問に答えてくださった。

ここからかなりディープなトークになり、健常者と障害者で分別される社会について触れられていた。ノーマライゼーションという言葉が一人歩きした現代社会について、自己否定に走る人が多いことについて触れられていた。

生産性、就活は「私はこの会社に貢献します!
これだけ自己生産性があります!」

確かにそうだ。高らかに叫ぶようなものだろう。

例えば転職回数が1度もない人が、他の会社に入って「生産性あります!」と言われても…。
私も人事をやっていた経歴があるから、
「あ、そう…」で終わってしまうかもしれない。
※延べ3年人事担当であった。

ニーズに応える。その必要性のなさたるや。

思春期、私たちは学校教育で一辺倒にされてきた。
延長性上が社会というなら永遠に思春期なのだという事。

勉強ができる子に育てる事が幸せ(この言葉も陳腐で安易で嫌いだ)であり、愛だと思っている節はないだろうか。(鳥羽さん談)

質問コーナーでは、教育に携わる人やパニック障害で頑張って今日のトークショーに来た人、鬱の人や、浪人を何年もしている人たち。

皆が皆、質問することに慣れている訳でなく
震えたり緊張しながら自分の想いと考えを模索しながら話していた。(私は常に忌憚が無さすぎる。)

今回、このようなトークショーに参加できたこと。娘についても改めて考えさせられた。

心の隅のどっかで、理解のある親になろうとしていたこと。傾聴と観察を忘れていたこと。

来るべき思春期のことを考え、家に小難しい本を彼女に手渡さず言葉が足らないぐらいでいいのだと改めて気づく21時30分であった。

どうか、読まなくていい。そこにいるだけでいい。

この本を傍に置いていて欲しいのだ。
84人の綴られたアイロニーとユーモア。

自己ニーズと他者ニーズの葛藤の結果がこの「鬱の本」なのだ。

本についての感想はまた深く書いていきたいと思う。

屋良さんがサイン時間かかってごめんなさいと言わせて
申し訳なかったです😭

なんでも嬉しいお年頃です!よろしくお願いいたします🙇