演劇〈綴る〉

 前回9月に経験したことについて軽く触れたのだが、今月なんと言っても忘れられないのが友人に誘われて見に行った「在日本挑戦留学生同盟綜合文化公演」だ。

 この公演は「留学同」という、在日コリアンの学生たちによって作られたコミュニテイで企画されたものだ。頂いたパンフレットを読むと、今回の公演は7年ぶりということだ。
 サムルノリや農学、プレゼンテーションやドキュメンタリー映像など、色々な企画が行われた中で、一番心に残ったのは演劇だ。
 留学同において年に一度行われる訪朝の中で、なぜ歴史や民族について考えるのか、学生同士、あるいは現地の若者、専従職員との交流について考えるという内容だ。

 そもそも今回の公演、会場内(日本教育会館一ツ橋ホール)は満員とまではいわずとも、かなり席が埋まっており、中々の盛況ぶりだった。

 事前情報もなく観に行ったのだが、会場内ではいたるところで朝鮮語が飛び交い、一瞬日本にいるのを忘れるかのような光景だ。誘ってくれた在日コリアンの友人も、行き交う度に色んな知人友人と朝鮮語で話しており、在日コミュニティの強い結束力、連帯感を感じた。日本人である僕には場違いなような、多少の居心地の悪さを感じたが、その感覚も普段在日コリアンが感じているものかもしれないと思うと、嫌な思いはしなかった。

 そんなローカルな空気を纏う公演だったが、演劇についても、普段の日本人には馴染みのない雰囲気だった。
 4人の学生が訪朝の際の感想を述べ合うのだが、専従職員が学生たちを引導しながら、祖国や民族、さらに朝鮮統一の重要性について考えること、学ぶことはある種当然のこととして物語は進む。普段ポリティカルな話題を避けがちな日本人からは作りづらい物語である。

 しかし、無前提に国家を称揚するプロパガンダ映画のような話でもない。訪朝に際して、普段の在日コミュニティや、祖国や民族への思いなど、率直な疑問を投げかける学生もおり、物語が進行していく。いわく、在日コミュニティ内での男女差別だったり、内輪にこもりがちなコミュニティの空気が苦手であること、祖国や民族への思いも、祖国統一といいつつ朝鮮のみを支持していたり、本国の兵士のように人生を投げ打つ程の覚悟もないことなど、色々な意見が出てゆく。
 また、別の学生は将来は弁護士となり、祖国に役立ちたいと言いつつ、具体的な中身ある会話ができないことから、「自分が出世するための適当な理由付けとして、祖国を使っている」との批判を受け憤慨する。

 最終的な物語の結末として、祖国である朝鮮や民族を否定することはないにしても、個人の意志や考えを押し付けるような安易さはなく、むしろ在日コリアンとしての自分の存在をどう受け止めていくべきかという、個々の人間の生き方を問う作品だった。

 劇を鑑賞し終えて、僕は真っ先に自分の愛国心について考えた。愛国心というよりかは愛郷心といったほうがいいだろう。在日コリアンにとっては祖国について問われることは良くも悪くも日常なのだろう。距離的には遠いが、感情としては祖国はとても近いのだ。

 一方で僕自身は違う。普段色んなコミュニティに属している中で、改めて国について考えることはない。厳密にいうと今の日本の政権について思うところは色々あるけれど、それは愛郷心とは違うものだ。僕にとって祖国は灯台下暗しというか、とても遠い存在である。

 もちろん、祖国について下手に愛したり、無批判になったりする必要もないとは思っている。ただ、今の自分が彼ら彼女ら在日コリアンの一人ひとりと向き合おうと考えたとき、恐ろしく自分がちっぽけな存在として感じられてならない。この感情をずっと大事にしていきたいと思う。


 

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