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7月27日 今日は人生最幸の日

おはようございます!

やってねぇヤツに限って、
不平不満を言うんですよ。
「こんな仕事、やってられない」。
これでは何も手に入らない。

#石橋貴明

7月27日

今日は、『スイカの日』

スイカの縞模様を綱に見立て、七(な)2(ツー)七(な)で「夏の綱」とよむ語呂合せ

本日のお誕生日

大山倍達さん、高島忠夫さん、三浦和義さん、渡嘉敷勝男さん、星野真里さん、松井玲奈さんなどなど

もんち的には、ロス疑惑の三浦和義さんのお誕生日

本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

三浦和義

小学生当時、映画プロデューサーだった叔母から俳優になることを勧められ、瀧子のプロデュースする映画で石原裕次郎の少年時代を演じる子役として出演したことがある。

中学校在学中、複数回の家出を経験。
教師と喧嘩して窓から飛び出し、そのまま家から数十万円を持ち出して大阪に行ったこともある。

高校では生徒会長でありながら副会長の女子生徒と共に授業をサボタージュして箱根で一泊し停学処分を受けた。
強盗傷害やオートバイ泥棒や日本刀不法所持で逮捕されるなどの問題行動を起こしていたという。
1966年、放火などの容疑で逮捕され水戸少年刑務所で7年間服役した。
その時横浜少年鑑別所からの脱走歴がある。

俳優業として
「コミック雑誌なんかいらない!」1986年 本人役
「実写版まいっちんぐマチコ先生」2003年 浦田校長役

めちゃ×2イケてるッ!-フジTV警察24時のコーナーに出演した。

『ロス疑惑』

1981年、当時の妻が米国・カリフォルニア州ロサンゼルスで何者かに銃撃されて意識不明の重体となる事件が発生し、自らも足を撃たれて負傷した。
当初マスコミは「悲劇の夫」として三浦を扱い、アメリカ軍の協力を取り付けて妻を日本の病院に移送する際に、妻を乗せた上空のヘリコプターに対して地上から発炎筒で誘導する場面を好意的に報道していた。
その後1982年11月に、妻が死亡したことで、この事件の報道は収束することになった。

しかし、1984年に『週刊文春』をはじめとするマスコミにより『保険金目当ての殺人であり、その黒幕である』との報道がなされる。

また三浦自身もテレビなどのメディアに積極的に露出し、ミッキー安川やジミー佐古田などと丁々発止のやりとりを行うなど、その特異なキャラクターが視聴者の興味を引いたことも相まって、ワイドショーや雑誌、全国紙など日本中のマスコミによる過熱報道が行われた。

前後して1979年から行方不明になっていたフルハムロードの元・取締役だった女性が失踪後、ロサンゼルス郊外で遺体として発見されていた事実が判明。
失踪直後に三浦が本人の銀行口座から現金426万円を引き出していたことも判明した。

その結果、マスコミによる三浦の報道がエスカレートし、現在よりも「プライバシーの尊重」の概念が発達していなかった当時の日本のマスコミによって、三浦本人のプライバシーが著しく侵害されただけでなく、マスコミによる住居不法侵入や私信の無断開封などの行為が公然と行われていた。

過剰報道騒動の最中の1985年、三浦夫人銃撃事件の4カ月前に起こった三浦夫人殴打事件(知人の元ポルノ女優に、宿泊先のニューオータニホテルで妻をハンマーで殴打させた事件)での殺人未遂容疑で逮捕され、後に銃撃事件での殺人と詐欺で再逮捕された。

殴打事件では懲役6年の有罪が確定したが、銃撃事件の裁判では検察側は実行犯の証明がネックとなり三浦の関与の事実を立証する事ができず、1994年には東京地裁は氏名不詳者との殺人の共謀として有罪判決、1998年の東京高裁で無罪判決となり、2003年には最高裁も無罪判決となった。

この事件に絡み三浦が拘置所や刑務所にいたのは13年間にものぼる。

ロサンゼルスに到着した2008年10月10日に三浦はロサンゼルス市警の留置施設にてシャツを用い、首をつって自殺した。

当時、テレビではこればっかりは放送されてたイメージがある。

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

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