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8月12日 今日を最幸の一日に

おはようございます!
 

いま自分が優先すべきことは何か。
それさえ間違わなければ、仕事も人生も上手くいきます。
 

#テリー伊藤
 
 
8月12日
 
 
今日は、『航空安全の日』
 

1985年のこの日、日航機123便が御巣鷹山に墜落し、520人の犠牲者を出した
生存者は4人だった
 

今日のお誕生日
 

淡谷のり子さん、東てる美さん、陣内孝則さん、角松敏生さん、デビット伊東さん、武田久美子さん、網浜直子さん、東幹久さん、吉岡秀隆さん、諸星和己さん、松岡充さん、貴乃花光司さんなどなど
 

もんち的には、貴ノ花こと、貴乃花光司さんのお誕生日
 

京都の鰻屋で隣同士になったこたがありました。
 

本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
 

 
貴乃花光司
 

本名、花田光司
 

父は貴ノ花利彰、母は藤田紀子、兄は花田虎上(三代目若乃花)。
元妻(2018年に離婚)は河野景子。
 

小学4年生の時、わんぱく相撲の全国大会で優勝、わんぱく横綱として土俵入りを行っている。
 

入門当時からその優れた素質が話題となり、四股名貴花田として初土俵後も、前評判に違わず数々の最年少記録を打ち立てた。
 

1990年5月場所、17歳8か月で新入幕。
 

1991年5月場所、かつて父とも対戦した千代の富士と取組が組まれた。
最後に貴花田が寄り切りで完勝し、18歳9か月で大相撲史上最年少の金星を獲得。
 

千代の富士は同場所の3日目、現役引退。
 

結果的に同場所初日の貴花田が千代の富士を下したのを機に引導を渡したことで、次代の第一人者候補としての評価を固めていく。
 

弟にわずかに遅れて入幕した兄若花田とともに活躍した頃に起こった平成初期の一大相撲ブームは「若貴フィーバー」と呼ばれた。
 

翌1992年1月場所は14勝1敗の成績で19歳5か月での幕内初優勝を果たした。
 

1993年1月場所では、11勝4敗の成績で20歳5か月の若さで大関まで上り詰め、父と同じ貴ノ花に改名する。
 

貴ノ花から「貴乃花」と改名して「大関で2場所連続全勝優勝」を果たし。
先場所からの30連勝も達成し、ようやく横綱昇進を確実とした。
 

横綱昇進を飾った曙との1番は、本当に感動したのを覚えてる。
 
 
 
小泉純一郎さんの表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!おめでとう!!!」と貴乃花を賞賛したのも懐かしい。
 

曙、武蔵丸、貴ノ花、若ノ花の時代は本当に相撲が盛り上がってたな〜〜。
 

その後、洗脳騒動や兄弟喧嘩、ケガなどがあり引退。
 

相撲協会理事選挙などで、『貴ノ乱』と言われる騒動から、相撲協会と揉めたあと、日馬富士の暴行事件などあり、現状相撲協会から退職してしまった。
 

宮沢りえさんとの婚約破棄なんかもありましたね。
 

またいつか兄弟で相撲取って欲しいですね。
 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
 

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