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2月6日 今日は人生最幸の日

おはようございます!


自分の欠点を直視し認めることです。
ただし欠点に振り回されてはいけません。

#ヘレン・ケラー


2月6日


今日は、『ブログの日』


サイバーエージェントが制定。
「ブ(2)ログ(6)」の語呂合せ。


本日のお誕生日


ベーブ・ルースさん、やなせたかしさん、ボブ・マーリーさん、大槻ケンヂさん、坂井泉水さん、福山雅治さん、具志堅ティナさんなどなど


もんち的には、第三夫人のデヴィ・スカルノさんのお誕生日


本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️


デヴィ・スカルノ


本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ。
旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)。
通称はデヴィ夫人。


父は麻布区霞町界隈の大工の棟梁であり、弟が1人いた。
太平洋戦争中は、母・弟の3人で福島県浪江に疎開していた
家庭は裕福ではなかった。


1955年、15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演。


中学卒業後は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする日々を送った。


1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。


1959年、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。


インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。


しかし、同時期にマスコミの執拗な取材により体調を崩していた母が亡くなった。
更にその2日後、セールスマンに全財産を騙し取られたうえ、母の死に目に逢えなかった実弟が、自宅アパートでガス自殺した。
それを伝え聞いた彼女は「何時までも心を離れない悲しいトラウマになっている」と告白している。


3年後の1965年に起きた軍事クーデターでスカルノが失脚。
代わってスハルトが大統領となった。
スカルノは軟禁状態におかれ、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望したが、国際的立場上の理由で断念。


スカルノ大統領はクーデターを予期し、以前よりインドネシアからスイスへ巨額の資金を確保していたとささやかれるものの、1970年のスカルノ死去時にスカルノ家、ならびにインドネシア政府から財産の相続の権利や子供のスカルノ一族としての地位などを喪失し、その後のインドネシア政府の方針により、第3夫人としての遺産分与が行われた。


「社交界の華」とも呼ばれたその容姿で多くの要人らと関係をもったという。
1980年にはインドネシアへ戻り、石油関連事業を興した。


しかし、日本政府や日本の企業財閥側は、クーデターで失脚したスカルノ夫人を擁護することはなかったとされる。


その後は日本でタレントとして活躍する。タレント的活動は1970年代より行っており、1974年に小学館の総合男性誌GORO創刊号にデイヴィッド・ハミルトン撮影のヌード写真が掲載されている。


2014年、バラエティー番組の収録中に一般の女性出演者を平手打ちしたとしてトラブルとなった。
この女性は事前に番組スタッフから番組を盛り上げるように言われたためデヴィを挑発したところ、デヴィに顔を3回平手打ちされたという。


今は出川哲朗さんとのコンビで、バラエティで大活躍されてるイメージですが、沢山苦労されてらっしゃるんですね。


ご高齢にも関わらず、様々な事に身体を張って頑張っておられるのが素敵ですね。


本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍


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